イエスが地上に遣わされて、神の王国の良いたよりを証しのために宣明された期間はわずか3年半の西暦29年秋から西暦33年の春まででした(ルカ4:43;8:1)。イエス・キリストの神の王国宣教期間中は、まだエルサレムの神殿での神エホバの崇拝行為は継続していました。イエスは神殿で、大群衆に偽りの宗教指導者の「書士たちに気を付けなさい」、「彼らは、やもめたちの家を食い荒らしている」と教えられた後(マルコ12:25,38~40)、神殿の宝物庫の箱の見える場所に座っておられました(マルコ12:41)。その時大勢の富んだ人と一人の貧しいやもめが来て自発的な寄付をした時のイエスの教えがマルコの福音書に次のように記録されています。その時のイエスの教えに注目してくだされば幸いです。
「それからイエスは(神殿の)宝物庫の箱の見えるところに座り、群集が宝物庫の箱の中にお金を入れる様子を見守っておられら。すると、大勢の富んだ人たちがたくさんの硬貨を入れていた。そこえ、ひとりの貧しいやもめがやって来て、小さな硬貨二つを入れた。それは価のごくわずかなものである。するとイエスは弟子たちを自分のもとに呼んでこう言われた。「あなた方に真実に言いますが、この貧しいやもめは、宝物庫の箱にお金を入れているあの人たち(富んだ人たち)たくさん入れたのです。彼ら(富んだ人たち)は自分の余っている中から入れましたが、彼女は、その乏しい中から自分の持っもの全部、その暮らしのもとをそっくり入れたからです」」(マルコ12:41~44)。
上の聖句に記録されている通り、イエスは、貧しいやもめの「小さな硬貨二つ」を宝物庫の箱、つまり寄付箱に入れた行為を、弟子たちに教訓として教えています。なぜ、イエスは貧しいやもめの「小さな硬貨二つ」の自発的な寄付行為を弟子たちに銘記させたのでしょうか。イエスは、貧しいやもめは「その乏しい中から」、持っているお金のすべてを「そっくり入れた」と、説明されています。イエスが教えられているのは、神エホバへの感謝を表す自発的な寄付行為は、金額の大小ではなく、神エホバへの全き信仰、全き心を神エホバが喜ばれる、と、いうことを教えておられるのです。このことから私たちも神エホバへの栄光と賛美を帰す奉仕は、全き心、全き信仰を持って行うかどうか、が大切であることを学ぶことができます。エホバは全き心の信仰を高く評価してくださるのです。高齢や病気で少しの奉仕でも、また貧しくても、全き心を込めた奉仕を高く評価してくださることを知るのは大きな歓びではないでしょうか。あなたも唯一まことの神エホバにお仕えする方々のお一人であれば幸いです。
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休みなく 花から花へ 秋の蝶 今日の一句
王国会館の「カンナ」