愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

5月の俳句(その6)

2017-05-31 23:43:49 | 趣味の俳句

 早くも明日からは6月です。

 5月の下旬は、しばしば夏日の気温になり、真夏日の気温にもなりました。

 田んぼの稲も青々として順調に育っています。

 次郎柿の実は摘果作業の時期になっています。

 日々は飛ぶようにすぎますが、果樹は順調に育っています。

 皆様方のお住いの地方は如何でしょうか。

 今日は5月26日~31日までに詠んだ俳句を紹介致します。 

         走り寄り 文旦恵む 老婦人

         老夫婦 清美タンゴール 分け与う

         美しや ポピーは風に 蝶に見ゆ

         新緑や 里の国道 心地よし

         山間地 ドクダミの花 続く道

             青々と 梅の実貴重 出荷かな

             5月にも 真夏日多し 異変かな

             枇杷の実の パック並びし 道の駅

             枇杷の種 滑らかなりや 口の中

             オニヤンマ リビングに入り 休みおり

                     爽やかな「鉢植えのサツキ」

                   裏の畑に咲いている「オリーブの花」

                        薬草の「ドクダミの花」

                  リビングに入り「休んでいたオニヤンマ」

                      可愛いい花弁の「ポピー」

 

 

 

 

 

 

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淡いピンクと白のサツキと越後のヒメサユリ

2017-05-31 23:35:35 | 四季折々の花々

 お訪ねした家の庭に鉢植えの淡いピンクと白のサツキがさいていました。

 サツキはツツジの一種ですが、とても爽やかな雰囲気を放っています。

 サツキの花は鉢植え、庭植えで楽しまれる方が多いようです。

 今日は淡いピンクと白のサツキと越後のヒメサユリを紹介致します。

                      爽やかな鉢植えの「サツキの花」

                     新潟の写真家の提供の「ヒメサユリ」

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イエス・キリストの親切なサマリア人の例え話は何を教えていますか?

2017-05-31 21:57:42 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストを試そうとして、律法に通じた人がイエスに「何をすれば、わたしは永遠の命を受け継げるでしょうかと尋ねました。すると、イエスは「律法には何と書いてありますか、あなたはどう読みますか」と、質問しました。律法に通じた人は、次のように答えました。「あなたは、心を込め、魂をこめ、力をこめ、思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」、そして、「あなたの隣人を自分自身のように愛さねばならない」」」。この答えにイエスは「あなたは正しく答えました。「このことを行ないつづけなさい。そうすれば(永遠の)命を得ます」」とお答えになられました。すると、その律法に通じた人は、自分が義にかなっていることを示そうとして「わたしの隣人とはいったいだれでしょうか」と、尋ねた時、イエスは親切なサマリア人の例えを話されました(マタイ10:23~29)。イエスは親切なサマリア人の例え話しを通して、隣人とは、①国籍や人種に関わりなく、接する人すべてが隣人であること。②憐れみ深く善良な振る舞いを行なう人であることを教え、自分自身が隣人であると思うなら、イエスの教えを守り行うように、分かりやすい例え話を用い、教えられました。マタイの福音書にイエスの親切なサマリア人の例え話が次のように記されていますので、熟読くだされば嬉しく思います。

 「しかしその人(律法に通じた人)は、自分が義にかなっていることを示そうとしてイエスに言った、「わたしの隣人とはいったいだれしょうか」。イエスは答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中で、強盗に襲われました。彼らはその衣をはいだうえに殴打を加え、その人を半殺しにて去って行きました。さて、たまたま、ある祭司がその道路を(エルサレムから)下って行くところでしたが、その人(裸にされ、半殺しにされた人)を見ると、反対側を通って行ってしまいました。同じようにひとりのレビ人もまた、そこに来て彼(裸にされ、半殺しにされた人)を見ると、反対側を通って行ってしまいました。ところが、その道路を旅行していたあるサマリア人がやって来ましたが、彼を見て哀れに思いました。それで、その人に近づき、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやりました。それから彼を自分の畜獣に乗せ、宿屋に連れて行き世話をしたのです。そして次の日、デナリ二つ(2日分の賃金)を取り出し、それを宿屋の主人に渡して、こう言いました。「この人の世話をしてください。そして、何でもこれ以外にかかるものがあれば、わたしがここに戻ってきたときに返しますから」。これら三人のうちだれが、強盗に襲われた人に対して隣人になったと思いますか」。彼は言った、「その人に対して憐れみ深く行動した者です」。するとイエスは言われた、「行って、あなたも同じようにしてゆきなさい」」(マタイ10:29~37)。

