折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

敦賀鉄道ロマン

2022-03-06 | 鉄道写真

福井県敦賀港

最近は日本海側拠点港のひとつとして

国際コンテナの取り扱いを伸ばしているとのことだが、

その経済的伸長はともかく、いつ訪れても長閑な佇まいを見せてくれる。

 

けれども、その歴史を遡るとその長閑さとは裏腹に、

かつては日本有数の港で、地政学的にも重要な場所であったことを知ることになる。

その痕跡を残すのがこの建物、敦賀鉄道資料館だ。

敦賀鉄道史を後世に残そうと

鉄道ファンなら垂涎の資料が収められているが、

実はこの建物、かつてこの地にあった「敦賀港駅」を再現したものだ。

 

敦賀に初めて鉄道が敷かれたのは明治15年(1882年)、

長浜-敦賀間の鉄道が部分開業した。

日本で最も早く鉄道が開業したのが、明治5年の新橋-横浜間。

その後、京都-神戸間の開通に次いでの開業だから日本で三番目の鉄道路線ということになる。

大動脈の東海道を差し置いての開通、異例の早さと言える。

何故それほどまでに敦賀への鉄道敷設を急いだのか。

その理由がこの地図の中にある。

googleの日本地図をひっくり返しただけだが、

こうしてみると、ふだん何気なく眺めている日本海が

大きな湖のように見えてくる。

そして、対岸のウラジオストクと対峙する位置にあるのが敦賀。

明治政府は早くから大陸との関係を視野に入れ、

地政学上の重要地点として、敦賀への鉄道敷設を明治2年に廟儀決定していたのである。

 

その後、長浜-敦賀間は滋賀福井県境の山岳地帯を

トンネルで貫通し、明治17年に全線開通する。

柳ケ瀬線と呼ばれた当時の路線は、

大量輸送ニーズが高まった昭和30年代に

現在の北陸本線に切り替えられ、廃線となったが、

今でも、鉄道遺産として日本最古の鉄道トンネル、小刀根トンネル(明治14年開通)は当時のまま保存されているし

最後の難所を貫通した柳ケ瀬トンネル(明治17年開通)は現在、車道に転用されている。

 
   小刀根トンネル 

 


 柳ケ瀬トンネル

 

話を戻す。

敦賀がさらに脚光を浴びたのが明治45年(1912年)

今からちょうど110年前のことである。

ウラジオストク航路の開設、さらにはシベリア鉄道の全線開通により

東京とヨーロッパ各都市を一枚の切符で往来する経路が誕生した。

欧亜国際連絡列車の運行だ。

東京・新橋(東京駅はまだ開業していない)で列車に乗り込んだ乗客は

国内の終着駅、敦賀港駅(当時は金ケ崎駅)で

連絡船に乗り換え、海路ウラジオストクへ。

ウラジオストクからはシベリア鉄道を経由し終着のモスクワへ。

さらにモスクワからは放射状に張り巡らされた鉄道路線で

ヨーロッパ各駅をめざすことになる。

それまで、ヨーロッパへは喜望峰周りの海路のみ。

目的地によっては3~40日要したところが、

半分の行程に短縮されたという。

2019年の大河ドラマ『いだてん』にも欧亜国際連絡列車が登場した。

ストックホルムオリンピックのマラソン競技に出場する金栗四三(中村勘九郎)が

開業間もない欧亜国際連絡列車に乗り込むシーンだった。

国内の列車、そして港の風景について特段の解説はなかったが

目を凝らしてそのシーンに見入ったことを覚えている。

 

さて、再び今の敦賀港。

「RORO船」といって、輸送車両がコンテナを積んだまま乗船できるのだそうだ。

外海の荒波から守られるように、深い入り江の中に敦賀港はある。

当時、ヨーロッパに旅立つ人たちも、

形や大きさは違え船が浮かぶ穏やかな風景を

こうして眺めていたのかもしれない。

そして、ちょうど2年後、2024年3月には北陸新幹線が敦賀へと延伸する。

東京から敦賀をめざして再び列車がやって来るのだ。

欧亜国際連絡列車以来、実に110余年もの歳月を経て。

 


