折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

オトナの遠足:冬の巻  By空倶楽部

2024-02-09 | オトナの遠足

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


立春に相応しい冬晴れの日。

毎年恒例にしている「オトナの遠足」に出かけることにした。

     

一見何の特長もない池に見える。けれどもここ鴨池は水鳥たちの楽園。

わずか10ヘクタールほどの小さな池だが、

水鳥たちの生態系を守るラムサール条約に指定された湿地帯。

いわば水鳥たちの聖域、サンクチュアリなのだ。

論より証拠。景色を引き寄せてみるとこの通り。

    

この日はヒシクイがほとんどだったが、

マガンやコハクチョウなど様々なガンカモ類が

多い時には数千羽単位で羽を休める。

    

バードウォッチングに興味があるわけではないが、

冬になって水鳥たちがやってきたと聞くと無性に出かけたくなる。

目的もなくただこの景色を眺めるだけで満足するのだ。

 

ここでひとしきり鳥たちを眺めた後、もうひとつ向かう先がある。

鴨池から車で5分ほどの片野海岸で、

そこには渚に向けて大きく窓を開口したカフェ『うみぼうず』がある。

      

鴨池で目から心を休めた後、次は舌で心を温めるのだ。

コーヒーをすすりながら波の向こうの海を眺める。

     

そして、「あの彼方にもう春が来ているのだろう」と想像してみる。

そう。春の気配をうかがうこと。これこそがこの遠足の目的なのである。

     


折にふれての選曲はザ・バンド『ラストワルツ』から。

The Band: "It makes no difference".

 

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オトナの遠足 By空倶楽部

2023-08-09 | オトナの遠足

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


空倶楽部、8月お題の「青い空白い雲」は友人たちとのゴルフの一幕で。

  

年に20回ほどラウンドするが、そのほとんどが仕事関係。

親睦が目的とは言え、何がしかの緊張を感じたりもする。

けれども、そんな中で掛け値なしに心から楽しめるのが友人たちとのゴルフ。

仲間うちの合言葉は「ピクニックに行こう!」だ。

  

その日の最高気温は35℃。

万全な熱中症対策のもとオトナの遠足を楽しんだ次第だ。 

 

 

 

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エッセル堤という風景 2

2023-07-17 | オトナの遠足

エッセル堤の突端で歩いてきた道を振り返ってみた。

渚からここまでは500m。遠く三国の街並みがまるで海に浮かんでいるようだ。

   

前項でも触れたが。

渚からながめるエッセル堤は海に張り出すアーチ状の構造物だが、

間近にするとその整然とした印象とは裏腹に

ごつごつとした岩が積み上げられていることがわかる。

堤が築かれた明治時代の頃はコンクリートの調達も困難だったはずだから、

おそらくは人力で岩を積み上げたのだろう。その難工事ぶりが窺えるのである。

美しさと無骨さ、そして人々の苦労が産業遺産として評価につながったのかもしれない。

   

あらためて突端から風景を。

   

エッセル堤としては突端だが、実はその先にも突堤が伸びている。

昭和23年。直前の福井地震による被災を修復するとともに新たな突堤が増築されたのだ。

その長さは400mを超えるというから、堤として海にせり出す部分の

総延長は1Kmにも及ぶことになる。

そして、日没が近いにも関わらず、新堤の上ではたくさんの人が釣りを楽しんでいる。

エッセル堤と新堤は、景観としてだけでなく、人気の釣りスポットとしても人々に愛されているのだ。

 

さて、その海の道を歩き終えようという頃、いよいよ陽が傾き始めた。

   

 

残念ながら、水平線上の雲が厚めだったので、

空が真っ赤に焼けることはなかった。

けれども、雲の合間から一瞬漏れた光はあたり一帯の雲を輝かせ

思わず声が漏れるほど印象的な空を演出してくれたのである。

 

 

余談だが...。

知人、友人との連絡手段としてlineを使ってもいるが

自分から発信することは少ない。

ところが、この日に限っては劇的な空の移り変わりを

感動のあまり連続投稿した。

受け取った人たちにとっては

着信音がうるさかっのでは...と所業の大人げなさに赤面した次第だ。

 

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エッセル堤という風景

2023-07-16 | オトナの遠足

一週間居座った梅雨前線が北上し、ようやく晴れ間が現れた週末の午後。

それでもまだ雲は多かったが、撮影に出かけることにした。

劇的な空を撮るならかえって好都合と思ったのだ。

目指したのは三国港。海と空が広く開けた夕陽の名所だ。

金沢からだと車で二時間近くかかるのだが、そんな距離など苦にはならない。

むしろ、今日はどんな夕空が現れるかと、ワクワクしながら車を走らせるのだ。

石川県にも夕陽が美しい海岸はいくつもあるのだが

隣県の海を訪れるのには理由がある。

三国港から大きく張り出す突堤。エッセル堤に魅せられているからだ。

いくら夕陽が美しくても海と空だけでは単調な風景でしかない。

そこに圧倒的な存在感で風景を特別なものとしてくれるのがエッセル堤で

海に伸びるアーチ状の突堤は他にはない海岸線の美しさを形作っているのだ。

さて、いつもなら渚からエッセル堤を主題にした風景を撮るのだが

日没まで少し間があったので堤を歩いてみることにした。

   

