かきつばた園のある無量寿寺あたりは、八橋町という地名です。
旧鎌倉街道が通っています。
京都と鎌倉を結ぶ重要な街道として多くの旅人が行き来しました。
江戸時代になると、東海道が鳴海から岡崎へ行くのに都合のよい2kmほど西のルートを通るようになり、池鯉鮒(知立)に宿場ができます。
鎌倉街道を無量寿寺から10分ほど西へ歩くと、[在原寺」があります。
在原業平を弔うために建立したといわれています。
さらに西へ5分ほど行くと、名鉄三河線の踏切をはさんで「業平塚」と「根上がりの松」があります。
「業平塚」には、高さ1mほどの宝篋印塔が建ち、その形式から鎌倉末期頃の建立と推定されます。
「根上りの松」は根が2mほど持ち上がっていることから、そう呼ばれるようになったそうです。
安藤広重の「東海道名所図会」には、この「根上がりの松」と「業平塚」が描かれています。
手前が「根上がり松」、奥が「業平塚」です。現在は、両者の間を名鉄三河線が横切っています。
業平塚のある場所が、愛知県指定の「名勝八橋伝説地」になっています。
在原業平の旅した平安初期には、このあたりは湿地帯だったようですが、現在その面影はありません。
かきつばたも見ることはできませんでした。
用水路、排水路が整備され、豊かな農地が広がっています。
ちょうど「麦秋」といった趣でした。
(つづく)