JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

911 明治公園に

2004-09-12 02:33:55 | Weblog
 キナショウキチ、高橋哲哉 、重信メイ、川田龍平 各氏が登場したイベントにちょっとだけ足を踏み入れ、お手伝い交遊などなどしてきました。
 三年前の911メモリアルのイベントです。コンサート、議論、資料展示、活動報告など丸一日大きく開かれていたようです。
 夜になってからのキャンドルでのピースマーク作りなど普段できないことができて気分あらたになりました。キャンドルの灯は広島からのもの。そう原爆の灯です。この灯のリレーで形作ったピースマーク、メディアを通して多くの人に届いたでしょうか。
 少なくともあの場にいた数千の市民の心を照らすことはできたことと思います。

 考え行動する人たちから明日の元気をもらうという、とてもいい一日になりました。

ちょっと心残りは重信氏に話しかけそびれたということ。次の機会には絶対話してきます。

     JOHNY

一通の封筒には

2004-09-11 00:40:57 | Weblog
 事務方から連絡。
後期の学費を払ってください。
 ハイ
ガンバッテ支払いしたいと思います。
一回ぐらい請求するの忘れてくれてもかまいませんよ~。期待してます。
 学費の請求のたびに宝物のバイクを売りに出そうかななどと思う私でした。
 
 CBX400Fというバイク、高校生の頃からはや十数年家にあります。二回の盗難にあい、二回目は暴走族仕様になって発見。直して弟が乗るようになり、後に大型免許取得とともにお蔵入り。
いまだに、家でいちばんいい場所に保管しています。乗ってないけど。
 一番初めに買ったバイクで、私から弟へと引き継がれ、バイクに興味のない母親にも唯一名前のわかるバイク。
 ある意味家族かもしれません。

 じゃー売っちゃダメじゃん・・・そうでした。 働きたいと思います。      
     
           JOHNY

 雅子妃 適応障害 有名性

2004-09-10 19:58:50 | Book
 公務にはまだ出てこれないようですね。一般的ではない環境での生活、ご苦労が推測されます。
さて、適応障害ですがこれをひろーくいうと心の病、もしくは精神の障害。近時は一般的な病気で治るから、ということが強調されます。
 こういうようにいわれると、一般的じゃないことはいけなくて、治らない病気はいけないんですか、とくってかかりたくなります。
 今に始まったことではありませんが社会全体にある正常信仰にはうんざりさせられます。

 デュルケム などに言わせれば以異常を含めて正常だということになるのですが。この社会の多くの人は全体から異常を除いたものが正常というものが前提になっている。ゆえに、なにかコトが起こるといっせいにそれを非難し排除使用とする方向に流れていく。
 
 そういった流れを止めることができるのは、知識です。知っているということ知らないということ、正常と異常の区分けはどの線でなされるのか、というようなことを追ってみればその限界に気づき、一方向に走り出すスタンピート状態に取り込まれることはないのです。

適応障害は正常のひとつの形態に過ぎないと。

 雅子妃の件でもうひとつ考えたいこととして、その有名性ということがあります。彼女の御妃としての公人性、多くの日本人に知られる存在であり、またその立場は限りなく非難される立場に立つことはないポジション。この有名性はかなり特殊なものであると考えられます。有名性があるものといってすぐにあがるのは芸能人、スポーツ選手、政治家、でしょう。このどれもがその性質ゆえ批判される可能性が高いのに比べ御妃というポジションは批判されることが皆無だといってよい。
 このことが皇室の硬直した環境を作っている一因でもあるが今回はそれには触れない。
 
 批判される可能性がないことから、一般的にマイナス要因だと捉えられう事柄を身に引き受けたとき、そのことを社会全体が肯定的に捉えようとするのである。
つまり 適応障害は普通のことである、正常なのだ、ということが広がる。
 
 この点において雅子妃の有名性は社会に有意義だと私は考えるのです。肯定されることによって
多くの適応障害の人が救われていることでしょう。また正常の範囲が大きく広がることによって人々の寛容度が上がったと思うのです。
 
           JOHNY

古田選手

2004-09-10 19:00:44 | マスメディア
 プロ野球、明日予定されていたストライキ回避ということらしいですね。要求に対する明確な合意があったというわけではないようですが、ファンにとってはとりあえす一安心でしょう。
 
