JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

原付で二人乗り?

2005-06-30 00:21:13 | マスメディア
原付二人乗り

喜ぶのは暴走族だけですよという署長。
ここにはおそらくバイクイコール珍走団の図式。くるまでプリウスが売れるように、環境問題は切実。ヨーロッパの状況のように、日本にもバイク社会の時代が来るのではないでしょうか。
警察官の貧困な想像力は糾弾していきましょう、無用な管理社会につながりますからね。なんて。

                JOHNY

ひとつはっきり

2005-06-30 00:07:52 | Weblog
 はっきりしていること。大学教育の場で優等生が大手を振るうようになったらもうだめですね。
学問は自己で究めていくものであり、けっして一方的に教えを受けるものではない。主体性を自分で確保できないひと、いわゆる優等生はせいぜいが企業に入って活躍(それが最良かもしれませんが)
 個人的には周りを見て、いつまで教わってんの、とおもうし、いつまで教えてんのともおもいます。

優等生にならないように気をつけねば・・・すいません、いってみたかっただけです。
生涯曇りなきアウトローです私は。

               JOHNY

ニュースも新聞も

2005-06-29 23:34:54 | Weblog
 物理的に時間がないという理由だけではない。メディア接触の時間が少なくなってきているのは、内容に関する疑念があるからだとおもいます。
 表層的な内容しかそこにないので、みるまでもない。
そこまでいうといいすぎだとはおもうのだが、一縷の真実が。

 今日、講義がおもしろくないという声をある学生からききました。
その原因はおそらく議論の場の薄さにある。
私の想像する範囲でですが。
 でこの場合にどうするのがいい方法か。
じぶんがフェイドアウトするか相手を排除するか、その場の変革を図るか。
最後の選択をすべきかな。

少なくとも自分自身に照らすならば、経験的に、自分が思うように優れた場は存在しない。当該場を変えるしかない、その努力で満足するしかない・・・たぶん。
それで力尽きたら、すべてやめよう。
そんなかんじです。
おなじことを、周りの人にも薦めていこうと思う今日。

                JOHNY


おはよう2

2005-06-28 08:47:38 | Weblog
 今日の予定は。
夏、暑い、33度となっております。

夕方から大学へ。暑いのであんまり動かないようにしようかと思います。ドトールでPCひろげるかな。
そういえばいくと必ずドイツ語の文献をドカンとひろげているお父さん、あのひとはいったい誰なのか。きになります。私のひろげるものはあんまり一貫したものではないかもです。今日も何を持っていくかはまだ未定よ


            JOHNY

おはようございます

2005-06-27 06:18:26 | Weblog
 昨日はひさびさに太陽の下バイクを磨いたりしました。ワックスをかけて油をさしてエンジンかけて。良い息抜きができました。一週間詰め込みに詰め込むスケジュールで動くので余裕がなくなっていたのでよかったです。上手く視点を切り替えながら毎日過ごせるといいのだけれど、なかなかそうはいかずキーッっとなったりします。
 しばらく触らずにいたバイクたちに触れていくことを課題にしていこうかな。

                    JOHNY

おもしろいお話

2005-06-25 02:54:25 | Weblog
論駄な日々
大学世界と一般企業常識との差異について
主に講義の遅刻、延長について。

こんにちわ。
たしかに遅れてくるのはどうかと思います。前を横切る学生なども。マナーの問題。
ですが、考え方によっては、その時間の組み立て方、処分権は教員にあるともかんがえられる。遅れてくる空白の部分で何かを教えている、提供しているとも。裏を返すと時間ぴったり初め終えるひとが優秀とは限らない。
学生が求めるものがなにかにもよる。
おもうに契約にもとづくカリキュラム消化の部分と学問の部分はピッタリとは重なり合わないのではないか。
 教官(教授)なのか学者なのかというような問いも浮かぶ。
いろんなことがかんがえられるな~。

 私の知っている学者のはなし。
タイムカードをキチンと押すような人に哲学教わりたい?
お金があるからって家のローンの繰上げ返済するような人に・・・。
強く同意しました私。
あとはマナーですね。遅れても延長しても許される形や態度といったものがあるとおもえます。当然学生側にも。

前述は私のコメント。

昨日のカルチュラルスタディーズにも通ずるかとおもいますが、どうしても人は既存のものの権威や常識といわれるものに取り込まれてしまう、ことにかんがみてあえて視点をずらすことが必要です。とはいえずれていることすべてOKではない。
このあたりのバランス感覚が力の見せ所だと私は思います。

