折にふれて

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大河ドラマ「黄金の日日」 その2

2022-03-31 | 折にふれて

「黄金の日日」の話が続く。

 

大河ドラマの見どころはなんといっても豪華俳優陣。

主人公、呂宋助左衛門を演じたのは市川染五郎、今の二代目松本白鸚だ。

この当時はまだ30代、初々しさが残っていたからだろうか、

周りを名だたる俳優陣が固めていた。

例えば、堺の会合衆(長老たち)として登場したのが

丹波哲郎(今井宗久)、鶴田浩二(千宗易)始め、

宇野重吉、志村喬、津川雅彦など、いずれも貫禄十分の俳優たち。

また、助左を取り巻く女優たちも豪華だった。

助左が慕う女性(今井美緒)を演じたのが栗原小巻。

さらに花を添えたのがデビュー間もない若手の女優たち。

竹下景子、夏目雅子、名取裕子たちの、まだあどけなさが残る表情が微笑ましかった。

一方でベテラン舞台女優、李礼仙の演技は目を引いた。

原作にはない遊女役を妖艶に、またある時は不気味にも演じる彼女は

ストーリーテラーとしての役回りながら強烈な存在感を放っていた。

残念ながら、放映中の11月に訃報のテロップが流れた。ご冥福を祈りたい。

さて、配役のハイライトともいえるのは織田信長と豊臣秀吉だった。

それぞれに高橋幸治と緒形拳が起用されたが、

大河ドラマファンにはうれしい第三作「太閤記」(1965年)配役の再演だ。

奇しくも、私が大河ドラマを見始めたのが「太閤記」。

それ以来、豊臣秀吉は立志伝中の人というイメージが刷り込まれていた。

ところが、最近の秀吉像は晩年の狂気じみた所業など、

誇大妄想の為政者として描かれることが多くなった。

そのイメージを最初に作ったのが「黄金の日日」の秀吉ではなかっただろうか。

軽妙で人なつっこさあふれる木下藤吉郎がやがては無慈悲な独裁者へと変貌する。

徐々に変わる人格を緒形拳が好演した。

そして、秀吉はじめ権力者と対峙するのが堺のリーダーとなった呂宋助左衛門だったが、

本当のところでは、実在の人物ながら、出自も来歴もはっきりとはしていない。

城山三郎は、豪商と伝えられるだけの人物像を

権力に対抗する自由経済都市・堺の象徴として描いたのだと思う。

 

あらためて、第一話のオープニング。


 黄金の日日 1話 オープニング

 

炎上する堺の映像とともにポルトガル宣教師ガスパル・ビレラの書簡が紹介される。

そして最終回、炎上しても尚、受け継がれる堺の心が描かれる。

見終えた清々しさとともに、堺の心がこのオープニングに集約されていたのか、と思ったりもした。

「黄金の日日」がフィクションと承知の上でのことだが、

今、堺という町への興味が募っている。

このドラマに描かれた当時の町の気質がどこかに残っているかもしれない、と思ったからだ。

暖かくなったら、「堺」を探しに出かけようと思う。

原作本を読みながら、のんびりと。

 

 

 

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大河ドラマ「黄金の日日」

2022-03-28 | 折にふれて

日曜朝、楽しみに見ていたNHK大河ドラマ「黄金の日日」が終わった。

昭和53年(1978年)作品の再放送で

歴代大河ドラマの中でも人気作のひとつだったという。

 

群雄割拠する安土桃山時代。

泉州・堺はどの軍事勢力にも加担せず、商人たちが自治を守る自由経済都市だった。

その堺に、豪商今井家の下働きながら、貿易商を夢見る青年・助左(のちの呂宋(ルソン)助左衛門)がいた。

何事にもひた向きな仕事ぶりに、主人の今井宗久はもちろん、

千宗易(のちの利休)たち堺の人々は助左を温かく見守る。

さらには、木下藤吉郎や石田三成、高山右近など戦国武将たちまでも

助左の才覚を認め支援の手を差し伸べるのだった。

ついに助左は自分の船を持ち、ルソン交易を皮切りに豪商への道を歩みだす。

しかし、激動する時代は助左の運命を飲み込もうとする。

堺の富を我が物にせんとする権力者たちが助左の前に立ちはだかったのだ。

大切な友、そして愛する人を次々に失いながらも

助左は権力者たちに敢然と立ち向かう。堺の自由と人々の尊厳を守るために。

 

