折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

能登半島地震の記憶4

2024-02-02 | がんばれ能登

地震の傷跡が残る和倉港。


       ※現在近づくことはできません

和倉温泉は全国有数の温泉街として広く知られ、また、能登観光の起点でもあります。

それが今回の地震で大打撃を受けました。

和倉温泉は2007年の能登半島地震でも被災しています。

その時もほとんどの旅館が施設を損傷したのですが、

大部分は短期間で復旧し、元の活気を取り戻していました。

そして今回、3年間のコロナ禍をしのぎ、客足が戻った後だっただけに

関係する方々の悲痛は計り知れません。

和倉温泉を襲った2007年の地震の震度は「6弱」、それに対して今回の地震は「6強」でした。

弱と強。ほんの表現の違いのように思っていたのですが、

その揺れは比べようもないほど激しかったと聞きました。

マグニチュードで比べるなら2007年のM6.9に対し今回はM7.6。

マグニチュードが「1」増えると地震規模は32倍と言いますから

前回の地震とはまったくの別物。

それが想像を絶する被害をもたらしたのです。

実際にいくつかの被災状況を建物に立ち入って確認しましたが、

惨状としか言いようのない有様にただ立ち尽くすだけでした。

それでも自分が直接目にした被害はほんの一部です。

 

地震発生からひと月が経って

亡くなった方、行方不明の方の数は把握されているものの、

インフラや家屋の損壊など被害の全容はまだはっきりしていません。

仮設住宅の供給も始まったばかり、また、ようやくボランティアの受け入れ体制が整のい始めたようです。

そんな中で日本全国からの応援車両を見かけるとそれだけで心強くなるものです。

ただ、能登から帰って来るとどこか気が重く、無気力になっている自分に気づいたりもします。

その状態をうまく言い表すことができないのですが、「震災鬱」という言葉に目が止まりました。

直接被災していなくても鬱の症状が現れることがあるそうです。

自分がその症状に該当するとは思いませんが、

仮にそうであったとしても、この惨状から決して目を背けてはいけないと思っています。

「長い闘いを覚悟しなければならない」

ある被災者の方の言葉が胸に深く刻まれました。

 

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能登半島地震の記憶3

2024-01-17 | がんばれ能登

35年間お世話になっている近所の理容店が営業を再開しました。

 

