JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

降灰 で

2004-09-21 01:30:02 | Weblog
 数日前から外の車がなんだかちがう汚れ方をしてるなとおもっっていました。
これ、火山灰ですね、浅間山の噴火の影響。
 先般、清里に行ったときにちょっと近づいたかんじ。その清里にいくのにけっこう時間がかかった。遠いよな浅間山。
 感覚的に遠くで起こったことなので他人事な感じでしたが、火山灰で車が汚れるということで噴火が突然身近なものになる。

 近いようで遠く、遠いようで近い。
関係ないようなこともつながっている。

         JOHNY

個人情報の管理問題か

2004-09-20 00:22:07 | マスメディア
 有線放送の電話番号簿ってなに?
一人暮らしの人を狙った殺人事件に使われたもの。
 
個人情報の何がオープンにされ何がクローズにされるべきか。
この問題はおそらくマスメディアで報道される場合に何が開示されやすく何が非開示にされるかということと表裏一体です。
メモ

       JOHNY

人にとって 中心はどこ

2004-09-20 00:02:09 | マスメディア
 絶滅に瀕している動物の為に人間が餌場を作る。スペインオオヤマネコは新鮮なものしか食べないので生きたウサギを餌場においていく。
 
 友達が大き目の水槽でアロワナを飼っています。水槽の横には金魚が泳ぐバケツ。

私にはウサギも金魚もペットとしての感覚しかないので、それをエサとして認識することができない。
 
 どこに中心をおくかで対象物の意味が変わってくる。

私はエサで、私は何かをエサにしている。

         JOHNY

デンゼルワシントン 袴田事件

2004-09-19 05:18:15 | Weblog
 デンゼルワシントン主演のハリケーンをTVで見ました(吹き替えで)。この映画は実際にあった冤罪事件をもとにしている。20年以上冤罪で閉じ込められていた人が自由を勝ち取るまでのストーリー。これを見ながら思い出すのは 、前にも書いたことがある袴田事件である。
この事件では先ごろ控訴が棄却されている。
簡単に時系列で経過をみるとこのようになる。

1966(S41) 6.30 静岡県清水市で事件発生
8.18 事件から49日目、袴田さん逮捕
9.6 逮捕から20日目、犯行を「自白」
9.9 強盗殺人、放火罪で起訴
11.15 静岡地裁第1回公判
1967(S42) 8.31 事件から1年2ヵ月後5点の衣類「発見」
1968(S43) 9.11 静岡地裁で死刑判決
1976(S51) 5.18 東京高裁で控訴棄却
1980(S55) 11.19 最高裁が上告棄却(死刑確定)
1981(S56) 4.20 静岡地裁に再審請求
11.13 日本弁護士連合会が袴田事件委員会を設置して再審支援を開始
1994(H 6) 8.9 静岡地裁が再審請求を棄却
8.12 東京高裁に即時抗告
2001(H13) 8.3 東京高裁に最終意見書提出

 事件の起こった1966年といえば理想のファミリーカー カローラがトヨタから発売された年である。このシリーズは現在まで売られ続け現行型は9代目になる。そのラインナップにはたんなるファミリーカーというだけでなく若者向けの形も投入された。 記憶に新しいところではいわゆるハチロク もカローラの一種である。最近ではライフスタイルの多様化からワゴンスタイルの形も多くでている。

 車が8回のモデルチェンジをし、ライフスタイルの変化によりそのバリエーションが多くでるような期間、袴田氏は塀の中にいるわけです。
 先日、タクマ氏は死刑執行されました。異例に早いという評価はこういった死刑囚がいることが背景にあります。
 死刑判決が出ているのが1968年、今は2004年。仮に犯人であったとしてもこの長期にわたる拘束がなぜ肯定されるのかがわかりません。袴田氏はすでに拘禁ノイローゼになっている。そうなるのも当たり前でしょう。だからといってすぐに死刑執行すればよいというのもおかしな話です。
そもそものところ国家という形を借りた私たちに死刑という人を殺す権利があっていいのだろうか。
 犯罪が犯罪である理由はこ国家がすることにも当然に当てはまるというように考えなければならない。

 デンゼルワシントン演じるハリケーンは言っていた。犯罪をしていないものを刑務所に入れる判決は犯罪であると。
 冤罪で人を閉じ込めることは当然に犯罪行為だし死刑も犯罪行為だ。

 ハリケーンのコトを救ったのは諦めなかった人、信じ続けた人の心.