原作は城山三郎。

「黄金の日日」が放映された昭和53年は私が社会人となった年だ。

当時、本を読むなら、「太郎さん」「次郎さん」「三郎さん」と教えられたもので

その三郎さんこと、城山三郎の経済小説は、社会人一年生の私に

大人の仲間入りをしたような高揚感を味合わせてくれた。

ちなみに「太郎さん」とは司馬遼太郎、「次郎さん」は新田次郎のことだ。

司馬遼太郎の歴史観には共感することが多く、

社会人生活を通じて参考になることが多かった。

とりわけ「坂の上の雲」では日露戦争、旅順攻略戦のくだりを何度も読み返し、

二〇三高地からの景色を見たくて旅順まで出かけたくらいだ。

また、新田次郎の「富士山頂」など山岳小説からは

ずいぶんと勇気をもらったものだが、聞くところによると

某大手コンサル会社は「八甲田山死の彷徨」を

今でも人材研修の教材として使っているらしい。

 

話がずいぶんとずれてしまった。

次回話を戻して続く。

 


 
 黄金の日日 1話 オープニング


NHK交響楽団による壮大なテーマ曲。

フィリピン沖で撮影されたという落日の映像とともに

自分にとっては、このドラマの見どころのひとつだった。

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What's going on

2022-03-27 | 風の風景 光の風景

注意散漫なのか、目が悪いのか...

撮った後で初めて日暈だったことがわかった。

    
     徳光海岸(石川県白山市)2021.03.21 17:21  Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/11,1/160sec,ISO100) 

空倶楽部にかなりの頻度で日暈を掲載される方々がいらっしゃる。

自分はほとんどそんな空に出会うことがなかったので

その頻度の多さに驚いていたのだが

最近は夕暮れ時、しかも天候が下り坂のタイミングで

現れることがなんとなくわかってきた。

ただし、撮った後で日暈だと知ることがほとんどなのだが。


目を覆うばかりの事態が続いている。

そんな中で思い出したのが

Mervin Gayeのアルバム「What's  going on」

 
  Marvin Gaye What's Going On Live 1972

発表された1971年はベトナム戦争の泥沼化や

環境破壊が社会問題として取り上げられたころ。

「What’s going on」や「Mercy mercy me」など

歌詞をノー天気に口ずさんだものが、

その美しいメロディとは対照的に歌詞は

当時の世相を憂うものだった。

あれから半世紀も経つというのに

世界の本質はまったく変わらないのだろうか。

 

Mother, mother
There's too many of you crying
Brother, brother, brother
There's far too many of you dying
You know we've got to find a way
To bring some lovin' here today - Ya
 
Father, father
We don't need to escalate
You see, war is not the answer
For only love can conquer hate
You know we've got to find a way
To bring some lovin' here today

 

遠くではたくさんの人が亡くなっている

解決の道を見つけなければならない

決してエスカレートしてはいけない

戦争が答えではないことはわかっているだろう

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雨を見たかい

2022-03-21 | 風の風景 光の風景

春分の日。

ここ数日、寒の戻りもあったが

今日あたりからはすこし気温も上がって

春めいてくるらしい。

ということで今の気分を蔵出し写真で代弁。

        
         越前岬(福井県越前町)2021.03.14 14:13  Sony α7S2  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/22,1/60sec,ISO100) 

 

暖かな陽ざしと穏やかな風を感じていただけたなら幸い。

 

 

        
            Creedence Clearwater Revival - Have You Ever Seen The Rain (Official)

 

 

 

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三国港 早春  By空倶楽部

2022-03-19 | 空倶楽部

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


前回の空倶楽部に続き三国港。


     三国港(福井県坂井市) 2022.02.12 17:26   Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/16,1/30sec,ISO1250) 

 

厳しい冬が一段落し、朝からの快晴は夕刻まで続いた。

その幸運に感謝しつつ、立ち寄った三国港。

丸く形を整えて沈んでいった夕陽の後

オレンジ色にほんのり染まる空と静かな海が印象に残った。


 
  Creedence Clearwater Revival:    Who'll Stop The Rain

気がつくと雨が降り続いている

わけのわからない雨雲のせいで

地上は混乱しっぱなしさ

年長者たちはなんとかおひさまを見ようとしているんだが...

だけど、どうしたら、そうだ、どうしたら

一体だれがこの雨を止めてくれるんだい?