 
      "Last Train To London"    Jeff Lynne's ELO Live 2018 UK Tour


欧亜国際連絡列車はロンドンも繋いでいた。

その行程は15日だったいう。

 

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琵琶湖線...って?  鉄写同好会

2019-03-12 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログをご覧ください。高橋さんの写真記念館

 

今回、一日遅延しての運行となりました。

 

滋賀県長浜市  余呉駅付近にて     Sony α99  F2.8G/70-200㎜ (f/4.5,1/1000sec , ISO400) 

 

 金沢駅からから米原駅までは北陸本線のはずだが、

最近、琵琶湖線という路線名も聞いたりする。

ふと、この余呉は何線だろうかと調べてみたところ、

琵琶湖線というのはJR西日本東海道本線の京都駅から米原駅、

さらにJR西日本北陸本線の米原駅から長浜駅を指すのだとか。

けれど、あくまでも愛称とのこと。

だから、この余呉駅付近はぎりぎり北陸本線。

というか、れっきとした北陸本線。

これですっきりした気分!

ところで、京都大阪へは列車でよく出かけるものの、

琵琶湖線の米原―京都間には縁がない。

というのも、北陸から京都大阪へ向かう特急サンダーバードは

湖西線(地図でいうと琵琶湖の上側)を走るからだ。

いったん思い込んだら、琵琶湖線への興味は募るばかり。

それで、いろいろと調べるうちにこんな情報が見つかった。

琵琶湖環状線ぐるっと一周車窓旅 

これは朗報、あたたかくなったらぜひ乗ってみようと思った。

琵琶湖通い、範囲を広げてまだまだ続きそうだ。

 

 

 

 

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秘境、そしてまた秘境 新疋田駅 鉄写同好会

2019-02-11 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。


福井県敦賀市、新疋田駅。 


Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (f/5.6,1/800sec,ISO800)    

福井県と滋賀県の県境に位置する無人駅にして秘境駅。

そして、古ぼけた佇まいながら「新」がつく。

そのウンチクについては以前記しているので、興味のある方はご参照願いたい。

秘境駅の記録 北陸本線 新疋田駅 鉄写真同好会  2016.1.11

「廃線の記憶」 柳ケ瀬線 小刀根トンネル 鉄写同好会 2016.4.11

新疋田駅(福井県敦賀市)と鳩原ループ線  鉄写同好会  2014.5.11

 

さて、あらためて新疋田駅。

ここを訪れるたびに気になっていたことがあって、

それはこのあたり一円を表わす地名「愛発」のことだ。

「あらち」と発音するので、当て字に間違いないが、

敦賀(つるが)が古代朝鮮王朝の王子「ツヌガアラシト」由縁の地名であることを思うと、

おそらくは、有史以前の何らかの事情でそう呼ばれ始めたのだろう。

結局、地名そのものの謂れははっきりしないのだが、

この「秘境」がかつては歴史の表舞台にあったことがわかった。

奈良時代から平安時代初期にかけて、

ここには、不破の関、鈴鹿の関と並ぶ三大関のひとつ、愛発の関が置かれていた。

関は畿内防衛を目的とした軍事施設で、

その中でも愛発は越の国と接することから、

東の守り拠点として、重要な地であったらしいのだ。

現に日本史の教科書にあった恵美押勝の乱(764年)。

政権の重職にあった藤原仲麻呂(恵美押勝)が反旗を翻した際、

越前へ逃亡する恵美押勝の軍勢を愛発の関で押し返したという記録も残っているという。

それを思うと、相当規模の軍事施設だったことが想像されるのだが、

数々の研究や発掘にもかかわらず、

残念ながら、その詳しい所在は分かっていない。

 

話は変わるが──。

北陸新幹線の敦賀延伸工事が急ピッチに進められていて、

4年後の2023年に開通する。

さらに京都までの延伸も計画されていて、

現在の北陸本線を大きく迂回する若狭小浜ルートが決定している。

まだまだ先のこととはいえ、

この秘境駅はさらに歴史の彼方へと押しやられることがすでに決まっているのだ。

日本鉄道史の黎明期と変遷、

そして急こう配を克服する鳩原ループ、

そこに日本古代史が加わって、

新疋田駅によせる思い入れがまたひとつ強くなった。


2016.1.11の「秘境駅の記録」でも選曲した

スティーブン・スティルス率いるマナサスからふたたびの選曲。


Stephen Stills/Manassas     Right Now

そのバンド名が南北戦争の激戦地の駅名に由来するということで選曲した次第だが、

この曲が収録されているデビューアルバム、

なかなかの名曲ぞろいで今でもよく聴いている。

 

