『市販本 新しい歴史教科書』2005 扶桑社
▼ 敗戦についての記述
―ポツダム宣言が発表されると、鈴木貫太郎首相や、主要な閣僚は、条件付の降伏要求であることに着目し、これを受諾する方向に傾いた。しかし陸軍は反対し、本土決戦を主張して譲らなかった。―略―聖断下る 9日深夜、昭和天皇の臨席のもと御前会議がひrかれた。ポツダム宣言の即時受諾について,意見は賛否同数となった。10日午前2時、鈴木首相が天皇の前に歩み出て聖断をあおいだ。天皇は、ポツダム宣言の即時受諾による日本の降伏を決断した。8月15日正午、ラジオの玉音放送で、国民は長かった戦争の終わりと、日本の敗戦を知った。―P211
ここからみると、とくにこの日が敗戦、終戦であるとの強調はなく、また、9月2日の降伏文書調印に全く触れられていないことがわかる。
他。記述の問題としては聖断という言葉がきにかかります。天皇の決定の裏には憲兵らの存在にわずらわせられながらも、戦争終局であることを上奏した近衛らの動きがあったことはよく知られています。ポツダム宣言受諾以外の選択肢はなかったわけでその決定さえもが、自らの危険を省みず上奏したものたちに促されているとすれば、あまりにも遅く優柔不断な態度がそこにあったように思えます。
▼ 日本国憲法の記述
―GHQは、大日本帝国憲法の改正を求めた。日本側では、すでに対象デモクラシーの経験があり、憲法に多少の修正をほどこすだけで民主化は可能だと考えていた。しかし、GHQは1946年2月、わずか一週間でみずから作成した憲法草案を日本政府に示して、憲法の根本的な改正を強くせまった。
政府はGHQが染め下憲法草案のないように衝撃を受けたがそれを起居視した場合、天皇の地位が脅かされるおそれがあるので、やむをえず受け入れた。―P213
下線、衝撃の部分に 交戦権の否認 の強調がある。
いわゆる押し付けという意味合いがこめられているようにも受け取れますが、後に記される、人権規定などがもりこまれたという、肯定的な記述とあわせると微妙なところかもしれません。
こんなひともいる右翼の人?