 上記の例え話のエルサレムからエリコに下って行く人は、エルサレムの神殿での職務にあった人と思われます。その人が強盗に襲われ、裸にされた上、殴打を受け半殺しにされ置き去りにされました。本来助けるべき人は、イスラエルの祭司または、レビ人は即座に憐れを示し、救助し、傷の手当をすべきでした。しかし、同じ民族でありながら、憐れみ深い行動を取りませんでした。しかし、イスラエル人ではない、サマリア人は、裸にされ半殺しにされた人を見るや、哀れに思い、傷の手当てをしただけではなく、宿屋に連れて行って世話をしています。それだけではなく、宿屋の主人に2日分の賃金を渡し、必要な世話を依頼しています。しかも、お金が不足した場合には、そこに帰った時に支払うことまで約束しています。交渉のなかったイスラエル人にサマリア人は、単に親切を超えて善良な振る舞い、憐れみ深い行動を示しました。このイエスの親切で善良なサマリア人の例え話しを通して、隣人とはどのような人かを明確に教えられました。あなたも、他の人に憐れみ深く行動出来る人なら、まさしく真の隣人ということができるでしょう。

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        枇杷の実の パック並びし 道の駅 今日の一句

                    庭に咲き始めた「アジサイの花」

 

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オリーブの花と紫カタバミの花

2017-05-30 23:56:57 | 四季折々の花々

 裏の畑にオリーブの苗木を植えて、何年も経ちましたが、

 オリーブの実は昨年も2,3個実っただけでした。

 背丈は2.5m位に伸びています。

 今年は。そのオリーブの木が沢山の花を咲かせました。

 オリーブの実が実るのを楽しみにしています。

 オリーブの花はとても小さく群れて咲き、

 気の傍に行かないと、花が分かりません。

 今日はオリーブの花と紫カタバミを紹介致します。

                   裏の畑で沢山咲いた「オリーブの花」

                     庭に咲いている「紫カタバミ」

 

 

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あなたは、イエスが教えられた許されることのない罪をご存知ですか?

2017-05-30 23:35:34 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは偽りの宗教指導者の書士やパリサイ人たちに、「わたしの側にいない者はわたしに敵していおる」と、明確に教えられました(マタイ12:30)。ついで、イエスは許されることのない罪は「聖霊に言い逆らう」ことであることを、次のように教えられました。

 「「このようなわけであなた方に言いますが、人はあらゆる種類の罪や冒とくを許されますが、霊(聖霊)に対する冒とくは許されません。たとえば、人の子(イエス)に逆らう言葉を語るのはだれであっても、その者は許されるでしょう。しかし、聖霊に言い逆らうのがだれであっても、その者は許されないのです。この事物の体制においても、また来るべき体制においてもです」」(マタイ12:31,32)。

 イエスは神エホバが決して許すことない罪は、「聖霊に言い逆らう」ことであることを明らかにされています。この「聖霊」とは何でしょうか。「聖霊」とは神エホバの活動する力のことです(創世記1:2)。聖書を調べると、偉大な創造者エホバ神がご自分の目的を成し遂げ、ご意志を実行する手立てとしての活動する力であることが分かります。その活動する力は、無から有生のものの命を生みだしました(創世記1章参照)。また生殖力の源でもあります(ガラテア4:28,29)。さらに、神の僕たちのために用いられた聖霊の働きもあります。ヨセフはファラオの預言的な夢を解き明かすための聖霊の助けが与えられました(創世記41:16,25~39)。また、イエスの弟子たちは「聖霊に導かれ」、つまり神エホバの活動する力によって正確な情報を伝えられ、心を動かされ、また導かれました(ペテロ第二1:20,21.サムエル第二23:2.ゼカリア7:12.ルカ1:67;2:25~35.使徒1:16;28:25)。さらに大切な点は、み子イエスは聖霊をもって油注がれました(マルコ1:10、ルカ3:22;4:18.使徒10:38)。聖書も神エホバの聖霊の働きによって書き記されており、聖書は神エホバの言葉です(イザヤ50:4,5.コリント第一2:13~16.エレミヤ23:16.エゼキエル13:2,3,17)。

 ですから、簡単に「聖霊に言い逆らう」とは、聖書に記された神エホバの言葉・イエスの言葉とエホバのご意志に逆らう」ことを意味しています。ですから、イエスの指示、つまりエホバのご意志通り、現在240の国や地域で神の王国の良いたよりが宣明されていますが、言い逆らうことなく、心を整え、こたえ応じる方々は幸いなのです(マタイ24:14.ルカ4:43)。イエスは有名な山上の垂訓の始まりの言葉の中で、「霊的な必要・神エホバから出る教えの必要を自覚している人たちは幸いです」と教えられた通りです(マタイ5:3)。

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        5月にも 真夏日となる 異変かな 今日の一句

                   お訪ねした家の庭植の「桜バラ」

 

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