JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

警察は公務員

2006-06-29 22:03:51 | Weblog
政党機関紙を配布した社保庁職員に有罪判決 東京地裁 (朝日新聞) - goo ニュース 判決は、猿払事件で一、二審の無罪判決を覆し、同法などを合憲として被告を有罪とした最高裁判決を「指導的判決として今も機能している」と支持。国公法などは合憲と判断。

 判決では「公務員の政治的中立性を著しく損なう」と指摘したがいかがなものか。
中立公正とは?
 職務においてのそれを指すとすれば、私的行為の中での活動はよりゆるく制限されるべきでしょう。
 職務における判断は当然に法律、内部規範に照らされて行われるわけだが、人が場に応じた適当な行為をなすためには自律した自分があってこそでしょう。そのために政治的意見表明なり活動なりが必要である、ということもいえなくはない。
 単純に公務員だからと一律全般に制限されることは不当であると思われる。

また、本件では警視庁公安部の捜査員が堀越事務官を長期間尾行し、ビデオ撮影したことも明らかになった。犯罪行為の摘発のため以上の意図を感じる。判決でも撮影は限度を超えていると述べ、違法と指摘した。
 公務員が公正であるという認識の侵害に当たるのははたしてどちら?

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ジーコ

2006-06-27 02:55:32 | Weblog
 神様の采配でも決勝トーナメントには届かず。

サッカーは芸術であり、最近のパワープレーの勝負は快く思わないが、体格差で踏みつぶす戦いは続く。体格差で負けるようなことが続かないように心から祈る。
(毎日新聞) - 6月27日0時40分更新

 芸術の域に高めるまでまだ時間がかかりそうです。自己の表現として完成させることができたジーコと、日本選手との間にある違いはなんでしょうか。
 中田が怒っているように、各選手の意識の問題か。
ある事柄が芸術であるというように捉えられるためにはある種の繊細さが必要に思われる。それがフィジカルなトレーニングではつかめないものだとしたら、身につけるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
 ジーコが選手に教えたことは、サッカーがアートであるということの空気。やっとスタートしたばかりの日本フットボール。

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羽毛布団

2006-06-25 02:41:55 | Weblog
 カバーがというか、カバーじゃない表面が汚れてしまった羽毛布団。
捨てるためにベランダに放置。
 捨てる前に一考。

粗大ごみにしたらお金かかるね・・・。バラシテミル?
100円ショップでクッションカバーを二まい。

チョキチョキ。

 だ~チョ細かい綿毛が~・・・ゴホゴホゴホ。
地道にカバーにつめてみました。
 なかなかよいできの羽毛クッションのできあがり。本日深夜の遊びでした。

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半額で

2006-06-23 03:01:54 | Weblog
 おかえりなさ~い。という時間が25時くらいが週の半分、仕事ではなく、大体が大学から。
 駅を降りたところの本屋さんで立ち読み&物色して、25時までスーパーによります。24時を過ぎるとお惣菜などが半額になります。それを目指してきた人もいるようです。24時ちょっと前にはなんとなく手持ち無沙汰なお客さんがウロウロしています。たしかにタッチの差でお目当てのものがなくなってしまうこともあるので競争に備えて店内でウオーミングアップも必要か?

 そうでね、私も参加して明日、というか今日のごはん準備をするわけです。部屋についてザラッと半額値札の惣菜とかパンとかをテーブルに出して思うのです。

 なんだか、わたしの人生が半額になっているような・・・と。

 ものが安く買えて節約できることは悪いことではないのだけれど。人の気持ちはそれだけで片付かないようです。
 ときには高いものを買わなければならないし、ときには無駄遣いをしなければならないんだろうなどと思うのでした。

                JOHNY

古本屋さんめぐり

2006-06-21 00:05:07 | Book
収穫です。

完訳マルコムX自伝 (上)

中央公論新社

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 マルコムXは図書館から。借りたのはこれではなく『いかなる手段をとろうとも』
マルコムXはいわば無名。
読む者は権威を借りるのではなく、生きた者の意思と言葉を身につけ未来に伝えるのだ。
 浅田次郎の本、銀行強盗の章にある、銀行強盗はある意味犯罪の花形であり、犯罪者にとっては自己の不遇の時代に対する報復の意味があることを知っておくべきだというような言葉、このあたりにたいする洞察がマルコムXと重なる。
 右の頬を打たれたら左の頬をというような考え方は犯罪とさえ言える。ノンバイオレンとにはノンバイオレンとだが、暴力には暴力で応じる。白人社会による黒人社会への不正を正すためにブラックムスリムはある。
 貧困のなかに育てられ不遇の中に置かれることが社会による不正であるならば、それに対しては不正で応じるのだ・・・という思想で犯罪に出るものがあることは正当化される、
 かどうか、さて。

 太宰が小説を書き、放蕩し、壊れていくことは社会に対する人生に対する復讐であると。

 世界は復讐という動機付けで動いているのかもしれない。


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