これも硫黄島の硫黄ケ丘の船見岩の上からの写真です。北西の方向には、午前中に上陸してすぐに慰霊式典が行われた硫黄島島民平和祈念墓地公園の建物の屋根が見えました。この写真のやや左側の釜岩湾に停泊する小笠原丸は見えませんでした。
硫黄ヶ丘の船見岩からは、東北東ぐらいの位置関係にあると思うのですが、やはり高い場所にある天山慰霊碑の建物を見ることができます。
十数年前に久しぶりに硫黄島に来た年(それ以来、毎年欠かさずに、6月の慰霊墓参の硫黄島訪島に参加しています。)には、同行して下さった村役場職員の方たちと、硫黄ケ丘から天山慰霊碑まで歩いて行ったということがありました。
十数年前に久しぶりに硫黄島に来た年(それ以来、毎年欠かさずに、6月の慰霊墓参の硫黄島訪島に参加しています。)には、同行して下さった村役場職員の方たちと、硫黄ケ丘から天山慰霊碑まで歩いて行ったということがありました。
船見岩から、硫黄ヶ丘と森との東側の森との境目の辺りを撮ったものです。数年前に小笠原村役場から随行の方と二人で、この森の中に入ったことがあります。この森の中が戦前の学校のグラウンドの辺りであるという説がありますが、鬱蒼としたガジュマルだらけのジャングルになっていました。
もしも、その場所が元の学校のグラウンドだったとしたら、かなり大きなガジュマルが戦後になって成育したということになります。当時の面影につながるものをあまり見つけることはできませんでしたが、何かの建物の礎石だったのではないかと思われる明らかに人口のかなり大きな石をいくつか見つけました。
もしも、その場所が元の学校のグラウンドだったとしたら、かなり大きなガジュマルが戦後になって成育したということになります。当時の面影につながるものをあまり見つけることはできませんでしたが、何かの建物の礎石だったのではないかと思われる明らかに人口のかなり大きな石をいくつか見つけました。
硫黄ヶ丘の中でも一番高い船見岩から、硫黄ケ丘入口の方角を撮ったものです。戦前に硫黄島の中心であった元山集落の商店街は、この写真のやや左側の緑の部分から向こう側で、大部分は現在の滑走路にかかっていると言われています。
硫黄ケ丘の地面は、白くてカサカサとしていますが、ところどころに緑色の硫黄も混ざっています。地面からの熱も感じますし、柔らかくて靴で踏むとへこむ場所もあります。沈み方を確かめながら歩かないと危険です。2センチぐらい沈むという場所は気を付けながら歩き続けることができますが、この日は、いろいろと歩いたので、一番深く沈んだのは、5センチほどでした。できるだけ固そうな場所を選んで歩きます。以前には、ひざあたりまで沈んでしまって大変な火傷を負ったということもあったと聞いています。