裏庭にリンゴの木を2本植えているのですが、
今年はリンゴ1個が実を付けています。
こちらはミカンや柿の産地で、暖かい地方なので
リンゴの木は見かけません。
どのような味のリンゴになっているか愉しみにしています。
今日は温かい地方に実ったリンゴと白色ムクゲを紹介致します。
暖かい地方に実った「一個のリンゴ」
庭に次々と咲く「白色ムクゲ」
- 花びらがとても薄くてソフトです -
裏庭にリンゴの木を2本植えているのですが、
今年はリンゴ1個が実を付けています。
こちらはミカンや柿の産地で、暖かい地方なので
リンゴの木は見かけません。
どのような味のリンゴになっているか愉しみにしています。
今日は温かい地方に実ったリンゴと白色ムクゲを紹介致します。
暖かい地方に実った「一個のリンゴ」
庭に次々と咲く「白色ムクゲ」
- 花びらがとても薄くてソフトです -
イエスの教えられた通り、神の王国の良いたよりを携え、家から家に伝道致しますが、多くの方々は、復活など有得ない、と否定的なお考えを述べられます。それは止むを得ないことだと思います。長い間人類はアダムの子孫ゆえに、罪と死を受け継ぎ、死から逃れることができないことを経験してきたからです(ローマ5:12)。しかし、神エホバはみ子イエスを地上に遣わされ、神の王国が地上に楽園を回復した後に、それまでに亡くなった人を、その楽園に復活させる力を有していることを、実際に死者の復活を示し、保証してくださいました。聖書には「義者と不義者との復活がある」と保証の言葉が記されています(使徒24:15)。神エホバに仕えていて亡くなった人・義者と、そうでなかった人・不義者の復活が公正に行われるのです。その備えにみ子イエスは、人類が受け継いだ罪と死からの解放のために贖いの死を遂げられました(ヨハネ3:16)。その贖いの死の適用は義の宿る地上に新しい社会・楽園が回復した以降になります(ペテロ第二3:13.啓示21:4)。
神エホバはアブラハムの息子イサクの命を取られなかったので、その時に復活は不用でした。しかし、エリアの場合、やもめの一人息子は、死後間もないとはいえ、すでに死んでいました。ところが、エリアの信仰に対する報いとして、神エホバはその子を復活させます。そこでエリヤは生き返った息子を母親に手渡し、「ご覧なさい、あなたの息子は生きています」という、忘れがたい言葉を述べました(列王第一17:22~24)。
これは、神エホバが人間の命を回復させるためにご自分の力をお用いになった聖書の最初の記録です。後に神エホバは、エリシャ、イエス、パウロ、ペテロにも、死者を命へと回復させる力を与えました。言うまでもなく、この事物の体制下では復活した人々はやがて老化しやがて死に至りました。とはいえ、こうした聖書の記録は、来たるべき事柄・新しい義の宿る社会、楽園で生じる素晴らしい予告編となっています。
まもなく回復される地上の楽園においてイエスは、「復活であり、命である」というご自分の役割を神の王国の王として果たされます(ヨハネ11:25)。地上の楽園が回復されると、数えきれないほど大勢の人々を復活させ、地上のパラダイスで永遠に生きる機会を与えてくださいます(ヨハネ5:28,29)。愛する家族や友を死によって長い間隔てられていた時を経て、再会し抱き合い、まさに喜びで歓呼し、我を忘れるほどになる時のことを想像してみてください。その時、神エホバのご意志を守り行なって来た人々も、それまで神エホバのことを学ぶ機会のなかった人たちも、死者を命に回復させる力を持たれる神エホバを賛美するに違いありません。偉大な創造者エホバ神に近づかれる方々は幸いです(ヤコブ4:8)。
次回も、「死者に命を回復する」神エホバの回復させる力についてお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。
姉妹逝き 追悼式の 梅雨晴れ間 今日の一句
心の和む「食卓のバラ」
庭に次々と白色ムクゲの花が咲いて来ます。
梅雨の晴れ間の日差しを浴びて清潔さを放っています。
花期は花図鑑では8月~9月と紹介されています。
