白梅や紅梅を切り花で楽しむ方も多いようです。
暖冬で、あちこちに白梅が咲いています。
白梅は清楚な美しさがあります。
花言葉は「上品な美しさ」と紹介されています。
今日は白梅と赤の椿を紹介致します。
清楚で美しい「白梅」
美しい「椿」
白梅や紅梅を切り花で楽しむ方も多いようです。
暖冬で、あちこちに白梅が咲いています。
白梅は清楚な美しさがあります。
花言葉は「上品な美しさ」と紹介されています。
今日は白梅と赤の椿を紹介致します。
清楚で美しい「白梅」
美しい「椿」
イエス・キリストは仲間の兄弟が何かの罪を犯した場合に、クリスチャン会衆の長老・監督たちが聖書に基づき祈りのうちに司法上の裁きを行う場合、「地上で縛る」、つまり罪に定める場合、それは天のみ父エホバもその通りに罪に定められること、またその兄弟が悔い改めを示し「地上で解く」、つまり、許しを与える場合には、天の父エホバもその通りにお許しになることを教えられました(マタイ18:18~20)。クリスチャン会衆の長老・監督たちはには、司法上の審理を扱う場合には、重い責任が伴うことを教えられました。こうしたイエスの教えに対し、ペテロが、自分の兄弟が罪を犯した場合に許すのは「七回までですか」と、イエスに尋ねた時、イエスは「七十七回までです」と答えられました。このイエスの教えは、兄弟を許す回数に制限を設けてはならない、つまり悔い改めるなら制限を設けずに許すように教えられました。それは、神エホバのご意志でした。その教えの場面がマタイの福音書に次のように記されています。
「その時ペテロが寄って来て、こう言った。「主(イエス)よ、兄弟がわたしに罪をおかすとき、わたしはその人を何回許すべきでしょうか。七回までですか」。イエスは彼(ペテロ)に言われた、「あなたに言いますが、七回までではなく、七十七回までです」」(マタイ18:21,22)。
弟子のペテロは、兄弟を許すことについて、自分は憐れみ深いことを示して「七回までですか」と、イエスに尋ねました。当時のユダヤ人の宗教指導者たちは3回まで許すように提唱していたので、使徒ペテロは「七回まで」と述べることによって、自分が寛大で憐れみ深いと考えたのかも知れません。ですから、イエスがペテロに「七回まではなく、七十七回までです」と教えられたことに驚いたかも知れません。イエスのこの教えは上記に記しましたように、兄弟が悔い改めるなら、許す回数に制限を設けてはならないことを示しておられたのです。イエスの神エホバのご意志を教える方法・内容は、一度聴くと深く心の中に残る内容となっています。私たちのお父さんでもある神エホバは、私たちが何度も何度も誤りを犯しても、性急に裁きを執行しないで、惜しみなく許してくださっていますので、兄弟が自分の非を率直に認め、悔い改めを示すなら、エホバ神の模範に見倣い、私たちも互いに忍び、惜しみなく許す必要があるのです(コロサイ3:13)。
イエスは、引き続き、み父エホバが愛の神であり、辛抱強く、憐れみ深い神であるゆえに、許すことに関する教訓を、ある例え話で教えられたことがマタイの福音書に記されています。その内容は次回にお伝え致します。
被災地の 復興願い 春めぐる 今日の一句
市内アーケード街入口「きさいやロード」
ー 右のお店のコーナーにJWのカートを用いた証言の姿が見えます -