台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州 蘇澳金刀比羅神社

2008-11-02 16:11:32 | 台北州




蘇澳金刀比羅神社までは蘇澳駅から砲台山までタクシーに乗り10分程度で砲台山にある霊濟寺にたどり着く。すぐ近くの蘇澳の漁港と太平洋を見渡す高台に蘇澳金刀比羅神社があった。この地はフランスとの交戦に備え、清朝時代光緒15年(1889年)に鄭雲泰によって砲台が造営された場所でもある。既に神社の形を示すものはなく、本殿と思われるところにはライオンズクラブの記念碑が建てられていた。草むらになっている参道と思われる石段を降りてゆくと鳥居らしき石柱が一本傾いて残っていた。すぐそばには「昭和二年四月二十日鎮座」と書かれた蘇澳金刀比羅神社の社号碑が手入れもされず、今なお雑草に埋もれひっそりと残っていた。
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台北州 羅東神社

2008-11-02 16:03:03 | 台北州




羅東神社が建立された場所には遺跡はないが神社遺跡の一部は中山公園内に移されていた。公園内のご老人の案内で公園内の池の中央に草木に埋もれ、こっそりと石燈籠が1基残っていたのが発見できた。横の浩然亭にのぼる階段手前には紛れもなく羅東神社の一対の狛犬が何の違和感もなくその存在感を残していた。もう一つの神社遺跡は公園入口に立つ2基のブロンズ燈籠である。
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台北州 海山神社

2008-11-02 15:47:48 | 台北州





中和市の連城路と台新街の交差点近くにある員山公園への入口を登ってゆくと右側に中和市図書館がる。ここに海山神社が鎮座した。駐車場脇に鉄柵がしてあり、鉄柵越しに石段が見える。石段のそばには鳥居の基礎の痕跡があり、また数多くの建造物に使用されたと思われる石材が山積みにされていた。建立当時は、石垣の長さは100メートル近くもあったようであるが、今尚、当時の面影を残す一部の石垣が残っていた。
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台北州 文山神社

2008-11-02 15:36:01 | 台北州




文山神社の鎮座地は新店の碧潭近くの空軍烈士公墓にあった。神社遺跡を示すものは何一つ残っていない。近くに太平宮と言う廟があり、ここの職員に聞くと、太平宮の入口にある一対の狛犬だけが神社取り壊しの際に文山神社から唯一移されて残っているとのことであった。また、文山神社にあった手水鉢がMRT新店駅前の新店渓沿いの遊歩道に残されているとの情報があり、訪問した。水盤はMRT新店駅前の公瑠新店記念大樓の敷地内に残っていた。正面には「奉獻 瑠公水利組合」、側面には「昭和十四年二月建之」と刻まれていた。
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