腐っても人間

2005-06-25 02:03:25 | Weblog
 駅の階段とちゅうでしゃがんでいるでっかいおとうさん。
電車から降りた人みんなが通り過ぎました。わたしも。
忙しいからね、
急いでいるからね。

誰も声をかけなかったことを確認。引き返して声をかけました。

もうすこしこうしていれば大丈夫だから、いいですよ。
ホッとした顔が見られたので大丈夫と判断しました。

具合が悪いときの心理状態を経験的に判断すれば、誰かがいる、という安心感をもてればそれだけで回復したりもする。

ときにこの世界には人がいないのではと思うことがある。

だれもいなくても私はいるから大丈夫。

            JOHNY

カルチュラル

2005-06-23 23:34:45 | Book
カルチュラルスタディーズが流行ってからもう随分たつと思いますが、いまだ消えていないところをみるとすでに定着している、と私は考えてきたのですが、知らない人はまだ知らない、興味のない人もいる。
 ある講義の中でカルチュラルスタディーズってなんですかという質問。

日頃の思考傾向から、説明の任を負いました。

飛び道具な質問。

主体の転換がされた、ポストモダン、構造主義、大学院生が中心に始まった実践・・・すでに限界。
サブカルチャー ジェンダーなど具体例を挙げることは、カルスタの説明には足りないとおもえたので言葉がでてきませんでした。

主流に対する傍流の異議申し立て、こんな風にいったら良いのか。

説明は難しい。
そもそもアカデミズムになじまないものと考えることもできる。

説明が難しい原因は当該場が社会的に肯定感をもって承認される場であことが原因だとおもう。
その場の思考を転換させるだけの力がありませんでした。
ストレスのたまった時間。

              JOHNY


ちょっとここに用事

2005-06-23 08:30:26 | Weblog
 じゃあね、バイバイといってわかれたのだけど、ちょっとと、言っていたので待つことにしました。
 20ッぷん経過、おや。
でももうくるかな。

およそ二時間後会えました・・・。

ちょっとっていうから・・・小学生並の判断力かも私。
暇人・・・。
いいわけを考えながら待っている時間もそれなりに楽しい。

                 JOHNY

今日のホッとひといきは

2005-06-22 07:52:30 | Weblog
 野菜ジュース。
健康オタクと化しています。青汁、やさい トマト、充実やさい、ビタミンサプリ、納豆、とうふ、その他色々。
 健康になった気になると晴れやかな気分です。
これも依存症ですね、すでに。
よし
仕事まで一時間。筋トレするよ。

                   JOHNY
カゴメやさい

ほっとひといき

2005-06-21 06:17:17 | Weblog
 どんな飲み物を飲んだら。
さいきんはドトールのアイスコーヒーかな。新宿駅内のドトールでフーッと息をついて飲むのが10:30頃。5分ぐらいだけ駅構内の人の流れを眺めて、地下鉄へ。
180円でホッと。
帰り着くまでまだ一コマ分ぐらいの勉強ができます。
楽しい時間のまんなかです。

           JOHNY
昨日ニューヨーカーズカフェのアイスコーヒー・・・おいしくなかったです。空間とともに味もダメでした。

現実の不平等

2005-06-21 05:51:44 | Book
平等権と違憲審査

北樹出版

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 ときに驚くこと。
平等を求めることが望ましいであろう、ということにコンセンサスを得られないとき。
大体においてその理由付けは、現実社会は不平等だからということ。

不平等だから平等を求めるではなく

不平等だから不平等はそのままに、ということ。

結果の平等は求めずに機会の平等だけ。

思うに結果の平等がを選択しない人の思考にはそれがもたらす弊害が想起されていることと考える。ともすれば結果の平等は個人的差異をすべて無視することにつながりかねないからである。

結果の平等イコール個人的資質の差異不在という思考が形成されてしまう。このように考えること。

この考え方にもとづけば、そこに一点の正当性があるのだが、それは不平等の存在を是認することの理由にはなりえない。
人間の人格的平等、同等性ということに関する理解があれば、不平等の内容は絶えず考察され続けるべきなのであるから。

         JOHNY
参照
横坂健治『平等権と違憲審査』1998 北樹出版