東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

日本橋散歩プラス・親父橋

2016-06-01 | 散歩
  肝心なポイントとなる写真を削除してしまったため再度散歩 !?、
  日曜日、さしたる予定も無かったので「親父橋を探しに行こう」。
  江戸時代からの町並みは大きく変貌していたけど
  歴史好きの皆さんの情報を基に何とか見つけることができました。


  

     小伝馬町から水天宮に向かって甘酒横丁の手前にある標。
     ここは当時の吉原、いわゆる元吉原の長方形の敷地の南の角くらいな場所らしい。
     ここにあるように当時は葦(よし)原だったが、ゲンのいい名前にしようと吉原に。
     ここから親父橋探しに出かけましょう。




              

              何とかそれらしい場所までたどり着いたが確固たる”証拠”がない、
              辺りの風景でも撮って、、、と思って道路の反対側へ移動したら
              おお!建物の壁に”証拠”が、やはりここだったんだ。




  

     人形町・元吉原の方を見る、右端に看板。


     「吉原を作る音頭取りは、遊女屋を営む庄司甚右衛門。(元は駿府の娼家の主人)
     このとき幕府が甚右衛門らに提供した土地は、現在の日本橋人形町にあたる、当時の海岸に近い、
     葦屋町とよばれる2丁(約220m)四方の区画で、葦の茂る、当時の江戸全体からすれば僻地であった。
     葦(ヨシ)が茂る「葦原」は縁起のいい「吉原」という名前に変わった。」

     親父橋
     埋立地であった元吉原は交通の便が悪かったため、庄司甚右衛門が建設させたという。
     人徳者であった甚右衛門は親父と呼ばれ慕われていたところからこの橋の名前が親父橋となった。

     今回は見つからなかったが、このすぐ下流にあった思案橋
     親父橋同様、庄司甚右衛門の建設といわれている。
     「吉原に行こうかどうしようか」と思案することから思案橋と名づけられたと。




              

              数分歩いて江戸橋へ向かいます、ここは小舟町。
              浅草・浅草寺の宝蔵門の大きな提灯には「小舟町」と書かれている、
              ここ小舟町の有志が町内の個人や商店、企業約190件の寄付を集め実現した。




  

     江戸橋を渡って兜町。
     兜町と言えば証券の街、東京証券取引所。




  

     東京証券取引所の横に「鎧の渡し跡」。
     ここにも行きたかった、これで本を読んでも場所が思い浮かぶ。




  

     ここも東京証券取引所のすぐ近く「兜神社」。
     江戸の昔、平将門を祀った鎧神社と源義家の兜を埋めた兜塚があっ た、
     その後、鎧神社 と兜塚は一緒になって兜神社に生まれ変わる。
     兜町という地名は兜神社からとられた。




  

     三越の写真を撮り直すため日本橋に帰ってきました、
     三越の反対側COREDO室町1(左)とCOREDO室町3、COREDO室町2は3の裏側です。




  

     三越の隣、三井本館の横で商業写真の撮影が。
     スタイリスト、ヘアメーク、カメラが5,6台と
     スタッフが10人くらいで撮影してました、失礼して私も!。
     バレると咎められるかな?、歩きながらシャッターを。

     これだけやれば私だって少しはいい写真を・・・。 ← むり・ムリ・無理だよ~ん。♪
                                                             5月29日 親父橋を探して 
         

    
コメント (4)
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