 

 

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お城日和

2022-03-13 | 抒情的金沢

この日の金沢は最高気温は17℃。

春の陽気に誘われて金沢城界隈を散策。


     金沢城五十間長屋  2022.03.12 11:01    Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/5.6,1/800sec,ISO100) 

 

これまであまり気に留めてもいなかったが

城内所々に立てられた案内板を

しげしげと眺めてみると中々興味深い。

それで、今さら感はあるが、金沢城の歴史をざっとおさらい。

 

1546年に一向宗徒が建てた金沢御堂が始まり。   一向宗:のちの浄土真宗

その後、一向宗徒たちは弾圧する守護職富樫氏を滅ぼし、

以降百年に渡りこの地を支配、群雄割拠する戦国時代にあって、

「百姓が持ちたる国」と呼ばれる。

この頃、金沢の街が形づくられる。

1580年、織田信長の家臣、佐久間盛政が一向宗を攻め、金沢御堂を攻略。

金沢城を築く。

その後、佐久間盛政は本能寺の変後の権力争いで柴田勝家に組し

賤ケ岳の戦いで敗死。

1583年、加賀藩祖、前田利家が入城。

以降、明治まで三百年近く前田家の居城となる。

 

現在、広大な敷地にいくつかの建物があるが

城の象徴ともいえる天守閣は存在しない。

1602年に落雷により焼失し、それ以降は再建されなかった。

それどころか、三百年の間に城そのものが3度も焼失し、

そのたびに再建が繰り返されている。

現在の建物はふたつの重要文化財(石川門、三十間長屋)を除いては平成に入ってから復元。

現在も、藩主の住まいであり執政の拠点であった二の丸御殿再建に向けて調査が進められている。

                                      おしまい

 

ということで、この日の散策は題して「お城日和」。

 


午後、この記事を書いている最中。

ラジオ番組サンデーソングブックからこの曲が流れてきた。

 
 Roy Orbison - "Crying"  from Black and White Night

ロイ・オービソンのシルキーヴォイスが切ない。

山下達郎さんが選曲したバージョンは見つからなかったが

最晩年のライブ音源から。

 

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黄昏と『 I shall be released』 By空俱楽部

2022-03-09 | 折にふれて

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで



三国港の黄昏

    三国港(福井県坂井市)2022.02.12  17:42   Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/18,4sec,ISO100) 

 

この光景を眺めていて気づいたことがある。

水面がふたつの表情に分かれているのだ。

そして、その瞬間。「あれかな?」と、子どもの頃に聞いた話を思い出してもいた。

小学校のバス遠足でのことだった。

バスガイドさんが三国港の河口を眺めながら教えてくれたのだが...。

三国港には源流が異なるふたつの河川が流れ込んでいる。

九頭竜川と竹田川。ふたつの流れは河口付近で合流し、日本海へと注ぎ込む。

それぞれの川は源流や中流の気候状態によって水質が異なり、また、流れの速さも違う。

それで、合流付近の水面はまったく異なるふたつの表情を見せるというのだ。

現に、子どもの時、目にした河口は澄んだ川面と濁った川面がはっきりと分かれていた。

そのことを思い出しながら、この光景に見入った次第だが

向こう岸付近は大河の九頭竜川が流れていて、

緩やかな流れゆえに鏡のような映り込みになったのかな、と思ったりした。

ただし、あくまでも想像の話。そして、どうでもいい話。

美しい光景に理屈をつける必要などないからだ。

 


さて、この時期。同じ曲を選んで同じことを書いている。

春浅い北陸では珍しく晴れあがった日の黄昏時に

決まって思い出す曲とその思い出話だ。


 The Youngbloods - I Shall Be Released 

洋楽通にはよく知られた曲。「 I shall be released」

オリジナルはボブ・ディラン。

また、最も親しまれているのはザ・バンドによるカバーだ。

さらに、古今東西、たくさんのミュージシャンが取り上げていて

洋楽のスタンダードと言っても差し支えない。

その数あるカバーの中でいちばんのお気に入りがこのバージョン。

ヤングブラッズによるものだ。

高校三年生の冬、ジャケットに惹かれ、衝動買いしたのが

この曲が収められた彼らアルバム「High on a ridge top」だった。

A面最後の曲「I shall be released」の美しいメロディにまず惹き込まれ、

何度も聴くうちに、土臭くて優しさあふれるこのアルバムが大好きになった。

受験勉強も追い込みに入った時、「解き放されたい」という歌詞への共感もあったのかもしれない。

それから50年。あの時と同じ、春を迎えようとする日。

晴れ渡った黄昏時にはこの曲を懐かしく思い出すのだ。

 