 あきらめるなということをあらためて心に留めたい。

            JOHNY袴田事件

金メダリストの応援団長は!

2004-09-19 00:54:58 | マスメディア
 荒川区長収賄容疑で取り調べ。水泳金メダリスト北島選手の応援団長、○○区長は・・・。

 そんなことで名前出されても困るよね北島選手、無理やりつけたとしか思えない枕言葉。
 果たしてキャッチーな言葉といえるのか?

 ある意味、不適切な表現だと思いますが、どう思います?
    
         JOHNY

宗教と 三種の神器と

2004-09-18 02:12:35 | Book
 「三種の神器」とは天皇の地位継承の正統性を示す3つの品物,天皇家に代々伝わる剣,鏡,勾玉のことですが,転じて,あるもの,ことの成立に必要不可欠なもの,「必要条件3点セット」を「三種の神器」と呼ぶようになりました。

ドトールで睡魔と闘いながら読書『脱宗教のすすめ』 竹内靖雄 PHP

この本は大学院のお友達に貸してもらいました、があまりおもしろくなかったです。
経済学出身の著者独自のアプローチです。
 宗教の需要はあるのか、という視点。著者は宗教の需要は先細りといっています。
宗教の機能の癒しというところに注目してみた場合、市場にそれを満たすものが多くありやがて宗教ではなく市場がすべてそれをまかなうという。アロマセラピーや音楽,スポーツ、ペットと暮らす、ブランドあさり、などをあげ人はそれらによって癒されるという。
 確かにその部分があることは認める。しかしそれでも満たされない部分というのが人間には厳然とあるのではないかと私は思う。

 市場でできることというのは結局のところ、物であり、お金ではないだろうか。
かってTV洗濯機掃除機が三種の神器といわれた、いまは薄型TV、DVDレコーダー、デジタルカメラといわれる。もちろんこれらは電気製品の会社が都合よく作ったコピーともいえるがひとつの時代の風景を語っていることは事実だ。
 かっての三種の神器が労働力の省略にあったのに比べ近時のものは情報の処理をするものが多いのではないかと思う。

 このことがこれから先の社会に宗教がますます求められることの暗示のように思う。
労働力の省略により考える時間が増えた。その結果新たにできた情報を改変蓄積していく。このことは人間の活動が物理的、外面的なものから精神的、内面にむかう傾向を表していると考えるのだ。

この本を読んでいてそんなことを考えました。

    JOHNY

国家という暴力機関 と私

2004-09-16 04:31:51 | マスメディア
つい先日死刑が執行されました。国家による殺人ということですからそのこと、過程や内容はより細かいところまで公開されるべきのものでしょう。現実には死刑の執行は秘密裏にされ直接にはその親族にしか知らされないというような状態がずっとつづいています。
 近時は犯罪被害者の為に様々な情報が公開されるべきだという議論もあり変わってきているかと思いますがその内実はまだまだよくわかりません。
 
 ある人が何らかの罪に問われること、人の行為を犯罪だと定義しそこに不利益を科すということに私たち全員が何らかの責任を負っていると考えられます。
 私たち市民は絶えずその情報、ある種の人たちに負担を強いているということに関し、敏感でなければならない。
 市民の民度を高めることに資するべきマスメディアは積極的に政府情報にアプローチし市民に公開する義務がある。

 国家という暴力機関は絶えざる監視を必要としている。そして国家の暴力というものに、正当性があるのかどうかということも検証し続けなかればならない。
 私見を言えば、個人による暴力が否定されるのと同様に、国家による暴力は否定されるべきだと考える。
 戦争しかり死刑しかり。
 死刑制度そのものの是非は問われるべきものであると考えられる。

