私がまだ3歳の時の記憶ですが、終戦を迎え
松山市に衛生兵として徴兵されていた父が、
「広島にピカドンが落ちた!」と言って帰って来ました。
私はまだ「ピカドン」とは何かを知りませんでした。
恐らく父も「ピカドン」とは何かを知らず、
周りでそのように言われていたのを聞いて、
伝えてくれたのだと思います。
私が父の言った「ピカドン」の意味を知ったのは
小学5,6年生になった時、学校から引率され、戦争の記録映画
を観に言った時でした。中学1年になると社会科で学びました。
記録映画では広島に原爆が投下され、焼け野が原になり、
橋のたもとに熱で蒸発した人の影が残っている映像や多くの被爆死した人々の表現のしようのない屍の記憶が、今でも消えないで残っています。それはそれは恐ろしい光景でした。戦争の歴史の中で最も悲惨で野蛮な原爆が用いられたのです。物理学上の取り返しのつかない誤用の大汚点となっています。
「ピカドン」の実態を知ったのは原爆投下の記録映画を観た時でした。
聖書は愛を培い、互いを愛し、平和を作り出すように教えています。
1.居間で咲いている胡蝶蘭