 多くのファンはストライキについてどのように考えているのでしょうか。 メディアから伝わることから判断すると、古田選手会長の発言するところに肯定的ではある。しかしストライキはどうなんだろう、ファンである私たちが見ること楽しむことができないじゃない、といったこと感じが伝わってくる。そしてその裏の部分に争うことはよくないということが隠れているように思える。
確かに好んで争うことは多くの場合得策ではないことには私自身同意するのですが、殊 労働問題であったり、生活に欠くことのできない基本的なものに対する、当事者間の齟齬に対してはそのくいちがいができるだけ小さくなるまで争わなければならないのではないでしょうか。もちろん合法的な手段によってです。
話し合いということになりますが、これができていることが民主主義の要件でしょう。
 すると、今回のストライキのような場合の争いは歓迎されるべきものだと考えるのです。

 基本的な権利要求を通そうとする行動に対してまで「争うことはよくない」といった言説が流布することには違和感を覚えます。
 ファンのためにも、選手のためにも・・・という経営者側からの発言は、一方的な発言であるだけでなく脅しでもあるということに気づきたい。
 そしてこの脅しに何とか耐えられているのは、古田選手が誰もが認める優秀選手だからでしょう。
 以後、特別な優秀選手でなくとも経営者がわと渡り合える形は求められるべきだと考えます。

          JOHNY

湾岸ミッドナイトから 思想

2004-09-09 02:30:03 | Book
夏疲れか、夕方どうしようもない睡魔に襲われちょっと休憩。

 こ一時間してから起き上がりご飯を炊く。半分余って冷蔵庫に眠っていたいた大根と、チョイ高級目の油揚げで炊き込みご飯にしました。つけあわせはナスにお塩をふって梅干と合えたもの。
 さっぱり大人なご飯を用意してレジャーに。
といっても近所のBOOK OFFです。ここしばらく行っていなかったのでなにか掘り出し物があるかもとワクワク。 通常よく行く本屋さんや神保町の古本屋さんとはまったく違うのがこの本屋さん。
 全部いっしょくたに105円みたいなね。ほとんどこれで買えちゃうところがすごい。
今日買った12冊中9冊が各105円でした。
うち漫画二冊。
その一冊が以前にもここで書いた『湾岸ミッドナイト』25巻、車、チューニング、首都高速走りもの。内容がかなり専門的なところまで書かれているので、車に詳しくない人にはまったくわからない漫画。しかしこの漫画の作者はそれを意図的にやりながら、実のところ語っているのは、思想、生き方、自分の道である。私は、車好きもさることながら、この点に強くひきつけられている。単行本一冊の中に多すぎるほどの光る言葉がある。

 「前はもっと車をコントロール下におこうとしてさ 車との距離をつめるそれが一体感みたいな」

「でもだんだん違うんじゃないかと思ってきてさ ある程度の距離感はあって当たり前だろって クルマはクルマとして すべて乗り手の支配下におけないのは当然だろって」

 否定しない この男はクルマを 

 だからヒトも否定しない

・・・このこと、否定しない受け入れるもっといえば相手を咀嚼するといえばいいか。対人コミュニケーションで必要とされるのはこの点ではないだろうか。少なくとも私はこの点を意識している。
 どのように相手を肯定し互いが同じ土俵の中に入るかということを。
 相手を否定し自己の支配下に入れたうえでコミュニケーションをとろうとするヒトがいる。
それは土台無理なはなし。
あなたは私を知らないし、私もあなたの事を知らないのだから。

        JOHNY

「何者か」でなくたっていい

2004-09-08 03:00:40 | マスメディア
 昨日、ある資料の検討しているときに気になったこと。しばしメディアなどで人物説明のためにその人の職業を記入してある。自営業、会社員、役員、芥川賞作家、その他いろいろ、フリーター、無職。
この記入は何のためにあるのか。
会社員であること芥川賞作家であること無職であることを読者
、受け手に伝えて、何を解ってもらいたいのか。どのような先入観を持ってもらいたいのか、と私はこんな風に思うのです。
 つまり要らない情報でしょうと。
 その人物の何が知りたいのでしょうか。何を語っているかという具体的な内容が伝えるべきものだと思うのです。そのあとに職業なり肩書きが必要なら記入すればよいと思うのです。
  
