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戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

今年の硫黄島訪問で初めて行った場所(1) バロン西の碑

2009年07月08日 | 硫黄島・小笠原村
バロン西については、もう、いまさら紹介するまでもない、
硫黄島で玉砕した軍人の中でも一番よく知られた人です。

今さら、バロン西について語られる必要がないというぐらいだと
思います。

この碑を訪問した時にも、私たちの間での会話も、
「映画で、演じた役者は誰でしたっけ?」というぐらいで、
「西大佐はどういう人物だったのか。」「投降勧告をどう思ったか」
などという話は、出ませんでした。

インターネットで検索した結果でも、
「これまでに、既に、いろいろ言われすぎている。」という
意見が目立つというぐらいの有名な人です。

中に、「投降勧告は西大佐にだけされたものではない。」という
視点の記述がありましたが、私も、その点はポイントだと思います。
(このブログでは戦争に関しては、できるだけ、個人的意見は書かない
方針ですが。)

一人だけ西大佐が、突出して有名なので、「バロン西への投降勧告」
という話が、とても多くなってしまいますが、
アメリカは、最短期間で最少犠牲者数で、硫黄島を取りたかった
はずですから、それまでの戦闘での経験で、いろいろ知っていた
でしょうが、 どんどん投降してきてくるのが、
米軍にとって、一番楽だったはずですから、壕に入っている兵士には
ひとしく投降勧告をした(もしくはしたかった)と思います。

辛いな、と思うのは、司令官の栗林忠道も、
将校の西竹一も、米国のことをよく知っていたはずで、
(栗林は駐米経験があり、西が金メダルを取ったのはロスアンゼルス五輪)
投降した捕虜をどうアメリカが扱うかを知っていただろうという点です。

この碑の碑文が、
「硫黄島  散りて散らさぬ  もののふの  心の櫻 咲にほう島」
であると紹介してくれているホームページ/ブログは
ほとんどなく、ある方のブログに紹介していただいているのを
参照させていただき、確認させてもらいました。
(もっと大きく碑文が写っている写真は、
「硫黄島写真館」に紹介されていて見ることができます。)

碑の真ん中には、ある写真は、
「バロン西は美男だったんだ。」という感想が多く出そうですが、
私は、「ウラヌスは何て背が高いんだ!」と思いました。

栗林やバロン西だけではなく、硫黄島戦を戦った多くの犠牲者の
それぞれに、いろいろな話があり、
一緒に硫黄島訪問に参加している人から、多くの話を
教えてもらいました。
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