店主のOさんは珠洲市のご出身。今回の地震で輪島市とともに最も被害の大きかったところです。

日本海に面した小さな集落に実家があってご両親も漁業や農業の傍らで

同じ集落に住む人たちが通う理容店を営んでおられたとのことです。

Oさんは東京の理容店で修業した後、

同僚だった奥さんと金沢で自宅兼用の理容店を開業されたのが35年前のこと。

奥さんがお嬢さんを出産してまもなくの頃で、

同じ時期、近所に引っ越してきた私が新装開店のお店に入ったのがOさんご夫婦とのご縁でした。

しばらくはお互いによそよそしい間柄だったのですが、回数を重ねるうちに打ち解けてきて

次第に親し気に話をするようになりました。

Oさんが髪を切りながら趣味の釣りの話をすると、顔そりと洗髪担当の奥さんが飼い犬の話をする。

さらにお嬢さんの成長や進学、就職の話などをそれぞれが面白おかしく話してくれる。

そんなユーモアたっぷりの会話が35年間繰り返されているのですが、

私のほうはもっぱら聞き役。それでも、ご夫婦の人柄に触れながら、

自分にとってはひと月に一度の居心地の良い場所になりました。

ところが、あの地震。

会話の中から、毎年元旦は珠洲の実家でご両親と過ごすことを知っていたので

地震の後の消息が気がかりでした。

というのも「しばらく休業します」の張り紙とともに店が閉められたままだったからです。

ご実家は震源にごく近い海岸沿い。大きな揺れはもちろん津波が押し寄せた可能性もある。

無事を祈りつつ、ひょっとして家族の中に被害にあった方がいたのでは、と心配し、

家内も行方不明者の中にOさんご家族の名前がないか、ニュースに目を凝らしていました。

地震から10日以上たった先週の土曜日のこと。

朝の散歩で店の前を通りかかると三色のサインポールが回っている。

急ぎ店に入ると、Oさんはやつれた表情ながら笑って出迎えてくれました。

ご両親も含めみなさん無事とのことでした。何よりです。

実家は傾いて住める状態ではないので、ご両親を連れて帰ってきたそうです。

Oさんによる地震発生からの顛末です。

立っていられないほどの大きな揺れが続き、家にいては危険と急ぎ外に出た。

そして海を見ると、100メートルほど波が引いている。

「引き波だ。大きな津波が来る。」と車のバックドアも開け、近所の人も含め

定員以上の人を乗せ、高台へと逃げたそうです。

結果、津波は来なかった。

あとでわかったことですが、引き波と見えたのは海底が広範囲に隆起したからだったとか。

地震が持つすさまじいエネルギー。

それを恐ろしく、そして生々しく感じた話でした。

ご両親を金沢に連れてきたものの、高齢で歩くことも不自由。

仕事は再開したものの、ご両親との生活をどうしたものか、思い悩んでいると

話しておられました。

終始、重苦しい雰囲気で話を聞いていましたが最後に。

「あの短い脚の犬が踏ん張れずにひっくり返っていた。」と

持ち前のユーモアで飼い犬の様子をオチにしてOさんは大笑い。

それにつられて私も噴き出したのですが、

ご夫婦が持ち前の明るさでこの逆境をぜひ乗り越えて欲しいものだと

笑顔のOさんを眺めながら強く願っていました。

 

さて、今日で阪神淡路の震災から29年が経ちました。

阪神淡路、東日本、熊本、さらに能登。

あらためて命を落とされた方のご冥福を祈ります。

そして、能登の被害がこれ以上広がらないことを切に祈るばかりです。

 

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能登半島地震の記憶2

2024-01-11 | がんばれ能登

地震発生から10日経ちました。

現在判明している被害状況は死亡206名、行方不明52名、負傷者567名、

避難生活者約26000名とのことです。

建設会社に勤めておりますので、被災した建物の調査など

少しでも復旧のお役に立つことができたならと

これまでに2回、被災地に入りました。

1回目は3日。寸断された道路を能登の顧客の情報を頼りに迂回を繰り返し、

5時間かけて七尾市に着きました。

平時であれば1時間余りの行程ですが、道路の陥没や隆起による通行止めや

放置車両や給油待ち車列による渋滞でそれほどの時間がかかったのです。

倒壊した家屋、倒壊に至らないまでもとても住むことはできない家屋。

外壁が剥がれ落ちたビルなど、これまで映像としてだけ眺めていた光景を

目の当たりにしましたが、驚くとか悲しいとか、そんな言葉では形容できない

重苦しい気持ちになりました。初めての感情です。

その時、神戸や東日本、熊本の震災を目の当たりにした方たちも

同じように感じたのだろうかと思いましたし、

さらに、自分は今までの震災を傍観していただけなのかもしれない、とも思いました。

ただひとつ。そんな気持ちを多少なりとも慰めてくれたのは

すでに県外からの救急搬送車や物資輸送の車がたくさん駆けつけてくれていたことです。

近県はもちろんのこと関東や関西、中国山陰、東北からのナンバーも見かけました。

地震発生から一昼夜しか経っていないにもかかわらずです。

「一分一秒を争う」という慣用句もありますし、人命を考えた時に悠長なことは言っていられませんが

現実的にはこの全国各地からの支援は人員確保や出発準備を思うと

できる限りの迅速さだったはずです。

駆けつけてくれた方々の心意気をありがたく受け止めた次第です。

 

続きます。

 

 