 

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敦賀鉄道ロマン

2022-03-06 | 鉄道写真

福井県敦賀港

最近は日本海側拠点港のひとつとして

国際コンテナの取り扱いを伸ばしているとのことだが、

その経済的伸長はともかく、いつ訪れても長閑な佇まいを見せてくれる。

 

けれども、その歴史を遡るとその長閑さとは裏腹に、

かつては日本有数の港で、地政学的にも重要な場所であったことを知ることになる。

その痕跡を残すのがこの建物、敦賀鉄道資料館だ。

敦賀鉄道史を後世に残そうと

鉄道ファンなら垂涎の資料が収められているが、

実はこの建物、かつてこの地にあった「敦賀港駅」を再現したものだ。

 

敦賀に初めて鉄道が敷かれたのは明治15年(1882年)、

長浜-敦賀間の鉄道が部分開業した。

日本で最も早く鉄道が開業したのが、明治5年の新橋-横浜間。

その後、京都-神戸間の開通に次いでの開業だから日本で三番目の鉄道路線ということになる。

大動脈の東海道を差し置いての開通、異例の早さと言える。

何故それほどまでに敦賀への鉄道敷設を急いだのか。

その理由がこの地図の中にある。

googleの日本地図をひっくり返しただけだが、

こうしてみると、ふだん何気なく眺めている日本海が

大きな湖のように見えてくる。

そして、対岸のウラジオストクと対峙する位置にあるのが敦賀。

明治政府は早くから大陸との関係を視野に入れ、

地政学上の重要地点として、敦賀への鉄道敷設を明治2年に廟儀決定していたのである。

 

その後、長浜-敦賀間は滋賀福井県境の山岳地帯を

トンネルで貫通し、明治17年に全線開通する。

柳ケ瀬線と呼ばれた当時の路線は、

大量輸送ニーズが高まった昭和30年代に

現在の北陸本線に切り替えられ、廃線となったが、

今でも、鉄道遺産として日本最古の鉄道トンネル、小刀根トンネル(明治14年開通)は当時のまま保存されているし

最後の難所を貫通した柳ケ瀬トンネル(明治17年開通)は現在、車道に転用されている。

 
   小刀根トンネル 

 


 柳ケ瀬トンネル

 

話を戻す。

敦賀がさらに脚光を浴びたのが明治45年(1912年)

今からちょうど110年前のことである。

ウラジオストク航路の開設、さらにはシベリア鉄道の全線開通により

東京とヨーロッパ各都市を一枚の切符で往来する経路が誕生した。

欧亜国際連絡列車の運行だ。

東京・新橋(東京駅はまだ開業していない)で列車に乗り込んだ乗客は

国内の終着駅、敦賀港駅(当時は金ケ崎駅)で

連絡船に乗り換え、海路ウラジオストクへ。

ウラジオストクからはシベリア鉄道を経由し終着のモスクワへ。

さらにモスクワからは放射状に張り巡らされた鉄道路線で

ヨーロッパ各駅をめざすことになる。

それまで、ヨーロッパへは喜望峰周りの海路のみ。

目的地によっては3~40日要したところが、

半分の行程に短縮されたという。

2019年の大河ドラマ『いだてん』にも欧亜国際連絡列車が登場した。

ストックホルムオリンピックのマラソン競技に出場する金栗四三(中村勘九郎)が

開業間もない欧亜国際連絡列車に乗り込むシーンだった。

国内の列車、そして港の風景について特段の解説はなかったが

目を凝らしてそのシーンに見入ったことを覚えている。

 

さて、再び今の敦賀港。

「RORO船」といって、輸送車両がコンテナを積んだまま乗船できるのだそうだ。

外海の荒波から守られるように、深い入り江の中に敦賀港はある。

当時、ヨーロッパに旅立つ人たちも、

形や大きさは違え船が浮かぶ穏やかな風景を

こうして眺めていたのかもしれない。

そして、ちょうど2年後、2024年3月には北陸新幹線が敦賀へと延伸する。

東京から敦賀をめざして再び列車がやって来るのだ。

欧亜国際連絡列車以来、実に110余年もの歳月を経て。

 


 
      "Last Train To London"    Jeff Lynne's ELO Live 2018 UK Tour


欧亜国際連絡列車はロンドンも繋いでいた。

その行程は15日だったいう。

 

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