エッセル堤は三国港内の土砂堆積を防ぐため

明治18年(1882年)にオランダ人技師エッセルの設計により完成している。

渚からながめる堤は幾何学的な美しさを感じさせてくれるが

間近だと遠目の美しさとは裏腹な無骨さ、荒々しさを実感する。

けれども、そんな堅牢さが150年の長きにわたって三国港を守ってきたのだろう。

   

あらためてエッセル堤の全容。

その姿「天橋立の飛龍」のよう、などと表現すると少し度が過ぎるようだが

人が造ったものでこれほど美しいものはそう類を見ないのではと思っている。

現に土木技術史上の価値が認められ経済産業省の近代産業遺産に指定され

また文化的価値という点では国の重要文化財ともなっている。

 

この稿続く。

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お化け煙突はどこだ!  続き

2023-03-03 | オトナの遠足

「お化け煙突」の話が続く。

 

地下鉄千代田線の町屋駅から北に20分ほど歩くと隅田川に出る。

そして、尾竹橋を渡ったところ、帝京科学大学キャンパスの一画に

「お化け煙突モニュメント」がある。

円筒のモニュメントの上半分が「お化け煙突」の一部。

煙突の解体後、当時近くにあった小学校の滑り台の台座に転用されたそうだが、

小学校が廃校となった後、ここでモニュメントして残されたという。

また、その足元では当時の写真とともに「お化け煙突」こと

千住火力発電所の概要や歴史も紹介されている。

 

「お化け煙突」の1/20スケールのモニュメント。

一節が1mほどで四節だから4m。

つまり、煙突の高さは80mほどあったようだ。

この高さは30階近い建物に相当する。

当時、東京タワーは別格として、

これだけの高さの建造物はそう多くはなかったはずで

今で言うランドマーク的存在だったのだろう。

さらに4本の配置を角度を変えながら眺めると

見える本数が変わるという「お化け」の由来も理解できる。

 

 

 

さて、「お化け煙突」が実際に建っていた場所はこのあたり。

右に見える帝京大学千住グラウンドからその奥にある東京電力資材置き場にかけて

「お化け煙突」があったようだ。

 

「お化け煙突」こと千住火力発電所は大正15年に稼働開始。

戦時中も空襲の被害を受けることなく稼働を続けたが

施設の老朽化、また豊洲に新しい火力発電所が建設されたことなどから

昭和38年に稼働を停止、翌39年に解体されている。

昭和39年は先の東京オリンピックが開催された年。

当時の私は8歳。小学校三年生だった。

前回の記事では東京で過ごした学生時代に「お化け煙突」を探したことを書いた。

受験で上京する新幹線の車中、

新横浜を過ぎたあたりからは車窓に顔を押し付けるように

東京の街並みに目を凝らしていた。

さらにそれからの4年間。都内の見晴らしのいい場所では

決まってそれらしい煙突を探したものだった。

だが、その時。「お化け煙突」はすでになく、

そのことを知らずに記憶の中の風景を探し求めていたのだ。

 

「お化け煙突」は山手線からも見えたというから、

私の年代を含む多くの人がその存在を知っていて、

しかも愛着をもってその姿を眺めていたことだと思う。

煙突が解体されると決まった時、

地元の人たちによる「お別れの会」が開催されたとの記録がある。

奇妙な話だ。

なぜなら、今の時代、火力発電所はその社会的な必要性はともかく、

近隣住民にとっては迷惑施設に他ならないからだ。

けれども、近隣の人たちにとっては、その「迷惑」を差し引いてなお、

「お化け煙突」は親しみの存在だったのだろう。

近くを散歩する年配の方、お二人に声をかけてみた。

お二人とも懐かしそうに「お化け煙突」のことを話してくださった。

「お化け煙突」は記憶の中の風景でしかなかったが

実際にそれを見ていた人たちの話を聞くことでその輪郭がはっきりとした。

それで満足だった。

 

小一時間ほど辺りを散策した後、

もうここに来ることも無いだろう、帰りかけたのだが...。

隅田川を渡ったところで足が止まり、

そして、対岸を振り返っていた。

大きく広がる空に、もう一度「お化け煙突」の記憶を重ねてみたくなったのだ。

その日の東京は快晴。澄み渡る冬空の青さが目に痛いほどまぶしかった。

 

 

 

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お化け煙突はどこだ!