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能登半島地震の記憶

2024-01-04 | がんばれ能登

ご周知のとおり1月1日の夕刻に能登半島沖を震源とする地震が発生しました。

最も被害の多い輪島市においては震度6強。

石川県全域や近隣の福井県、富山県、新潟県においても

震度5強以上の揺れを感じた他、遠く関西や中京、

そして東北においても震度4を観測したとの報道より

この地震のすさまじさにあらためて驚いている次第です。

地震が発生した時、我が家には去年結婚した長男と連れ添い

そして長女の家族が初めて集まり、新年を祝う食事を始めたところでした。

突然、家族それぞれのスマホがけたたましいアラートを鳴らした直後に

最初の余震、さらに続くアラートの後、これまで経験したことのない大きな揺れが。

それが1分ほどは続いたでしょうか。その間テーブルにつかまりながら、

「これはただ事ではない」とおびえる家族を見やりながら思っておりました。

幸いにしてみな無事で家財にも大きな損傷はなく

2階のリビングからながめる近所の様子も普段と変わらないものでしたが

それからしばらくしてテレビに映し出される惨状に愕然とした次第です。

地震から3日経ち、未だ被害の全容がはっきりとしない中、

増える被害者の数、そして知人の被災にも呆然としています。

そんな中、ご心配の電話やメール、さらには当ブログへのコメントをいただき

みなさまのあたたかなお気持ちに只々感謝申し上げる次第です。

しばらくは震災関連の記事が続くかもしれません。

このブログを始めた時に人の心を塞ぐようなことは書かないでおこうと決めていましたが

今回間近で起こった震災を書き留めておくのも、ブログの使命(大げさかもしれませんが)と

思い始めているのです。

後先になりましたが本年もどうかよろしくお願いいたします。

 

 

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能登はやさしや... By空倶楽部

2020-09-29 | がんばれ能登

9月の4連休、久しぶりに奥能登へ出かけた。

日本海に「馬の頭」のように大きく突き出ている半島が能登で

「馬」の喉元からうなじにかけてを口能登と呼び、

喉から口にあたるところが中能登、

そして、頭から鼻先にかけてが奥能登にあたる。

中能登までは仕事で頻繁に出かけている。

片道100キロの道のりだが、

最近無料化された自動車専用道路を使えば1時間程度の移動で済む。

ところが奥能登となるとそうはいかない。

複雑な海岸線に沿った道は曲がりくねって長い。

また、一見ショートカットのように思える列島を横切る道は

狭くてアップダウンも激しい。

極端な話。関西へ向かうほど距離があるし

また、また行先によっては関西以上に

移動時間もかかったりするのだ。

それでも、奥能登にはその移動の苦労を差し引いても余りある魅力がある。

「能登はやさしや土までも」

能登を紹介する際によく使われる言葉だ。

いろいろと解釈はあるのだろうが

能登の風土、そして人のこころを表すにぴったりの言葉と思う。

話が長くなったが能登で出会った風景。

能登 見附島 2020.09.21  14:29 Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (20㎜ ,f/8,1/200sec,ISO100) 

 

能登は空も海もやさしかった。

 


「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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空と渚とトキメキと  By空倶楽部

2018-12-09 | がんばれ能登

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


Sony α99  Planar 50㎜ (f/5.6 , 1/800sec , ISO100) 

 

