愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

白のデンドロビウムと小雨の中のJR宇和島駅前の風景

2016-02-23 22:26:00 | 四季折々の花々

 白のデンドロビウムの鉢植えの花が、

 花屋さんで売られていました。

 この時期はシンビジウムやデンドロビウムの花が華やかです。

 デンドロビウムの花期は1月~5月です。

 用途は鉢植え、切り花です。

 花言葉は「謹厳実直」と紹介されています。

 今日は白のデンドロビウムと小雨の中のJR宇和島駅前の風景を紹介致します。 

                       鉢植えの「デンドロビウム」

                     小雨の中の「JR宇和島駅前の風景」

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あなたは、イエスのぶどう園の働き人の例え話の意味をご存知ですか?(マタイ20:1~16)

2016-02-23 22:02:24 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストに、弟子のペテロが「わたしたちはすべてのものを後にして、あなたに従ってまいりましたが、わたしたちのために何があるのでしょうか」と質問した事に対し、弟子たちに貴重な特権を与える約束をされました。それは、イエスが神の王国政府の王として支配する時、イエスの弟子たちを含む油注がれたクリスチャンたちはイエスの共同支配者になること、また、イエスに忠実に仕えるイエスの弟子たちのほかの羊の大群衆も、神の王国によって地上の義の宿る楽園で永遠の命を受け継ぐ保証を与えられました(マタイ19:27~29.ペテロ第二3:10~13.啓示7:9,14;21:3,4)。その時、イエスは「多くの最初の者が最後に、最後の者が最初になると教えられました(マタイ19:30)。イエスは、その意味をぶどう園の働き人の例え話を用い、次のように教えられた内容がマタイの福音書に記されています。イエスの教えには現在までにも及ぶ重要な真理が含まれています。

 「「と言うのは、天(神)の王国は、自分のぶどう園の働き人を雇うため朝早く出かけた人、つまりそのような家あるじのようだからです。彼は、働き人たちと一日一デナリということで合意すると、彼らを自分のぶどう園に送り込みました。第三時ごろにも出て行き、ほかの者たちが仕事をしないで市の立つ広場に立っているのを見ました。そこでその人たちにいいました、「あなた方もぶどう園に行きなさい。何でも正当なものを上げますから」。それで彼らは出かけて行きました。家あるじは、第六時と第九時ごろにも出て行って、同じようにしました。最後に、第十一時ごろにも出て行き、ほかの者たちが立っているのを見つけました。それで彼らに言いました、「なぜあなた方は仕事をしないで一日中そこに立っていたのか」。彼らは言いました、「だれもわたしたちを雇ってくれなかったからです」。家あるじは言いました、「あなた方もぶどう園に行きなさい」。

 夕方になったとき、ぶどう園の主人は管理の者に言いました、「働き人たちを呼んで、賃金を払いなさい。最後の者から始めて順に最初の者にまでゆきなさい」。第十一時の者たちが来て、各々一デナリを受けました。それで、最初の者たちが来たとき、自分たちはもっと受けるものと考えました。ところが、彼らもやはり一デナリの割で支払いを受けました。それを受けると、彼らは家あるじに向かってつぶやきはじめ、「これら最後の者は一時間働いただけだ。それなのに、あなたは彼らを、一日の重荷と焼けつく暑さに耐えたわたしたちと同等にした」と言いました。しかし家主は彼らの一人に応えて言いました、「君、わたしはあなたに何も不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリで合意したではないか。あなたの分を受け取って、行きなさい。わたしはこの最後の者にもあなたと同じように与えたいのだ。わたしが自分のもので自分の望むことを行なってもよいではないか。それとも、わたしが善良なので、あなたの目がよこしまになるのか」。このように、最後の者が最初に、最初の者が最後になるでしょう」」(マタイ20:1~16)。

 このマタイの福音書に記されている家あるじ、ぶどう園の持ち主はエホバ神でぶどう園は当時のイスラエル国民です。ぶどう園の働き人たちは、律法契約に入れられた人々であり、特にイエスの使徒たちの時代に生きているユダヤ人のことです。賃金契約は、丸1日働く人々とだけ結ばれます。当時賃金は1日の仕事に対して1デナリです。「第三時」とは午前9時のことなので、第三時、第六時、第九時、第十一時に呼ばれた人たちはそれぞれ9時間、6時間、3時間、1時間だけ働きます。

 12時間、つまり丸1日働く人々は、当時宗教上の奉仕に絶えず従事してきたユダヤ教の指導者たちを表わしています。彼らは、生活の大部分を漁業や他の世俗の仕事をすることに費やしてきたイエスの弟子たちのようではありませんでした。「家あるじ」は、西暦29年の秋になって初めてイエス・キリストを遣わして、それらの人々たちを集めてイエスの弟子としました。こうしてイエスの弟子たちは、「最後の者」、つまり第十一時に呼ばれたぶどう園の働き人になりました。

 ついに、象徴的な仕事日が、イエスの贖いの死と共に終わり、働き人たちに賃金の支払いをする時が来ます。異例な取り決めに従って、最後の者が最初に1デナリの支払いを受けますその時、最後の者も1デナリ受け、最初の者も1デナリの支払いを受けますが、最初の者は長時間労働を合意に基づき行ったにもかかわらず、不平を述べました。

 1デナリの報酬を受け取るのは、イエスが贖いの死を遂げたときではなく、「管理の者」であるイエス・キリストがご自分の弟子たちの上に聖霊を注がれる西暦33年のペンテコステの時です。それらイエスの弟子たちは、「最後の者」、すなわち、第十一時の働き人のようです。1デナリは、聖霊の賜物それ自体を表しているわけではありません。1デナリは、イエスの弟子たちがこの地上で用いるものです。それは、弟子たちの暮らしや永遠の命を意味するものです。それは神の王国を宣明する為に油注がれた霊的なイスラエル人になるという貴重な特権です。油注がれたクリスチャンたちは神の王国政府の王イエスと共に、神の王国の共同支配者としての特権を与えられます。

 最初に雇われた人たちはやがて、イエスの弟子たちが支払いを受けたことに気付きます。イエスの弟子たちが象徴的なデナリを用いていることを目にします。ところが、最初の者たちは、聖霊やそれに関連した神の王国政府での特権以上のものを望みます。彼らの不満やつぶやきは、ぶどう園の「最後の働き人」である、イエス・キリストの真の弟子たちを迫害するという形を取ります。使徒たちが1世紀にどのように迫害を受けたかは、聖書の使徒たちの活動に記されています。

 イエスのぶどう園の働き人の例えの成就は、この1世紀における成就だけで終わるのでしょうか。そうではありません。この20世紀から21世紀のキリスト教世界の僧職者たちは、その立場や責任のゆえに、神エホバの象徴的なぶどう園での仕事のために雇われた「最初の者」となってきました。彼らは、ものみの塔聖書冊子協会と交わる献身したエホバの証人の油注がれたクリスチャンたちを、神エホバへの奉仕において正当な割り当てを持つ者の「最後の者たち」とみなしました。しかし、実際には、デナリ、すなわち神の王国政府の王イエスと共に働く共同支配者・油注がれた大使として仕えるという誉れ・特権を受けたのは、僧職者たちが見下げた、まさにそれら油注がれたクリスチャンたちの「忠実で思慮深い奴隷たち」でした(マタイ24:45~47)。イエスの教えられたぶどう園の働き人の話しは、現在にまで及び、その教えが現在どのように成就しているかを確証することができるのです。

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        雨に濡れ ボケの赤 映えており 今日の一句

                       庭の小雨の中の「ボケの花」

 

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