温暖化の影響と思いますが花期の時期がずれて来ています。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「強い精神力」と紹介されています。
今日は白色ムクゲと6月のバラの花を紹介致します。
庭で次々と咲く「白色ムクゲ」
かかりつけの医院の「鉢植のバラ」
私たちが人生の中で、最も辛く悲しい思いに打ちひしがれ、また無力感に包まれる時は、愛する家族を亡くした時です。皆様方の中にも、そのようなご経験をされた方がいらっしゃるかも知れません。愛する家族の死を経験しなくて済むようになれば、どんなにか、良いだろうかと思いましたが、聖書を学ぶまで、イエス・キリストが、実際に死者の復活をさせ、将来そのことが行われる証拠を見せて下さっている、その事実も知りませんでした(ヨハネ11:1~44.ルカ8:4956)。聖書を学び、復活の約束を知った時、それまでの悲しみの気持ちが、愛する家族との回復される楽園の地での再会に希望が抱けるようになり、その日を楽しみに想い描けるようになりました(使徒24:15)。
西暦1世紀、サドカイ人と呼ばれる一部の宗教指導者は復活を信じませんでした。イエスはその人たちをたしなめ、「あなた方は間違っています。聖書も神(エホバ)の力も知らないからです」と言いました(マタイ22:29)。そうです、神エホバの言葉の聖書は、そのような死者の命を回復させる力をエホバがお持ちであることを明らかにしています。どのようにでしょうか。
エリヤの時代の出来事を思い出してください。あるやもめが、独り息子のぐったりしたした体を腕に抱えています。その子は死んでいます。しばらくの間、そのやもめの客となっていた預言者エリヤは、愕然としたに違いありません。エリヤはその子を餓死から救う手助けをしたことがありました。その子に愛情を感じていたことでしょう。母親は、ただただ悲嘆に暮れています。その子は、亡くなった愛する夫の唯一の忘れ形見だったのです。年を取ったら息子に面倒を見てもらえると期待していたかも知れません。やもめはひどく取り乱し、過去の何らかのとがの罰を受けているのではないかと、おびえています。エリヤは、あまりに痛ましいこの様子を見て、いたたまれなくなります。子供のなきがらを母親の懐から優しく受取り、自分の部屋に抱えて上がります。そして、その子の魂、つまり命を回復させてくださるよう、神エホバに願い求めます(列王第一17:8~21)。
復活を信じたのはエリヤが最初ではありませんでした。これよりも幾世紀も前に、アブラハムは、神エホバにはそのような命を回復させる力があると信じていました。それには、十分の根拠がありました。アブラハムが100歳、妻のサラが90歳の時、神エホバはいわば死んだ生殖力を回復させ、サラに子を産ませるという奇跡を行われたのです(創世記17:17;21:2,3)。後にその男の子イサクが一人前になった時、神エホバはアブラハムに、息子を犠牲としてささげることを求めました。アブラハムは信仰を示し、愛する息子イサクを命に回復させることも神エホバには可能であると考えました(ヘブライ11:17~19)。アブラハムは息子イサクをささげるために山に登る前、アブラハムが従者に向かって、イサクを連れて戻って来ると明言したのは、そうした極めて強固な信仰のゆえだったのです(創世記22:5)。
次回も「死者に命を回復する」という内容でお伝え致します。引き続きお読みくださり、神の王国の良いたよりをご理解してくだされば嬉しく存じます。
ナメクジの 這いし跡あり 朝の庭 今日の一句
裏庭で実った「キューイフルーツ」
越後の写真家が、蒸し暑さも忘れる、美しく心を魅了する
フクシアを紹介されていました。
雨に濡れた見事なフクシアの作品から心地よさを
味わってくだされば幸いです。
この花は、夏の高温多湿には弱いのでお世話に
注意深さが求められるようです。
花期は4月~6月と紹介されています。
用途は鉢植えです。
花言葉は、私の花図鑑では「上級嗜好」と紹介されています。
今日は越後のアクシアと姫ヒマワリを紹介致します。
越後の写真家の提供「フクシア」
庭に咲いている「姫ヒマワリ」