6月に訪問した硫黄島で、宿泊した次の日の二日目の最初に行った場所は、この前、何枚かの写真を紹介した今回から初めて行けるようになった大坂山壕でした。二番目に行ったのが、最後の突撃壕と名付けられた壕でした。ここには、昨年も来ましたが、それより以前から来れるようになっていた場所ではないと記憶しています。 この写真は、その最の突撃壕の近くで見つけた花です。名前はわかりません。
今年の6月に行った時に、父島の三日月山の展望台ウェザーステーションから撮った写真です。ここにもこれまでに、何度か行っていますが、いつ行っても、すばらしい眺望です。海の中から出ているのが、烏帽子岩です。その後ろ側の岬の右側に小さく見えるのが南島です。
硫黄島の写真の紹介は少し休んで、父島の写真をいくつか載せます。今年の6月、硫黄島へ行く前の日に半日の父島滞在の時に行った森の喫茶店で、おいしいジュースをいただきました。登ると視界が開けて、二見港に停泊中の小笠原丸が見えました。この日の夜に、硫黄島に向けての専用便として小笠原丸が出港する前です。
硫黄島で私たちが宿泊するのは平成14年にできた硫黄島平和祈念会館です。この会館には40人ほど泊まれます。一昨年は震災の影響による慰霊墓参の時期の9月への変更と硫黄島水不足で硫黄島には上陸できない行程でした。昨年は例年どおりの6月に行って上陸できましたが小笠原丸停泊場所の波とうねりの状況から宿泊予定だった私たちも全員が小笠原丸に一度戻って船内泊でした。従いまして、今年は、3年ぶりの祈念会館宿泊でした。
いろいろな関係者の方々の差し入れや準備などのおかげで、私たち内地から行ったメンバーや父島から参加したメンバーの調理や手伝いなどもあって、新鮮な食材を使った豪華な夕食で、にぎやかに夜を過ごします。宴もたけなわになった頃には、自衛隊員の方々が祈念会館に来て、舞踊を披露してくださいます。
硫黄島で釣りたての刺身は、採れた硫黄島島唐辛子しょうゆでいただきます。今回は刺身のさらに、父島の小笠原村議会議員の方が探して採ってきてくれた(ベテランの戦前に硫黄島在住で現父島在住の方に依頼(命令?)されて、、)ブーゲンビリアの花びらが添えられています。この日に採れた、青パパイヤのおひたし。他には、大なべで作って持ってきてくださったカレーなど、食べきれないほどのメニューが並びました。
いろいろな関係者の方々の差し入れや準備などのおかげで、私たち内地から行ったメンバーや父島から参加したメンバーの調理や手伝いなどもあって、新鮮な食材を使った豪華な夕食で、にぎやかに夜を過ごします。宴もたけなわになった頃には、自衛隊員の方々が祈念会館に来て、舞踊を披露してくださいます。
硫黄島で釣りたての刺身は、採れた硫黄島島唐辛子しょうゆでいただきます。今回は刺身のさらに、父島の小笠原村議会議員の方が探して採ってきてくれた(ベテランの戦前に硫黄島在住で現父島在住の方に依頼(命令?)されて、、)ブーゲンビリアの花びらが添えられています。この日に採れた、青パパイヤのおひたし。他には、大なべで作って持ってきてくださったカレーなど、食べきれないほどのメニューが並びました。
船見岩のまわりには、硫黄が露出していて地面が白くなっている一帯があって、このあたりが硫黄ヶ丘と呼ばれる場所です。硫黄ヶ丘の
周りは、森林や草原に囲まれていますが、かなり広い地域が白い地面になっています。戦前に島の中心だった元山集落もここのすぐ隣です。戦前にうちで飼っていた牛が、ここの硫黄でやわらかくなった場所に迷い込んではまってしまって助からなかったという話も聞いた覚えがあります。
この写真のように、音を立てて噴気を上げながら噴出している活動が活発な場所もあります。歩ける場所でも、地面は地熱でやや熱くなっています。地面がやわらかくなっていて、靴が2、3センチ沈む場所もあります。以前には、もっとやわらかい場所に誤って足を踏み入れてしまって、足がすっぽりと入ってしまって火傷を負ってしまったという事故もあったそうです。気をつけながら、歩いて、この周りのレモングラスを採集したりなどします。
周りは、森林や草原に囲まれていますが、かなり広い地域が白い地面になっています。戦前に島の中心だった元山集落もここのすぐ隣です。戦前にうちで飼っていた牛が、ここの硫黄でやわらかくなった場所に迷い込んではまってしまって助からなかったという話も聞いた覚えがあります。
この写真のように、音を立てて噴気を上げながら噴出している活動が活発な場所もあります。歩ける場所でも、地面は地熱でやや熱くなっています。地面がやわらかくなっていて、靴が2、3センチ沈む場所もあります。以前には、もっとやわらかい場所に誤って足を踏み入れてしまって、足がすっぽりと入ってしまって火傷を負ってしまったという事故もあったそうです。気をつけながら、歩いて、この周りのレモングラスを採集したりなどします。
硫黄島の中心部にある硫黄ケ丘の船見岩です。戦前に役場や学校や、私の祖父母のやっていた商店などがあった元山集落の近くです。硫黄島の1日目の午後は、それぞれが戦前に住んでいた集落に行く、里帰りです。元山集落は、ほぼ現在の飛行場で家があった場所が分からなくなっていて行けないために例年、ここに来ます。 この岩から、定期船が東西のどちらに着くかを見て、この岩の上にあったポールに船が入る方を示して島民に知らせたそうです。文字通りの船を見るための岩です。