硫黄島の南海岸の二ツ根岩の写真の紹介が続きます。海岸の浜まで降りた場所からの写真です。この後、二ツ根岩まで走りました。目測などからの判断ですが、この下りた場所からで、だいたい片道700メートルぐらいではないかなと思いました。このような角度からの摺鉢山と一緒に撮った写真は、これまでに行った時にも撮ったことがありましたが、この後の、岩に接近しての撮影は、今回(2014年6月来訪時)が初めてでした。
これは、硫黄島の南海岸に下りる途中で、摺鉢山とその左側の浜にある二ツ根岩を撮った写真です。
この前の年(一昨年、2013年の6月)の訪問の時には、別の班でまわっていた、よく知っていて以前からお世話になっている方がお二人、ここ南海岸で、浜に下りた場所から二ツ根岩まで走って接近をして、岩に着いたところで撮った写真を後から見せてくれました。行程が厳しいこともあって、これまでには二ツ根岩に近づいたことはありませんでしたが、その写真を見せてもらって、「来年は俺も行ってみよう!」と決意をしていました。そして、2014年の訪問の時には、初めて、この岩まで行きました。これからその時の写真の紹介もします。
この前の年(一昨年、2013年の6月)の訪問の時には、別の班でまわっていた、よく知っていて以前からお世話になっている方がお二人、ここ南海岸で、浜に下りた場所から二ツ根岩まで走って接近をして、岩に着いたところで撮った写真を後から見せてくれました。行程が厳しいこともあって、これまでには二ツ根岩に近づいたことはありませんでしたが、その写真を見せてもらって、「来年は俺も行ってみよう!」と決意をしていました。そして、2014年の訪問の時には、初めて、この岩まで行きました。これからその時の写真の紹介もします。
硫黄島の南海岸の浜は、非常に珍しい(世界でこことイタリアのある島にしかない)鶉石(うずらいし)という10ミリ以下ほどの大きさの石を含む、やや黒っぽい、粗い砂(小石のような)が広がる浜です。海岸線から少し離れたところには、この写真のように浜をはっている植物があって、花も見られれます。
硫黄島の南海岸は、米軍が最初に上陸をしてきた浜です。狭いこの海岸に密集する米軍兵を日本軍が激しく迎撃して多くの犠牲者が米軍側に出たという場所です。今では隆起で広くなっていますが、戦時には浜はもっと狭かったので、米軍兵の密集度はとても高かっただろうと思います。名作映画の「史上最大作戦」でのノルマンディー上陸の場面のような激戦が展開されたのだろうと思います。
その南海岸のこのあたりは、二ツ根浜と呼ばれます。写真の右側にある浜から突き出している岩が二ツ根岩です。戦前には完全に海の中にあって海面から突き出ていたものが、隆起によって現在ではすべて地上に上がっています。「ふたつねいわ」ではなく、島民は別の呼び方をしていました。当時のことを知る人から何度も呼び方を教えてもらっているのですが、いつも忘れてしまいます。「ふたんねいわ」というような難しいですが柔らかい名前だったと思います。
その南海岸のこのあたりは、二ツ根浜と呼ばれます。写真の右側にある浜から突き出している岩が二ツ根岩です。戦前には完全に海の中にあって海面から突き出ていたものが、隆起によって現在ではすべて地上に上がっています。「ふたつねいわ」ではなく、島民は別の呼び方をしていました。当時のことを知る人から何度も呼び方を教えてもらっているのですが、いつも忘れてしまいます。「ふたんねいわ」というような難しいですが柔らかい名前だったと思います。