2023-03-01 | オトナの遠足

子どもの頃、もう60年近くも前に

心の奥底へ刻まれたある記憶。

だが、その記憶は大人になるにつれて次第に薄れ、

ふたたび思い出すことなどないはずだった。

ところが、ふとしたきっかけがその記憶を呼び戻した。

ここがその記憶の場所。

「お化け煙突」はここにあったのだ。

 

小学校に入って間もない頃だったと思う。

子供向けの科学雑誌で「お化け煙突」のことを知った。

東京のどこかに、広い空を突きあげるように高い煙突が立っていて、

もくもくと煙を吐いている。

煙突は4本あるのだが、あるところではそれは1本に見え、

またあるところでは2本になったり、3本になったりもする。

ひし形に配置された4本の煙突が見る場所によって重なり合うだけのことなのだが

威圧するような巨大さ、そして「お化け」という形容が芽生えたての好奇心を煽ったのだ。

ところがどういうわけか。

その強烈な印象にもかかわらず

「お化け煙突」の本当の名前も場所もまったく覚えていなかった。

その時から10年以上も経った東京での学生時代。

「お化け煙突」のことはまだ覚えていて、

東京タワーなど高い場所に昇ると見渡す景色に目を凝らしたものだった。

けれども、ついに「お化け煙突」を見つけることはできなかった。

そして、卒業とともに東京を離れ、

就職、結婚、子育てと日々の生活に追われるうちに

その記憶は次第に薄れ、思い出すことさえなくなっていった。

 

ところが。

ある偶然からその記憶が突然目を覚ましたのである。

それは今から10年ほど前のこと、「お化け煙突」を知ってから50年近くも経ってからだった。

その頃、一緒に仕事をしていた建築設計者の名刺の裏にこんなプリントがあった。

   

その人が務める設計会社が関わった塔建築が図解されていて

当時、竣工間近だった東京スカイツリーのほか、東京タワーなど名だたる塔建築が並んでいる。

それぞれの塔建築に興味がわき、調べ始めたところ、

日本の塔建築の構造設計には内藤多仲という建築家が大きく関わっていることを知った。

さらに内藤多仲氏の略歴を探し出し、読み進めるうちに

驚きのあまり思わず声を上げそうになった。

記事には氏が構造設計に関わった建築物の写真が載っていたのだが

その一枚が子供の頃、目に焼きつけた

あの「お化け煙突」だったからだ。

      

千住火力発電所。それこそが「お化け煙突」の正体だったのだ。

 

続く。

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冬晴れの日、サンクチュアリで

2023-02-13 | オトナの遠足

鴨池(石川県加賀市)に憩う水鳥たち。

鴨池の大きさは10ha。例えるなら野球場二つ分ばかり.

その程度の規模にもかかわらず、ホームページによると、

西日本最大級のガンカモ類の越冬地とのことだ。

また、水鳥の生態系である湿地を守る国際条約、

ラムサール条約にも指定されているというから

まさに水鳥たちの楽園、サンクチュアリである。

さて、何年か前から、冬のひと時をここで過ごすことを楽しみにしている。

雪か冷たい雨が降り続く北陸の冬。

どうかすると一週間以上もお日様を見ない日が続く。

ついつい気持ちも塞ぎがちになるのだが、

そんな時に、鴨池を訪れて水鳥たちを眺めていると

塞いだ気持ちが自然とほころんでくるのだ。

 

そして、ひとしきり水鳥たちを眺めた後、

もうひとつ向かう先がある。

鴨池から車で5分の距離にある片野海岸だ。

冬特有の荒れた波が押し寄せてはいたが、

晴れているだけで儲けもの。

渚を散歩する人、歓声を上げるサーファーなど。

それぞれの冬の海を楽しむ姿は微笑ましい。

しかし、晴れているとは言え、海辺の風は冷たく、

10分もするとカメラを持つ手もかじかんでくる。

そんな時はいつものカフェへと逃げ込む。

厳選されたコーヒー豆を自家焙煎...うみぼうず

と、知ったようなことを書き出したが

実はコーヒーの味はあまりわからない。

一杯一杯、心を込めて煎れてくれていることだけを実感しながら

風景と時間を楽しむのだ。

 

 

この冬は12月に入った途端にいきなりの降雪。

それだけに長くきびしい冬だった。

けれども、それもあと二週間の辛抱。

例年にもまして春が待ち遠しい。

 


バート・バカラックの訃報が届いた。

彼のことを知ったのはアメリカン・ニューシネマの「明日に向かって撃て」でのスクリーンミュージック。

ロックやフォークの片隅に一枚だけ混じったのが彼のフルオーケストラのアルバムだった。

アレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィック、カーペンターズと

彼の音楽を取り上げたシンガーは多い。

さんざん迷ったのだが、彼自身が歌うこの曲を選んでみた。

 
Burt Bacharach - Make It Easy On Yourself

ご冥福を祈りたい。

 

