愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

日本水仙とカラス

2016-02-05 23:24:00 | 四季折々の花々

 日本水仙は寒さに強く、とても清かな香りと共に気品のある花です。

 水仙は生け花にしておく場合も、暖かい部屋は長持ちしなく、

 暖房のない所が長持ちします。

 花期は12月~4月です。

 花言葉は「私の美貌」と紹介されています。

 今日は日本水仙とカラスを紹介致します。

                        ご近所の庭の「日本水仙」

           雀の餌を狙って餌場の上の電線から様子を見る「カラス」

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あなたは、イエスが「自分の苦しみの杭を取り上げて」従いなさい、と教えた意味をご存知ですか?

2016-02-05 23:06:12 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは弟子たちに、偽りの宗教指導者たちから多くの苦しみ・迫害を受け、かつ殺され三日目によみがえらされる・復活されることを予告しました。しかし、弟子たちはまだその意味を十分理解をしていませんでした。ペテロが師イエスを、「主よ、ご自分を大切になさってください。あなたたは決してそのような運命にはならないでしょう」と叱りました。その時、イエスはペテロに「わたしの後に下がれ、サタンよ!」と叱責し、「あなたは、神(エホバ)の考えではなく、人間の考えを抱いている」と教えられました(マタイ16:21~23)。イエスにとって、神エホバのご意志・目的を従順に成し遂げることが第一の優先事項だったのです(フィリピ2:5~9)。次いで、イエスは弟子たちに、だれでも「自分を捨て、自分の苦しみの杭を取り上げて、絶えずわたしのあとに従いなさいと、教えられた場面が次のように記されています。イエスの弟子・クリスチャンとして歩むことの重要な教えです。このイエスの言葉は何を意味しているのでしょうか。

 「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしに付いて来たいと思うなら、その人は自分を捨て、自分の苦しみの杭を取り上げて、絶えずわたしのあとに従いなさいだれでも自分の魂(命)を救おうと思う者はそれ(命)を失うからです。しかし、だれでもわたし(イエス)のために自分の魂(命)を失う者はそれ(命)を見いだすのです。というのは、全世界をかち得ても、それによって自分の魂(命)を失うなら、その人にとって何の益になるでしょうか。また、人は自分の魂(命)と引き換えに何を与えるのでしょうか。人の子(イエス)は、自分の使いたちを伴って父(エホバ)の栄光のうちに到来することに定まっており、その時、各々にその振る舞いに応じ返報するのです。あなた方に真実に言いますが、ここに立っている者の中には、人の子(イエス)が自分の(神の)王国をもって到来するのをまず見るまでは決して死を味あわない者たちがいます」(マタイ16:24~28)。

 イエス・キリストは、弟子たちに「だれでも」イエスの追随者・弟子として歩みたいと思うなら、「自分を捨て、分の苦しみの杭を取り上げて、絶えずわたしのあとに従いなさいと、教えられました。「自分の苦しみの杭を取り上げる」とは、どのような意味でしょうか。その意味を簡単に説明すれば、イエスの追随者・弟子・クリスチャンとして歩むのは易しいことではないと説明されているのです。イエスご自身は苦しみの杭の上で贖いの死を遂げるまで、み父エホバに全き従順を表し、神エホバのご意志を完全に行われました(フィリピ2:8)。ですから、「自分の苦しみの杭を取り上げる」とは、他の人の救いのために自分の命を差し出すことを意味しています。ですから、イエスの真の追随者・弟子、つまりクリスチャンとして歩むことは易しいことではないことを銘記するように促しておられるのです。このイエスの教えは、現在までも適用されます。なぜならイエスは、イエスの弟子、つまりクリスチャンとして歩む者は「だれでも」と述べておられるからです。

 さらに、イエスはだれでもわたし(イエス)のために自分の魂(命)を失う者はそれ(命)を見いだすのです」と、保証されました。イエスのために自分の命を失う者とは、真のイエスの追随者・クリスチャンとて歩むゆえに苦しみ・迫害を受け、たとえ死に至ることがあるとしても、真の命を見いだすことができる、つまり義の宿る地上の楽園に復活させて頂き永遠の命を受ける保証がある事を教えてくださったのです(ペテロ第二3:13)。またイエスのために命を失うとは、神エホバに対して忠誠を保ち命を失うことを意味しており、神エホバは、そうした忠実なご意志を行う民の示した愛を決せして忘れることはなく、真の命への報いを与えてくださるのです(ヘブライ5:10)。命に勝る大切なものはなく、神エホバはみ子イエスを通して永遠の命の道を開いてくださっているのです(ヨハネ3:16.ペテロ第二3:13.啓示21:3,4)。加えて、イエスは、「自分の使いたちを伴って父(エホバ)の栄光のうちに到来することが定まっている」と述べておられます。これはイエスが神の王国政府の王として、地上に裁きを執行する時が定まっており、み使いを伴って、エホバのご意志を行なわない邪悪な者たちを処断する日のことを述べておられるのです(啓示19:11~21)。その裁きの時には、「各々にその振る舞いに応じて返報する」と断言されています。どのような振る舞いかは、羊とやぎをわける業について、マタイ25章31節~46節に記され、そこに記されている各自の振る舞いによって、羊として選ばれる人々は永遠の命・真の命に導き入れられます(マタイ25:46,46)。イエスの弟子たちの内の油注がれた14万4千人のクリスチャンは、神の王国政府の王イエスと共に不滅の命を頂くのです(啓示14:1~5)。

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