JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

 川面に聖橋 ホームに光

2004-09-13 23:51:07 | Weblog
 寝不足と胃痛でくたびれ気味。
昼休みに、お友達のタックンに連絡し夕方大学で会うことに。しばらく大学に行かないうちにもう二度と行きたくない・・・病にかかり始めているのでお友達に会って気分を一新しなければ、エイ! ということで行ってきました、お茶の水。
 
 図書館をちょっとウロッとしてから大学院22Fへ。同じビルの中ながら学部生はなかなか院スペースへ入ることはないようなのでご案内。
 チラッと知った顔に出会い軽くご挨拶だけしてあとは彼と夏のお話をして帰ってきました。
じょじょに慣らしていかないと酸欠になるほど凝縮された空間?なので1週間かけて慣らしたいと思います。
 帰り際に会ったMさんも後期始まるの憂うつそうで少しホッとしました。

 この写真は2002年の5月にとったものです。
多分この頃は新しくはいった大学にまだなじまず街をウロウロしているときにとったものではないかと思います。 こんなにキレイな一面も見せる街にいるんだなと、元気を出したような記憶があります。
      JOHNY

モブノリオ 介護入門 で

2004-09-13 03:54:58 | Book
 この作品は文芸春秋に掲載されたときに読みました。文中の表現の仕方に関して多少好き嫌いが分かれる作品でしょう。れいをあげれば、同輩とかいてニガーと読ませるというようなところ。音楽のラップを愛好する作者らしい表現ではあるのですが、おそらく少なくない人がこのような表現にひっかかってしまうのではないでしょうか。芥川賞選考委員もそのようなことを言っていました。
 そのほか内容についてコメントするなら、読者に最後まで読みきらせる作品自体の力は強く感じました。
 先にあげたひっかかる表現に出会いながらも私は一気に読みきりました。扱ったトピックが老人介護という、ある意味地味といえるものを表面に持ってきておわりまで読者を捕まえていくことはなかなかできることではないとおもいます。
 介護という表面のお話と、個人の中で起こる心の葛藤、他者に向けるまなざし、それらすべてを含んだ社会を俯瞰する主人公がバランスよくかけているので、地味であるとか暗いといったような印象を感じさせないのではないかと思います。
 
 そしてさらなる評価をするならば、今挙げたこと以外のことを人の心に喚起するからではないかと考えます。
 それはなにか。
文中にほとんど出てこない、主人公の母親に対する心のありかた、このことに私は強く関心を抱きました。
 介護される人は自分をかわいがってくれたおばあちゃん、他者としてでてくる親戚の人や介護ヘルパー、自分を異界のものとしてみる社会の人、こういった人々の登場頻度に比べ母親の登場場面は少ない。
 なぜなのか。

おもうに、この作品の中で作者は、思うようにならない人生のいらだちを介護に重ねて消化させようとしている。そしてそのいらだちの原因は母親にあると考えている。
 不満を言わずに介護という状況に黙々と立ち会う母親。
状況を受け入れている母親に自分を重ねる。こんなはずじゃないと葛藤し続ける自分の幼さにいらだつ。そのイラダチが母親に向く。
 なんか不満はないのかよ、いいたいことあるだろ、オレはぜったい認めないからなこんな人生。

こんな言葉が聞こえるのです。

この作品が書かれた動機として、隠された母親への愛情があるように感じます。
母親への愛を、自分の人生に重ね語っている。
こんな風に語れるということが、作者が 愛情深く育てられたコトをうかがわせます。
 よい作品、おすすめです。

       JOHNY

 ネコくん 二番

2004-09-13 00:08:26 | Weblog
 人気沸騰のため二枚目の写真アップです。
といってもこの写真は二年前です。この時点ですでにおっきいのに、今は見る影もありながらもデカデカねこへと平和に育ってくれています。
 前回に続きマオちゃんでした。

        JOHNY
 携帯電話でとった写真がアップできないのはどうしてなのでしょうか。保存形式を変更することは可能なのか否か。いまだオンチなのでした。