能登で一泊し、早朝の帰り道でのこと。

雲ひとつない見事な冬晴れ、

そして、横目に眺める海もこの時期にしては穏やかだったので、

ふと、渚ドライブウェイを走ってみたくなった。

波打ち際をクルマで走行することができるその道は、

(...というか、砂浜そのものなのだが)は全国的にも珍らしく、

観光スポットとしても、広く知られているのだが、

さすがに海が荒れる冬、そして早朝とあってはほとんど通行するクルマはない。

それで、その景色をひとり占めするつもりでやって来た...、はずだったのだが。

さえぎるものもなく、ただひたすら青い空と海にカメラを向け、まさにシャッターを切ろうとしたその瞬間。

あろうことか、ファインダーの視界に赤いクルマが滑り込むように割り込んできて、

しかも、ど真ん中に停車してしまったのだ。

気勢をそがれた...というか、期待が高まっていただけに、「ジャマをされた」と、その瞬間は思った。

だが、そもそも、景色は誰のものでもない。

「こんなこともあるか」と苦笑しつつ、場所を変えようと思ったが、

どうも、その場から見える風景が依然として気になる。

というのも、青く澄みきった風景の中で、赤い車体が鮮やかに、そして瑞々しく見えてきたのだ。

さらに、眺めていると、クルマから降りてきた家族が自撮り棒を持ち出して記念撮影をし始めた。

おそらくは、この風景に心を動かされたのだろうが、一連の所業がどこか微笑ましく、

無断ながら、その家族のトキメキを拝借したという次第である。

 

さて、空倶楽部、毎月9日はお題の日で今回は「空と○○」。

この、おおらかなテーマに感謝しつつ、

日曜日の朝、その日の幸せを先取りしたような瞬間を掲載させていただいた。


 

これほど、「渚」 という言葉が似合う人たちはいないのではないか。

「想い出の渚」という名曲もあるが、

明るい海にちょっとセンチメンタルな思いを忍ばせたこの曲もまた名曲。


ザ・ワイルドワンズ「白い水平線」

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能登さいはての地、高度一万メートルの空を見上げた。 By空倶楽部

2016-10-29 | がんばれ能登

禄剛埼(ろっこうさき)灯台を包むように広がる秋の空。

ここは能登半島最先端の地。

一面に、うろこ雲が広がっていて、今年の秋いちばんの空を楽しむことができた。


ところで、このうろこ雲。

人によって、いわし雲やさば雲とも呼ぶらしいが、

気象学的には巻積雲といって、5,000~15,000mの高さにあるのだとか。

雲は高度2,000m付近から形成されるらしいから、かなり高い空を眺めたことになる。

それでつけたタイトルが、ざっくりと「一万メートルの空を見上げた」。


さらにウンチクをもうひとつ。

巻積雲は低気圧が近づいているときに出やすい雲で、天気が崩れる予兆だそうだ。

この日は早朝に金沢を出て能登へ。

快晴の空を行く先々で眺めながらぐるっと能登を一周し、

最後に仰いだのがこの壮大な空。

このあと、次第に雲が多くなり、

3時間後、金沢へ帰り着くころには本降りになっていた。


なるほど、うろこ雲の予兆。

大当たりである。


折にふれての一曲...

とは言い難く、写真とはまったく関係ない、最近ハマっているシカゴ・ブルースから。

ベス・ハート(ボーカル)、ジョー・ボナマッサ(ギター)による名曲「I'll Take Care Of You」

 

Beth Hart and Joe Bonamassa - I'll Take Care Of You

 

 

「9」のつく日は空倶楽部の日   

詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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能登はやさしや土までも

2016-10-24 | がんばれ能登

秋晴れの中、久しぶりの能登。

母が輪島出身ということもあって、子供の頃は頻繁に輪島へ来ていた。

とくに夏休みなどは、1か月以上も母の実家に預けられ、

海、山と駆け回っていた思い出がある。

ところが、現在、観光スポットになっている地域の記憶はほとんどない。

母の実家が山あいの地にあり、市街地へ出ることが少なかったこともあるが、

当時の輪島は今ほど観光地化しておらず、

例えば、日本で三本の指に入るといわれる朝市でさえ、

コンビニはもちろん、スーパーさえもない時代、

観光地としてではなく、日常生活の一風景として記憶の中に溶けこんでしまっていたのかもしれない。


その朝市の風景。

 