 

 

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鳴門海峡、そして『Back to Oakland』 By空倶楽部

2022-12-09 | オトナの遠足

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


11月初めに兄妹家族と旅行した瀬戸内。

最後に訪れた場所が鳴門海峡だった。

幸運にもうず潮が起こる時間帯、しかも大潮とのことで

迫力ある景色を楽しむことができた。

映像に比べ落胆する現実が多い中、うず潮は別格。

激しい海流が音を立て渦を巻き起こすさまに見入った次第だ。

 

うず潮はさておき、もうひとつ気になった景色がここ、

高台から大鳴門橋越しに広がる鳴門海峡だった。


  大鳴門橋(徳島県)2022.11.06  11:16AM sony α7R3   FE24-70㎜/f2.8 GM2 (40㎜  f/8,1/350sec,ISO100)    

 

さて。シュールなタイトルの話。

高台から臨む大鳴門橋。

しばらくこの風景に向き合っていたところ

学生時代に聞き込んだレコードのジャケットを思い出していた。

大規模な鉄橋が古い記憶を呼び起こしてしてくれたのか。

アメリカのロックバンド、タワー・オブ・パワーの『バック・トゥ・オークランド』のジャケットだ。

今も健在のタワー・オブ・パワーだが、商業的にも最も脂が乗っていたのが1970年初頭。

そのころのアルバムをよく聴いたものだが、中でもお気に入りが『バック・トゥ・オークランド』だった。

 
Tower of power   just when we start makin' it

 

しかし、あらためて大鳴門橋とジャケット写真を見比べてみると

なんと記憶のあいまいなことか。

鉄橋には違いないが、『明日に架ける橋』ぐらいにしておけばよかったかも。

 

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しまなみ海道  By空倶楽部

2022-11-29 | オトナの遠足

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


しまなみ海道、亀老山からの眺望。


     大島亀老山展望台(愛媛県今治市) 2022.11.04  10:47am    Sony α7R3   FE24-70㎜/f2.8 GM2 (40㎜  f/16,1/60sec,ISO100) 

 

一日中眺めていたい風景は空倶楽部のためにあるようなもの。

きっと、夜明けも夕景もきれいだろうな、と

見渡すかぎりの海と空に大人げなく大はしゃぎした次第。


兄妹家族の旅。「洋楽イントロどん!」で盛り上がった車内。

それぞれがyoutubeから好きな曲を流し、

曲名とミュージシャンを当てっこする。

青い空を眺めながら、妹のダンナが出題したのがこの曲だった。

 
Jeff Lynne - Mr. Blue Sky (Live in Hyde Park)

 

 

 

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瀬戸内という風景 By空俱楽部

2022-11-19 | オトナの遠足

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


瀬戸内の夜明け。


     江の浜漁港(高松市庵治)2022.11.06  06:13am      Sony α7R3  FE24-70mm  F2.8 GM2 (f/5.6,1/80sec,ISO160) 

 

兄妹三家族で出かけた4泊5日の旅。

丹後、広島、四国と車で巡る中で、もっとも眺めてみたかったのが瀬戸内の景色だった。

とは言え、どの場所のどんな風景といった具体的なものではない。

頭の中に広がる「瀬戸内」を旅の途中で見つけてみたい、と勝手に思い込んでいたのだ。

瀬戸内へは何度か足を運んでいる。けれどもそれは写真を撮り始める前の話。

その折々に眺めた風景が記憶の束となってしまい込まれ

それが繋ぎ合わされて瀬戸内にイメージとなっている。

また、ひょっとするとそこには

『瀬戸の花嫁』の情景も加わっているのかもしれない、と思ったりもしていた。

ともかく、夢の世界を探すようなもの。今になってみると子供じみた所業だったと思う。

とどのつまり...。

鞆の浦、尾道、しまなみ海道、鳴門海峡などそれぞれにすばらしい景色に出会うことはできた。

だが、どれもが自分が思い描く「瀬戸内」とはどこか違っていた。

記憶が作り出した勝手な「瀬戸内」は見つからなかったのだ。

 

さて、旅を終えて写真の整理をしていた時、ふと一枚の写真に目が止まった。

旅の最後の朝。散歩の途中のこと。

捨て写真になるだろう、くらいの感覚でなにげなく撮った写真だ。

遠く島影が浮かぶ穏やかな海が広がっている。

近場では、何か養殖の生簀だろうか、小舟に乗った漁師たちがその合間を

忙しそうに行き来していた。

そこへ大型フェリーが意外なほど海岸近くを当たり前のように横切っていく。

それだけのもので地元の人にすれば日常的な景色でしかない。

けれども、こんな日常こそが探そうとした景色だったのかもしれないな、と

そのとき思えてきたのだ。

 

 

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