東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

とと姉ちゃんの深川を歩く

2016-06-27 | 散歩
  とと姉ちゃんは始まってから視聴率が20%を割ったことがないとか。
  深川にはかつての面影が残っているかな?と
  深川を歩いてみましたがさすがにというか、歩く場所が悪かったのか
  当時の面影はうかがえなかったけど今の深川を・・・。


  

     地下鉄茅場町駅から永代橋に向かいます、
     これは通り過ぎてから振り返った霊岸橋。
     下は亀島川、右に見える大きな建物は日本橋川と合流する水門です。




  

     永代橋。これも渡ってから振り返った姿、左が東京湾。
     永代橋が架橋されたのは、1698年8月、
     徳川幕府の永遠を祈って永代橋とした。

     今回この後浅草まで隅田河畔を歩くことになるけど、
     敢えて橋は上流側から逆光気味で撮ってみました。




  

     永代橋を渡ったらまっすぐ進んで富岡八幡宮。
     1624年、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓し、
     永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。

     一の宮神輿は日本最大の神輿とされ、あまりの大きさに1991年に
     初渡御が行われただけで以後は神輿倉の展示品として扱われている。




  

     境内には伊能忠敬の像。

     伊能 忠敬(いのう ただたか) 1745年~1818年
     1800年、55歳のときこの地から全国測量の旅に出立した。

     奇しくも芭蕉もここ深川からみちのくへ旅立っていますね。




  

     辰巳新道。
     江戸城から見て富岡八幡の門前町は南西の方角にあったので辰巳の名が。
     50mほどの路地に32軒もの飲食店がひしめく飲み屋横丁、それが辰巳新道です。
     闇市を起源とするそのノスタルジックな路地、時間が止まったよう。




  

     盛り場には芸者がつきもの、江戸時代この辺の芸者は辰巳芸者と呼ばれた。
     深川八幡宮・永代寺の門前町は岡場所であり、遊女(私娼)と並んで
     「意気」と「張り」を看板にした芸者が評判となった。
     羽織姿が特徴的なことから「羽織芸者」とも呼ばれ、
     舞妓・芸妓が京の「華」なら、辰巳芸者は江戸の「粋(いき)」の象徴とたたえられた。

     これから清洲橋を目指して紆余曲折します。




  

     とと姉ちゃんの舞台は深川木場、その木場の跡は
     広域避難所となり木場公園として都民の憩いの場に。
     総面積は24.2ha、1992年6月1日 開園。

     広大な敷地は3個所に分かれこれを繋ぐのは木場公園大橋、
     下を流れるは仙台掘川、近くに仙台藩の屋敷があったのでこの名が。




  

     深川江戸資料館
     地下1階から地上2階・3層にわたる高い吹き抜け大空間に、
     約150年ほど前の江戸深川の町並みを再現している。
     各家の中には生活道具類が配置され、
     実際に家に上がりこみそれらの道具類に触れることもできる。




  

     霊巌寺(れいがんじ)
     1624年、日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島に創建された。
     1657年、江戸の大半を焼失した明暦の大火により霊巌寺も延焼、
     1658年に徳川幕府の火事対策を重視した都市改造計画の一環としてここに移転した。




  

     深川は東京湾に面していたため海産物が豊富、
     アサリ飯、海苔、佃煮などお店がいっぱい。
     そんな中に江戸時代からワープして来たおじさんが一人、
     思わず転けそうになりましたが・・・。


     このあと清洲橋に出て隅田川をさかのぼります。
     永代橋は通りました、清洲橋から浅草の吾妻橋まで
     いくつの橋があるのかな?。
                                                                 5月8日 深川散歩
         
   
コメント (2)
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