朝市が閉まる正午間際にもかかわらず、この人だかり。

先にも書いたとおり、元々は地元の人が日常的な食材を求める場所として利用されていたが、

今は、地元食材に加え、加工品や民芸品など観光土産を販売する店が多い。

ふと、子供の頃の記憶が甦り、

朝市での仕事を終えた高齢の女性たちが大きな荷物を担いで、街をゆく姿を思い出したが、

今ではそんな生活臭さなどまったく感じない 。

よく見ると街並みもすっきりと整備され、輪島がすでに成熟した観光地になったということなのだろう。

 

次に、近年、夜はライトアップされるなど、すっかり観光名所として定着した千枚田へ。

子供の頃から、この場所は知っていたが、

母の実家の近くにも急斜面を切り開いた田や畑があって、

平地の少ない能登ではよくある光景と、特に気に留めることもなかった。

ところが、今や全国挙げての棚田ブーム。

大きな駐車場が整備されたことで、ここにもたくさんの人が訪れる。

観光土産の売店、さらには、いったい何を眺めるのかコイン式の望遠鏡まで設置されている。

小さな棚田が連なる先は海と空だけ。

その能登の原風景の中にいることが、非日常の体験そのものということだろう。

(ライトアップ設備まである田んぼが原風景と言えるかどうかは疑問だが...)

ともあれ...秋晴れの中、潮風にあたりのんびりとつかの間の時間を楽しむ人たち。

能登のやさしい風景にふれた、そのしあわせ気分を分けてもらったような気分になった。

 

さらに、ついでとばかりに足を延ばして、能登半島先端の地へ。

禄剛崎(ろっこうざき)の見晴らし台。

ここからは、海からの日の出と海に沈む夕陽を居ながらに楽しむことができるという。

東京、釜山、上海、ウラジオストックの距離標識が目を引いたが、

最近、地方にまで及んでいるインバウンド需要が能登も潤していると聞けば、

この程度のサービス精神は当然といったところかもしれない。

 

さて、輪島での所用ついでに、のんびりと能登を巡った一日。

その写真を整理していて思い出した言葉が、

「能登はやさしや土までも」。

土はもとより人までも、と能登の人の素朴さ温かさを評する言葉である。

能登の血が半分入っているから言うわけではないが、

人はもちろんのこと、海も空も風も、すべてがやさしい能登だった。


 

秋空の中、どこか遠くへいざなってくれそうな

ライ・クーダーの素朴な名曲。

 Always Lift Him Up _ Kanaka Wai Wai   Ry Cooder  

ところで、曲名の後にあるKanaka Wai Wai(カナカ ヴァイヴァイ)とはハワイではよく知られた讃美歌で、

この曲の間奏部分に使われている心やさしいメロディがそれなんだとか。

 

 

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能登、渚の風景 By空倶楽部

2016-10-19 | がんばれ能登

 

とある日曜日の早朝。

秋晴れの中を所用で能登輪島へ向かった。

金沢から輪島、車だと自動車専用の「のと里山海道」を走るのが一般的で、

その行程は時間にして2時間といったところだ。

この道路、「海道」の名が示すように、金沢の起点から30キロ以上も海岸線を走り、

雄大な日本海をパノラマさながらに楽しむことができる。

また、随所でインターチェンジを降りて、渚の風景を間近にできることもこの道路の魅力だ。


この砂浜にはもうひとつ大きな魅力がある。

浜砂がしまっていて、海岸を車で走行することができる渚として全国的に知られていて、

中でも、8キロにわたる「なぎさドライブウェイ」は特に有名だ。

 

あらためて、そんな渚の風景。

早朝とあって、走行する車はほとんどなく、

無数のタイヤ痕が幾何学模様のように渚を飾っていた。


秋晴れに合わせて、なんとなく選んだなつかしい曲。

美しく、親しみやすいメロディライン。

いかにもフィラデルフィア・ソウルといったスリー・ディグリーズの「天使のささやき」。

 

Three Degrees   When Will I See You Again 

  

「9」のつく日は空倶楽部の日   

詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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