お隣の庭に芍薬の花が奇麗に咲いています。
この花は美しい女性の立ち居振る舞いに例えられる花です。
美しい女性の立ち居振る舞いを表す言葉に、
「立てば芍薬、座ればボタン」という言葉があります。
この花の原産地は中国、朝鮮半島です。
用途は切り花、鉢植え、花壇、薬用です。
花言葉は「優美」と紹介されています。
今日は芍薬の花とヒルサキツキミソウの花とネギ坊主を紹介致します。
1.芍薬の花
2.お隣の庭のヒルサキツキミソウの花
2.近くの畑のネギ坊主
お隣の庭に芍薬の花が奇麗に咲いています。
この花は美しい女性の立ち居振る舞いに例えられる花です。
美しい女性の立ち居振る舞いを表す言葉に、
「立てば芍薬、座ればボタン」という言葉があります。
この花の原産地は中国、朝鮮半島です。
用途は切り花、鉢植え、花壇、薬用です。
花言葉は「優美」と紹介されています。
今日は芍薬の花とヒルサキツキミソウの花とネギ坊主を紹介致します。
1.芍薬の花
2.お隣の庭のヒルサキツキミソウの花
2.近くの畑のネギ坊主
聖書にはダビデ王は、民を連れ出し、石切り、鉄の刃物や鉄のおのを使ったきつい仕事をさせたことが記されていました。これは王として住民の福祉に反する行為でした。
引き続き聖書には次の内容が記録されています。
「ダビデの子アブサロムにはタマルという美しい妹がいた。ダビデの子アブノンはタマルに恋をした。アムノンは妹タマルのことで思い悩み、具合いが悪くなるほどだった。彼女は処女で、アムノンは彼女に何もできそうになかったからである。アムノンには、ダビデの兄弟シムアの子で、エホナダブという名の友人がいた。エホナダブは利口な人だった。エホナダブは言った。「王の子であるあなたが、どうして毎朝そんなに思い悩んでいるのですか。話してくれませんか」。アムノンは言った。「タマルに恋をしているのです。私の弟アブサロムの妹です。」。エホナダブは言った。「ベッドに横になり、病気のふりをしなさい。あなたの父上が見舞いに来たら、こう言うのです。「妹のタマルがここに来るようにしていただけませんか。私が食べる物をタマルに用意させてください。目の前で彼女が病人のための食事を作って出してくれるなら、食べます」。」(サムエル第二13:1~5)。
上の聖句に記されている通り、ダビデの子アブサロムには美しい妹タマルがいて、そのタマルにダビデの子アブノンが恋をして思い悩んでいました。エホナダブと言う利口な人が、アブノンに病気のふりをして、タマルが食事の用意にくるようにし、食事を作って出してくれたら食べるように、と知恵を授けました。
さて、事態はどのように進展するでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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タンポポの 胞子の知恵の 深きこと 今日の一句
道辺の「タンポポの胞子」
私が3歳の時に、第二次世界大戦の終戦の前に
宇和島大空襲がありました。
その大空襲の時、私は父親に抱かれて、
100m位離れあ所にある「金堀山(かねほりやま)」と
呼ばれていた防空壕があり、そこに逃げ込む姿を覚えています。
その防空壕に逃げて行く道から街が真っ赤に焼けている様子が
鮮明に残っています。
防空壕内は地域の方々が非難してきており、赤ちゃんの
鳴き声がしていました。すると誰かが「赤ちゃんを泣かすな!
B29に聞こえる!」と怒鳴っていたのも覚えています・・・
我が家には街に住む親族が疎開してきて住んでいましたが、
空襲警報が鳴ると、親族は真っ先に裸電球の傘に光が外に
漏れないようにする専用のカバーをかけ、新しく作った
家族用の防空壕に逃げて、B29が飛び去るのを見ていたのも
記憶に残っています。
街に住んでいた父親の姉は焼夷弾の直撃を受け、父が遺体の
かたずけに言った時に、そこには「はらわた」も何もない
姉の姿があった、と、戦争の恐ろしさを知らされました。
「戦争許すまじ」です。
聖書には戦いの道具・兵器を平和の道具に打ち返すように勧める言葉があります。
イエス・キリストは「平和を作り出す人たちは幸いです」と
教えられました。平和を作り出すように努力したいものです。
下は既に紹介済みの写真です。
1.満開に咲いていたツツジの花
2.満開に咲いていたチューリップの花
3.庭に咲いていた椿の花
4.まだ庭に咲いているモッコウバラの花
5.丸山公園に咲いていた八重桜(八重桜は塩漬けにし、お湯を入れて飲むと風情のある飲み物になります)
聖書には、ヨアブは戦いで功績を残しましたが、ダビデの功績となるように謙遜に対処したことが記されていました。引き続き聖書にはダビデ王について次のように記されています。
「それでダビデは全軍を集めてラバに行き、戦って攻め落とした。そしてマルカム(偶像)の頭から冠を取った。それは34キロの金でできた冠で宝石が付いており、ダビデの頭に置かれた。ダビデは都市から非常に多くの物を奪った。また、都市にいた民を連れ出して、石切り、鉄の刃物や鉄のおのを使う仕事、(重労働の)れんが作りを行わせた。アンモン人の全ての町に対してそのようにした。やがてダビデと兵士たち皆はエルサレムに帰った。」(サムエル第二12:29~31)。
上の聖句に記されている通り、ダビデ王は主さ34キロの宝石の付いた金の冠をマルカムの頭から取って自分の頭に置いたことが記されています。重さ34キロの冠を頭に置くと活発に動くことはできなかったのではないか、と思います。さらにダビデは都市から多くの物を奪い、民を連れ出し、きつい労働に就かせています。ダビデ王は民の福祉に貢献すべきでした。
引き続き聖書は何を記録しているでしょうか。次回にお伝え致します。
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菜の花の 少し残りし 道辺行く 今日の一句
庭に咲いている「紫カタバミの花」
私の母に関する記憶で一番古いものは、
第二次世界大戦中の2歳の時のものです。
80年前の母の思い出です。
丁度綿雪がちらちら舞っていて、農業用の池の
傍の傍を母親に背おられている状況でした。
綿雪が時々顔に舞い落ち、「防空頭巾」をかぶっていたのも
覚えています。「防空頭巾」は母の手作りで、木綿の布に
2cm位の綿を入れて作られ、とても暖かでした。
母に背おられていたので、綿雪の舞う中、母の白いうなじが
目の前にあり、今も鮮明に覚えています。
母の実家に行くと今も当時の農業用の池が残っており
そこを通ると、母に背おられてそこを通っていた
記憶がよみがえります。
皆様方の母親に関する一番最初の思い出はどのような思い出でしょうか。
1.下の写真はパンフラワーの先生に頂いたパンフラワーの作品です。