 

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習作 冬の余呉カーブ  鉄写同好会

2019-01-12 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。

※今回、運行が遅れました


久しぶりに、余呉で列車を撮ってみよう──。

その日冬至は、琵琶湖の夕景、竹生島に落ちる夕日が目当てだったが、

それまでの時間、余呉で列車を撮ろうと、ふいに思い立ったのだった。

余呉は湖北の山間にありながら、鉄道ファン、とりわけ撮り鉄にとっては、よく知られた地でもある。

というのも、JR余呉駅近くの大カーブは見通しもよく、大きく弧を描きながらやってくる特急「しらさぎ」を撮る絶好の 撮影ポイントだからだ。

午前中、通常なら逆光となるが、適度な曇りがその条件を緩めてくれている。

そして、いい具合に霧も出てきた。

フォトジェニック!

思わぬ幸運に、心躍ったのだが...。


Sony α99  F2.8G/70-200㎜ (f/5,1/1000sec , ISO400) 

 

結果、さほど満足のいくものとはならなかった。

いつ撮っても、だれが撮っても同じような写真にしかならなかったからだ。

その風景に出会った瞬間の感動を伝えることができないのは、

ど素人だから仕方のないこととして、

これだけの条件に恵まれながら、平凡な写真となったことが悔しくてしようがない。 

そこで...。

いったいどこに問題があったのか、恥ずかしながら、この場で振り返ってみることにした。

まずは、撮影ポジションの問題。

向かってくる列車の迫力を伝えるためには、もっと列車と正対できるポジションを選ぶべきではなかったのか。

できるだけ、列車を長く入れたいとの思いからこの場所を選んだのだが、

列車に向き合う角度が浅く、ただ通り過ぎる列車を撮っただけの感が強い。

また、後尾が欠けてしまったのもポジションのせいだ。

第二の反省は、もっと望遠で狙うべきだったということ。

せっかくの霧を、圧縮効果を高めて、列車との距離を縮めて表現したなら、

さらに向かってくる列車の迫力を増すことができたのではなかったろうか。

そして、もっとも反省すべきは、「思いつき」で撮ろうと思ったことだ。

実は、撮影直後のモニター確認でもすでに違和感はあった。

撮り直すことも考えないでもなかったのだが、

琵琶湖へ向かうことに気がせいてしまって、

さらに1時間も列車を待つことができなかったのだ。

 

写真を撮ることそのものは楽しいのだが、

この余呉に関しては、今、思い出しても悔しい。

次回、万全な計画の上に撮り直すことを心に誓った次第だ。


自分への慰めでもないが... Take it easy!


Eagles   Take It Easy

グレン・フライが亡くなって、この一月でちょうど3年。

この曲に何度も励まされことを思うとさみしい限りである。

 

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晩秋の記憶 丹後由良  鉄写同好会

2018-12-11 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。


昨年11月に訪れた丹後。

舞鶴に一泊し、天橋立、伊根と、よく調べもせず、

それどころか、そう明確な目的すらないままに旅したのだが、

その時、立ち寄った先のひとつが、ここ丹後由良駅だった。


Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (f/2.8,1/1000sec,ISO500)   


Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (f/3.2,1/2000sec,ISO500)   

 

実はこの近くには由良川を渡る鉄橋があって、

撮り鉄にとっては絶景ポイントとして有名なところでもあるのだが、

列車の運行状況もよく確かめずに寄ったことや、

すでに陽が傾いていることもあって、早々に断念してしまった。

思い返せば、それが心残りで、

これら丹後由良駅での写真も、どことなく「ついで」といった感が否めず、

さらに、絶好のポイントを素通りした自分に嫌気がさしたのか、

すぐにお蔵入りを決め込んでしまっていた。

今回、ふとしたきっかけで過去の写真を探していたら、

偶然、この2枚に目が留まり、あらためて当時の苦い経験を思い出したのだが、

一年経って、あの「後悔」も癒えたのか、

この時期、「これはこれでありか」とさばさばした気分で眺めることができた。

晩秋。いや、すでに初冬の雰囲気を醸しているかもしれない。

手前味噌だが、もの悲しい旅情を感じていただけたなら幸いだ。


 

