八つ橋のモチーフは絵画だけでなく、いろいろなものに描かれています。
茶碗とか
帯とか
京都銘菓の缶とか。
どれもに共通するのは、流水に「く」の字をつなぐように板橋を渡し、丸杭を打ち、橋の両側にかきつばたというものです。
このモチーフを元にして、造られた庭園もあちらこちらにあります。(写真は千葉県佐倉城址公園)
このモチーフが定着するのに一役買ったのは、琳派だと思われますが、それ以前からあったのかどうか、わかりません。
現存する伊勢物語絵巻の最も古いものは,和泉市久保惣記念美術館が所蔵する鎌倉時代のものだそうで、図書館で図鑑を見て調べてみました。
しかし、残念ながら八つ橋の場面は残っていませんでした。
ネットであれこれ調べているうちに、根津美術館で5月15日まで行われていた「国宝 燕子花図屏風展」に室町時代の伊勢物語絵巻が出展されていて、その写真がHPに掲載されているのを見つけました。根津美術館
それを見ると、江戸時代のものとはずいぶん趣を異にしますが、流水に「く」の字に曲がった板橋が架けてあり、両脇にかきつばたが咲いているところが描かれています。
また、國學院大學で平成24年に行われた「物語絵巻の世界 —國學院大學図書館所蔵作品を中心に—」において、上記とは別の室町時代の伊勢物語絵巻が出展されていました。國學院大學
それにもやはり、北斗七星のように連なった板橋が描かれています。
江戸時代以前の伊勢物語絵巻にも、板橋を連ねた八橋図は描かれているようです。
でも、在原業平が訪れた頃の「八橋」は、どのようなものだったのでしょうか。
その考察は、次回に。