 無配慮に人間を細かいカテゴリー分けしようとする支配者のにおいを感じませんか、みなさん。

 このあたりの感覚は若ければ若いほどつよいとおもいます。題名にした「何者か」でなくたっていい は金原ひとみ(芥川賞作家)の言葉です。
 受賞前、でもあとでも同じ私。私をみないで肩書きを見る周囲に対しての「あなたたちバカでしょ」宣言と取れる言葉です。
 いかに人々が人間を見ていないか、心の伴わない上っ面の社会を形成しているかということをいっている。

資料を検討している中で、無職であるって・・・と少しまわりの人につっかってみたのですが、あまりピンとこなかったようです。若くないなみんなと思った瞬間でした。

        JOHNY

NHK 子どもが見えない から

2004-09-07 02:01:06 | マスメディア
 人との関わり合いがわからないまま ハードルに弱い

 立ち上がり方を知らない 

ストレスを全部取り去るのではなくてストレスと向き合いながら

なぜ人を殺そうとまでおもうのか 凶悪な事件 

将来を気にするから 正しい選択 関係の維持
 いじめられながらも学校に通ったあの子の気持ち
 叫び 

 北星与一高校の義家氏 少年ナイフなどで知られる重松清
らが少年のインタビューを聞いている。
 その姿がすべてを物語る。
彼らの共感する力の高さを。少年の叫びを自分のものとして感じている。過去の他人の感情を自分のものとする。
 
 世界を再現する想像力が優しさ。
想像力に欠けるものが教師になるから、そんな大人ばかりだからいつまでも学校という閉鎖空間の常識がまかり通るのだ。

 子どもが見えないのは見ようとしないからだ。子どもの世界を想像しようとしないからだ。

 取り返しようのない暴走まで追い込む学校、社会、大人。どんなに子どもにも自己責任があるのだなどといおうとも、最後の一線を踏み越えさせない責任は大人にある、いや大人にしかない。

           JOHNY
     

『不良少年の夢』義家氏会ってみたい人だ。

ネコくんのおはなし

2004-09-07 00:52:46 | Weblog
 画像を始めて使ってみます。家のおこちゃまです。まだ三歳ぐらいです、ネコとしてはりっぱな大人ですが。
 まだまだ迷いネコ新参者として部屋を引っ掻き回しています。
 人の心の隙間を埋めてくれるととも心をつないでくれることもしてくれます。
 私も誰かの心をつないであげれたら。
        JOHNY

権利 自由 独立 自治

2004-09-06 23:56:50 | Weblog
いまだに思い出しても腹立たしいこと。私が通った高校の体育教師め!
 私は死刑廃止論者ですが、きみたちは死刑だ。
 
 暴力の雨あられの高校時代を送った私にはいまだに彼らに対する不信感があります。
 人をきづつけるでもなく、単に個人の趣味を追った服装をすることは、およそ暴力が振るわれる理由にはならない。そもそも全面的に暴力は禁止なはづだ。
 体育教師のみならず指導という名を借りた、暴力行為を肯定した当時の教師全員連帯責任だ。
誰も止めなかったからね、ああいう状態を。
だれだ、ああいう教師を育てたのは!
 たぶん、今も製造されているのだが。

 支配に屈する人材を育て続ける大学になんていつまでもいたらいけない・・・。
 自分の首が絞まるのでした。

 少し救いがあるとすれば、通う大学は、権利 自由 独立 自治を建学の精神としているということ。
 教授の言うことを聴かないこともある私ですが、この建学の精神にはいつでも立ち戻り資力します。
 権威に名を借りた暴力とは絶対対峙しなければなりません。

           JOHNY

 故郷はどこに

2004-09-06 03:46:42 | Weblog
 お友達のタクくんの故郷は群馬県。彼にとっての故郷であり帰る場所。そこ以外にはありえないと彼は強く言います。その言葉を聞いて思います。
 私にとっての帰る場所はどこなのか。
 