 しんと静まり返った夜に響く、アート・ガーファンクルの澄んだ声。


 Art Garfunkel - Miss You Nights

これもまた、もの悲しさを感じていただけたら幸い。

 

 

 

 

 

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Day Dream   鉄写同好会

2018-11-11 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。


最近、東京への出張となると、ほとんどの場合は新幹線を利用する。

ところがこの日は、どうしても飛行機で帰る必要があって、浜松町へ。

フライト時間まで余裕があったので、すぐにモノレールに乗り換えることはせず、

貿易センタービルのテラスへ出てみることにした。

以前、飛行機をひんぱんに使っていたときは、

出張を終えたひととき、時間調整をかねて、よくここへ来たものだが、

おそらくは最後に訪れてから1年以上は経っていると思う。

つまり、ずいぶんと久しぶりに、都会の風景を楽しむ機会となったわけだ。

さて、どんな都会を楽しむことができるか。

まずは、ビルの谷間越しに東京タワーを間近に望むことができる。

そして、振り返れば、汐留の高層ビル群がそそり立つ。

さらに、その谷間に目を移して、頻繁に行き交う列車を眺めるのも楽しみのひとつである。

山手線に京浜東北線、東海道線を走る様々な列車に、圧巻は東海道新幹線のぞみ系車両。

おまけに鉄路をまたぐように、時折り、ゆりかもめも見える。

まさにここは、鉄道車両を眺めるに絶好の場所なのだ。

複数の路線が、しかも上下線で走る。

いわば、「開かずの場所」なのだが...。

 

 
RICOH GR DIGITAL Ⅲ   f/5.6,1/32sec,ISO-64  

 

ふと...。

その開かないはずの鉄路をひとり(?)京浜東北線の車体が走り抜けていく。

その日の東京はずっと厚い雲に覆われ、

空はもちろん、街にも目立った色彩を感じなかったせいか、

なんとなくもの悲しい街を、車体の青いラインが、鮮やかに流れていったのが印象的だった。

その印象を再現してみたわけだが...、

それは、たとえて言うなら、白昼夢のような光景。

そう感じていただけたなら幸いだ。


白昼夢とデジャヴはいっしょかな…?!

なんて考えながら、折にふれての選曲。


Déjà Vu   Crosby, Stills, Nash & Young

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Standing at the station  鉄写同好会

2018-09-11 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。


当同好会、ずいぶんと「運休」していたが運行再開。

その負い目もあって、奥琵琶湖へ向かうある夏の日、

JR北陸本線、新疋田駅で駅撮りをすることにした。

新疋田駅は敦賀駅からひと駅、福井県と滋賀県にまたがる山岳地帯にある秘境駅だ。

新疋田駅、そして秘境駅については、以前、別の記事で触れたので、興味のある方はこちらを参照いただければ幸い。

  秘境駅の記録 北陸本線 新疋田駅  鉄写真同好会 2016-01.11

さて、「秘境」にもかかわらず、一日あたり上下64本もの特急列車がこの駅を通過する。

金沢と関西を結ぶ「サンダーバード」と金沢と中京を結ぶ「しらさぎ」がそれらで、

ダイヤが過密な朝夕などは1時間あたり6本もの特急列車が通過する。

したがって、運行間隔の長いローカル鉄道の中で、新疋田駅はこの上ない撮影ポイントなのだ。

 

上り特急が通過する新疋田駅。


Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (f/6.3,1/1000sec,ISO200)   

