東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

旧日光街道を我が家へ帰る

2016-06-17 | 散歩
  旧日光街道は日本橋を出たあと千住、越谷、春日部と続き
  宇都宮で奥州街道と分岐します。
  宇都宮までは日光、奥州両街道は同じ道をたどるため
  道筋には将軍家の足跡と共に奥州征伐の頼朝の足跡などもあります。


  

     北千住・旧日光街道、今は宿場町通りとして繁栄している。
     千住宿は日光街道および奥州街道の日本橋から1番目の宿場町。

     イトーヨーカドーの事実上の1号店は千住店でこの近く。
     わずか2坪の小さな店舗「羊華堂」からのスタートだった、
     漢字では「伊藤洋華堂」と書く。




  

     旧道に入ってすぐ本陣跡。
     説明では□、地図は〇と表記が違うけど
     宿場ゆえに旅篭にはいわゆる飯盛り女がいたようですね。




  

     かわいいけど道の駅。
     お休み処「千住街の駅」、ちょっと昭和レトロな雰囲気のお休み処です。
     中には千住の、日光街道の資料がいっぱい、
     おばけ煙突に関する記録も展示されています。




  

     千住宿高札場由来記。
     道沿いに昔の千住宿の俤を残す公園があった。
     公園には「千住宿」の額を掲げた門が建てられており、
     その傍らに「千住宿 高札場 由来」の説明板が建っている。




  

     槍かけだんご「かどや」 甘味処、和菓子、たい焼きなど。

     千住宿は日光街道、水戸街道の分岐点。
     黄門様、水戸光圀も江戸と水戸との往来のために千住宿をよく通り、
     道中での休憩時に、槍を近くの清亮寺にあった松の木に立てかけた。
     その松の木の前にあった団子屋なので「槍掛け団子」と言うようになったとか。




  

     名倉医院。
     江戸時代から名医として知られる老舗ほねつぎ「名倉医院」。
     1770年代に開業して以来、家業としていまもなおこの地で整形外科医院を営んでいる。
     当時その技術は関東一円に広がり、日光街道や奥州街道から
     戸板や駕籠、ウマなどで運ばれてきた患者でひしめいていた。
     この辺り一帯いまでも名倉を冠した整骨院はたくさんある。




  

     田中釣具店。
     名倉医院は荒川の土手ぎわ、千住新橋を渡ります。
     渡った土手ぎわにはキャンディーズ・スーちゃんの実家、田中釣具店。
     ついでに言えば北野たけしの実家も近所らしいけどこれは不明、
     ただ、たけしは幼いころよく田中さんちへ行っては悪戯していたとか。

     この先で国道4号線=日光街道と分かれた旧日光街道は埼玉方向へ、
     私の住む街をかすめ、毎日使っている駅を横に見て北へ。
     徳川の将軍が日光へ参拝する折り休憩・食事をした
     国土安穏寺の前を通って一路日光、そして奥州へ。


     今回は予備調査もなく突然の散歩、
     歩いてみたら知らなかったこと、面白いところがいっぱい。
     今度は下調べをしてもう一回歩いてみたいですね。
                                                                6月11日 旧日光街道を歩く
              

コメント (2)
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