 いつの間にか今の場所にいる私たちはまづ帰る場所を探さなければなりません。
 そうしなければ新しい一歩を踏み出せないから。
 
 迷ってしまったとき
 行く先の地図をなくしてしまったとき
 先の暗闇を照らす灯かりが消えてしまったとき

 私たちは家に帰って出直さなければなりません。

 帰らなければ迷い続けてしまうのです、だから帰る場所を確認しなければならない、帰る場所がなければならない。

 道に迷い、帰るべき家を探し続けなければならない人たちが街のところどころでうずくまっています。

         JOHNY

東電OL事件 シンドローム

2004-09-06 03:20:36 | Book
 この事件話題になりました。キャリア女性の夜の顔というような興味本意の視点からプライバシーが不当に暴かれる形になりメディア社会に大きな波紋を及ぼした。
 ついさっき本屋さんで この本の帯を目にしたのです。あのOLのように「堕ちてしまいたいという」衝動。
 だれにも社会から逸脱することへ憧れは多かれ少なかれあるように思います。こと社会の中に経済的な不安定さが強くある時代はなおさらのことだと思います。
だれもが、苦しい今をあきらめてすべてを投げ出すことができたらどんなに楽かと考える。でもほとんどの人は今を投げ出さない。踏みとどまることを選択する。
 
 おもうに、今を投げ出す人、あのOLでもいいか、は、その選択するという当事者の権利を行使させてもらえなかった人ではないかと思う。選択の結果ではなく、そうなるしかなかったという被害的状況がそこにはあったのではないのか。

  堕ちたい衝動を持っている人は決して堕ちていかないと私は経験的に思う。選択できる人は恵まれているのだ。決定権が自分にあるという時点である人たちより優位なポジションにあり違うところから堕ちる世界を眺めている。
 二つの世界には超えられない溝がある。

            JOHNY

アーサー・ホーランド

2004-09-06 02:27:48 | Book
いま気になる人や物には自然と多く出会うようになる。街中、本屋さん、メディアの中、話題の中。たぶん無意識下に対象物を探しているからそういうことになるのだとは思うけれど。
 
 最近ちょくちょく目にする人、アーサー・ホーランド。TVにでているのは目にした記憶がないので、本や雑誌で目にしている。彼は牧師さん。ハーレーダビットソンに乗り、背中にはクロスの刺青、背中というか全身にTATOOといった感じ。学生の頃は腕力自慢で全米の柔道選手権で上位入賞など、人を惹きつける話題性にあふれている。現在すでに50歳を超えているが肉体的にも精神的にも充実しているように見える人。
 
 逸脱しているところから世界に視線を投げかける人への憧れ。自分もそうありたいという思い。
いまだ世界を抜けきれないいらだたしさから、彼へつながる糸を手繰り寄せようとする。
自分と彼の何が一緒で何が違うのか。届くのか届かないのか。

 自己の破壊願望の先に、まだ世界が存在するということを実証する希望の人物だ。

        JOHNY
 

映画 おすすめ らくだの涙

2004-09-05 03:29:20 | マスメディア
 らくだのなみだ という映画がやっている。モンゴルでのドキュメント仕立てのもの。コメンテイター絶対のお勧め。
 
 映画でも本でも昔は動物関連のものを好んでみたのですが、最近は見なくなりました。命への愛を意識するため、心の中に育てるためにみるはずのものがいつからか憎悪を育てるものになってしまったから。

 ストリーテーラーが伝えようとすることはなにか、ということは実のところ受けての中で都合のよいように変化させられてしまう。
 
 動物に関連した作品から私は人間への憎悪を心の中に生じさせる。

 心のオモリになるようなものを避けるから見ない作品。すべてがそのようなものであるはずはないけれど。
 
 自分の変化を待っている。

とはいへこの作品はよさそうです。

          JOHNY
 









ミスチル カップ ヌードル 

2004-09-05 02:03:23 | マスメディア
よくかかっているCM。
 白黒でかんじさせる不安、かっての東の国をイメージさせる背景とひと。中央にライン上に置かれたカップヌードルを取りに押し寄せる子どもたち。
流れる音楽の歌詞
 「子どもたちを被害者に、加害者にさせないために・・・」
 NO BORDER という文字が抜かれる。
 食べるということで表すNO BORDER うまいCM
僕たちに何ができるだろう、ということのヒントをくれている。

気になるCMだ。

       JOHNY