敦賀から急坂を上り終えた特急列車は、さらに速度を上げて山岳地帯を貫くトンネルに突入し、

滋賀県側からやって来た下り特急列車もまた、さらに勢いをつけて敦賀へと下っていく。

新疋田駅のプラットホームでは、このように疾走する特急列車を間近で撮影することができる。

北陸本線を走る特急列車を撮ることができる駅は他にもあると思うが、

この駅は無人駅でふだんはホームにほとんど人がいないので、

乗降客への迷惑、また撮るほうとしても人の映りこみを気にかけることが少ない。

また、大きく緩やかなカーブにそってホームが配置されていることも駅撮りに適していると思う。

ただし、だからといって、列車の運行や乗降客に迷惑をかける可能性のある行為は当然ながら厳禁である。

 

さて、下り列車がやってきた。

撮影タイミングは山岳地帯のトンネルを抜けたあとの数秒。


Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (f/6.3,1/640sec,ISO200)   

このあと、列車は一瞬にしてホームに立つ私の真横を疾走していくのだが、

轟音と風圧、その迫力はちょっとした恐怖を感じるほどすさまじい。

それほどの迫力、なんとか写真に繋ぎこみたいところだが、

どう撮ったらそれが伝わるか、実はまったくわかっていない。

どなたか鉄道写真に精通した方、ご教授いただければうれしい限りだ。 

それはそれとして、せっかくの「秘境」、

紅葉、雪など季節を絡めた列車を撮れるのではと、

あらためて、思いを新たにした次第である。

 


折にふれての選曲は 「Standing at the station」。

新疋田駅で駅撮りをするたびに思い出す曲で、

1960年代、ロック黎明期にイギリスで結成されたテン・イヤーズ・アフター後期の作品。

Ten Years After "Standing at the station"

超絶ギタリスト、アルヴィン・リー率いるバンドで、

ブルースをルーツとした重いサウンドは、

同時代のクリームや初期のレッド・ツェッペリンをも凌駕する迫力があった。

 

 

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軌跡の7分間  鉄写同好会

2018-05-11 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。



 

 

その日、仕事を終えた午後。東京駅のホームに入線してくるE7系の車両を待っていた。

長野から「あさま」としてやってきて、車内清掃を終えた後、「かがやき」となって金沢へ向かう。

そのときの様子だが、この写真の主役、実は列車ではない。

入線する列車を出迎えるように等間隔でホームに立つ車両清掃スタッフたち。

彼らこそ、この写真、そして「奇跡の7分間」の主役なのだ。

 

彼らの所属は「テッセイ」。

現在の社名は「JR東日本テクノハート」だが、

旧「国鉄」時代に分社された旧社名「鉄道整備株式会社」の略称を今でも愛着込めて使っているという。

彼らを清掃スタッフと紹介したが、その仕事は客室内の清掃だけではない。

忘れ物のチェックから、ゴミだし、座席カバーの交換にトイレ掃除など、

その範囲は広く、しかもそれらの仕事を短時間に完璧にこなす。

どれだけ短時間か。

新幹線が東京駅に到着し、折り返しの発車までの時間は通常15分間。

そのうち、乗客の降車に5分、また折り返しの乗車に3分の時間が充てられる。

したがって、その乗降時間を除いた7分間が彼らに与えられた時間で、

その中ですべての仕事と仕上がりのチェックを終えなければならない。

彼らは手際よく、迅速かつてきぱきと無駄のない行動で仕事をこなす。

そして完了後、整列してさわやかに一礼。

その鮮やかともいえる仕事ぶりこそ「奇跡の7分間」の由縁である。

さらに、彼らの仕事意識は清掃業務だけに留まらない。

高齢者や急病人の介助、東京駅構内はもちろん周辺施設の道案内などコンシェルジュさながらだ。

彼らの姿を称賛をもって眺め、カメラを向ける外国人も増えているそうだが、

それもそのはず、彼らの取り組みは広く海外でも紹介され、

ハーバード大学ビジネススクールの教材としても使われているというから驚きだ。

 