 異例の速さで執行された死刑に、その運営の恣意性、不確定性が伺われ、人が入ってはいけない領域に入っていることがより浮かび上がっているように思える。

         JOHNY

中村うさぎ さん と研究

2004-09-16 02:06:38 | Book
 今日は所用で池袋へ行ってきました。用事のあと西部へいきデパチカで中食を買い(いったい何語なんでしょうこれ)、三星堂へ・・・違う、リブロだ。リブロは久久、時間が遅かったのでゆっくり見て回ることはできませんでした。
 それでも欲しい本がたくさん。
 
 今更ですが新刊ってホントにいっぱい出てるんですね。池袋西部のリブロは店舗面積が広いこともあり本の平積み率が高い。他の書店で背表紙だけで見落としがちなものが、ここでは発見できるので欲しいもの発見率が高いかもしれません。
 欲しいものがいっぱいあったのですが今日は買うつもりで行かなかったのでガマンといいつつ一冊だけ。
 『自分の顔が許せない!』中村うさぎ 石井政之 平凡新書
 この本は絶対に買う類の本なので買ってしまいました。
 ショッピングの女王、中村うさぎ氏 この人なかなか侮れない。軽いエッセイの中に鋭い視線の言葉が多く入っているので、彼女の作品は何冊か読んでいる。
今回買ったものは、軽い作品というよりどちらかというと心理的、もしくは思想的な方向にふったものである。タイトルからわかるように、顔に注目し、そこから私たちはなぜ容姿容貌にこだわるのかというようなことが論述されており興味深い。だれしも少なからず自己の顔や容貌にはなんらかの不満を持っていると思われるが、それはいったいなぜなのか。
 容貌の差異に関心を払うということは社会学的な大きな課題のひとつで研究対象にしている人も多い。人間一般に差異があるということ、その差異のあり方が男女によって異なる、さらに属する文化によっても異なる、というようにアプローチの方法は多様に存在する。
 
 私の関心のあり方もその中にあり、ちがうってなんだろう、ということにこだわっているのではないか・・・。
 ちがうということを肯定する日本国憲法は権力の制限規範であり、それと同じ働きをするべきのマスメディア。
現実のマスメディアはそのように機能していない、ではどうするか。
 というようにつながっていく。

 中村うさぎの言葉がいつか私の研究の中に生きてくる?のでは・・・と。

      JOHNY

名門アサ秘ジャーナル

2004-09-15 01:25:18 | Weblog
岩国哲人 
日興、モルガン、メリルリンチ、などなど数々の経済世界経歴
封建保守閉鎖的な出雲での経験 

ジャスコ民主党お膝元議員になっている現在だからこそのおもしろい話が聞けました。
市長時代にスーパーに役所の出張所を作った。そのスーパーがジャスコ。
人生どこでつながっているかわかりません。

 岩国氏、独特の話し方で雰囲気があります。
頭がいい人特有の感じがあって、なじめないな私は。

 そう、はるか昔JPモルガンの就職面接で苦戦したことを思い出しました。岩国氏みたいな人が向いているんですね、たぶん。
        
        JOHNY

TRY IT EXPACK

2004-09-15 00:17:02 | Weblog
CM のコピーです.ダダダダッという効果音と意外なものが詰め込まれるパックの映。
伝えたい情報だけがうまく入れられている。
 電車の中刷りでも同じ商品のものがありました。これもうまい、女の子が散歩の途中にその商品をポストに投函するというストーリーが書かれている。まずは商品名の訴求からということでイメージ作りをしているのでしょう。
 成功だと思います。

EXPACKのCM
誰が作ってるんでしょうか。

           JOHNY

移動する人

2004-09-14 19:41:41 | Weblog
911から定期を3ヶ月分買いました。

 バイクなど自分で運転しなければいけないものと違って電車ならば、乗っている時間が自由に使えるので勉強したいときはなるべく電車に乗るようにしています。目的地に着くまでの40分弱往復にすると80分、けっこうつかいでがあります。
 人生のうちで人が移動に使う時間って合計すると・・・たぶんすごい時間ですよね。この時間に色々なことできるとすごいんじゃないか。スーパー天才な人になれるかも。
 そんなにうまいコトいくわけがないですけれど。