さて昨今、企業が抱える課題のひとつに「働き方改革」がある。

これまでの話はその取り組み事例をテーマとしたセミナーで、

テッセイのOBであり彼らの生みの親である矢部輝夫氏により紹介されたものだ。

このすばらしい「職場」の誕生には矢部氏の指導もさることながら、

スタッフの方々の並々ならぬ努力と意識改革があったという。

セミナーではその過程がつぶさに紹介され、それを大いなる感動をもって拝聴した次第だが、

この日、彼らの仕事ぶりの一部始終を直に眺めながら、

その感動が本物だったことをあらためて実感したのだった。

ともすると、「時短」だけにとらわれそうになる「働き方改革」。

矢部氏が、まず彼らスタッフと共に始めたことは、

仕事の「誇り」と「生きがい」を再定義することだったという。

そして、この人間愛にあふれるセミナーの最後を矢部氏はこんな言葉で締めくくった。

「人は経営資源ではない。経営主体そのものである。」

 

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未来へつながる風景  鉄写同好会

2018-04-11 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。


 

「これが鉄道写真だろうか...?」、そう後ろめたく思いつつも掲載。

3年前に金沢まで開業した北陸新幹線だが、

さらに金沢から福井県敦賀までの延伸工事が急ピッチに進められている。

開業は平成34年度末という微妙な表現だが、

おそらくは、5年後の平成35年の3月にはW7系の車両がこの橋脚の上を走り始めていることだろう。

ところで、...

現在の北陸新幹線、金沢までの全行程の半分以上がトンネルで、

車窓を流れる景色は途切れ途切れで多少興ざめの感もある。

ところが、金沢から福井県境まではさえぎるものなく加賀平野が広がっており、

その広大さは加賀藩の石高、百万石が示すところでもある。

したがって、将来このあたりを走る新幹線の車窓からは

たとえばこの時期であれば水を張り終えた水田越しに

白山連邦など残雪の山々を望むことができるだろうし、

高い橋脚ゆえに、遠く穏やかな日本海を眺めることもできるかもしれない。

そんな未来の風景を想像させる工事が着々と仕上がりつつあるのだ。

ふと...。

新幹線が次々と開通するこの時代に生きていることが

得がたいほど幸運なことなのではと思えてきた。

過去の新幹線の開業日を調べてみると、

東海道新幹線が1964年だからすでに開業から54年、

山陽新幹線が1972年(当初は岡山まで、博多までの延伸は1975年)で、

東北、上越新幹線はともに1982年とのことだから、

北陸新幹線以前の開業からだとすでに36年もの年月が流れている。

つまることろ、新幹線が開業したすべての時代に立ち会うことができて、

さらに今、延伸する北陸新幹線の工事を眺めている。

大げさかもしれないが...、

鉄道史上、ひとつの象徴的な時代を共有できたひとりではないかと感慨深くこの風景を眺めた次第である。


「暴走列車」の異名をとる1970年代のアメリカを代表するロックバンド、グランド・ファンク・レイルロード。

彼らのヒット曲でその名も「アメリカン・バンド」。

後期の作品だったろうか、角がとれて小気味よいロックを聴かせてくれる。 

 
American Band - Grand Funk Railroad

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春を呼ぶ Tokyo Sakura Tram  鉄写同好会

2018-03-12 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。(...一日遅延しました。お容赦を。)

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。


東京さくらトラム、荒川車庫前停留所付近。


RICOH GR DIGITAL Ⅲ   f/5,1/400sec,ISO-64 

さくらトラム・・・?聞きなれない路線...、と思った方も多いかもしれないが、

東京都交通局が運営する都電荒川線の愛称。

沿線には荒川公園や王子の飛鳥山公園、さらにはソメイヨシノの名の由来となった染井霊園など

桜の名所があることからそう名づけられたとか。

この愛称が定着するにはまだまだ時間がかかりそうだし、

今さら愛称をつける必要があるのかとも思っていたが、

やってきた桜色の電車を眺めていたら、

ボディに書かれた「Tokyo Sakura Tram 」の文字も悪くないなと思えてきた。

この日の東京は最高気温が10℃に届かず、時折り吹く風も冷たかった。

それでも、強さを取り戻した陽ざしと空の色は春そのもの。

桜の開花まで2週間あまり、今年こそ沿線の桜見物に行きたいものだ。


自分の中で、春の到来を表現する曲のひとつがスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」。

1960年代後半。

ヒッピーやフラワー・ムーブメントなどウェストコーストを中心に巻き起こった

若者カルチャーを象徴するする曲として覚えている。


San Francisco - Scott McKenzie

 

 

 

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