大きく考えると
そもそも生きてるってコト自体が移動の時間のような気もします。移動の時間をどのように過ごすかと考えること、どう生きるかってことでもあるのでしょうか。

         JOHNY

 川面に聖橋 ホームに光

2004-09-13 23:51:07 | Weblog
 寝不足と胃痛でくたびれ気味。
昼休みに、お友達のタックンに連絡し夕方大学で会うことに。しばらく大学に行かないうちにもう二度と行きたくない・・・病にかかり始めているのでお友達に会って気分を一新しなければ、エイ! ということで行ってきました、お茶の水。
 
 図書館をちょっとウロッとしてから大学院22Fへ。同じビルの中ながら学部生はなかなか院スペースへ入ることはないようなのでご案内。
 チラッと知った顔に出会い軽くご挨拶だけしてあとは彼と夏のお話をして帰ってきました。
じょじょに慣らしていかないと酸欠になるほど凝縮された空間?なので1週間かけて慣らしたいと思います。
 帰り際に会ったMさんも後期始まるの憂うつそうで少しホッとしました。

 この写真は2002年の5月にとったものです。
多分この頃は新しくはいった大学にまだなじまず街をウロウロしているときにとったものではないかと思います。 こんなにキレイな一面も見せる街にいるんだなと、元気を出したような記憶があります。
      JOHNY

モブノリオ 介護入門 で

2004-09-13 03:54:58 | Book
 この作品は文芸春秋に掲載されたときに読みました。文中の表現の仕方に関して多少好き嫌いが分かれる作品でしょう。れいをあげれば、同輩とかいてニガーと読ませるというようなところ。音楽のラップを愛好する作者らしい表現ではあるのですが、おそらく少なくない人がこのような表現にひっかかってしまうのではないでしょうか。芥川賞選考委員もそのようなことを言っていました。
 そのほか内容についてコメントするなら、読者に最後まで読みきらせる作品自体の力は強く感じました。
 先にあげたひっかかる表現に出会いながらも私は一気に読みきりました。扱ったトピックが老人介護という、ある意味地味といえるものを表面に持ってきておわりまで読者を捕まえていくことはなかなかできることではないとおもいます。
 介護という表面のお話と、個人の中で起こる心の葛藤、他者に向けるまなざし、それらすべてを含んだ社会を俯瞰する主人公がバランスよくかけているので、地味であるとか暗いといったような印象を感じさせないのではないかと思います。
 
 そしてさらなる評価をするならば、今挙げたこと以外のことを人の心に喚起するからではないかと考えます。
 それはなにか。
文中にほとんど出てこない、主人公の母親に対する心のありかた、このことに私は強く関心を抱きました。
 介護される人は自分をかわいがってくれたおばあちゃん、他者としてでてくる親戚の人や介護ヘルパー、自分を異界のものとしてみる社会の人、こういった人々の登場頻度に比べ母親の登場場面は少ない。
 なぜなのか。

おもうに、この作品の中で作者は、思うようにならない人生のいらだちを介護に重ねて消化させようとしている。そしてそのいらだちの原因は母親にあると考えている。
 不満を言わずに介護という状況に黙々と立ち会う母親。
状況を受け入れている母親に自分を重ねる。こんなはずじゃないと葛藤し続ける自分の幼さにいらだつ。そのイラダチが母親に向く。
 なんか不満はないのかよ、いいたいことあるだろ、オレはぜったい認めないからなこんな人生。

こんな言葉が聞こえるのです。

この作品が書かれた動機として、隠された母親への愛情があるように感じます。
母親への愛を、自分の人生に重ね語っている。
こんな風に語れるということが、作者が 愛情深く育てられたコトをうかがわせます。
 よい作品、おすすめです。

       JOHNY

 ネコくん 二番

2004-09-13 00:08:26 | Weblog
 人気沸騰のため二枚目の写真アップです。
といってもこの写真は二年前です。この時点ですでにおっきいのに、今は見る影もありながらもデカデカねこへと平和に育ってくれています。
 前回に続きマオちゃんでした。

        JOHNY
 携帯電話でとった写真がアップできないのはどうしてなのでしょうか。保存形式を変更することは可能なのか否か。いまだオンチなのでした。