虎山社(車路墘社ともいう)は昭和8年(1933年)6月7日に台灣製糖株式會社の車路墘糖廠に鎮座した企業神社である。車路墘社は現在の仁徳糖廠(1969年に車路墘糖廠から仁徳糖廠に名前が変った)を過ぎて左側の道を登って行くと阿弥陀佛亭が見えてくる。この場所が神社のあったところである。石段を上り詰めるとすぐに一対の狛犬が待ち構えている。但し、この狛犬は両方とも口を開けているため日本の狛犬とは異なっている。恐らく台湾の石職人によって作成されたものであろう。狛犬の石台には糸井、木村および山本等の奉納者の名前が刻み込まれている。また、神社の遺跡としての玉垣には神社建立において寄付された方々の名前がはっきりと残っていた。
明治製糖株式会社麻豆總爺糖廠に会社の社運の隆昌と従業員の安泰を祈願するために昭和5年(1930年)に鎮座したのが總爺社である。1947年に神社は取り壊され、その跡地に製糖会社で働く社員の子弟のために今の總爺国民小学校の前身である台湾公司第十小学が建設された。その時、一対の狛犬だけが校庭の隅に放置されていた。2002年に総爺小学校の校長になった謝耀宗氏が校庭を美化するために、狛犬を取り出し、事務室の階段前に安置したとのことである。現在は黄土色に色を変えた小ぶりの一対の狛犬を總爺国民小学校前の庭に見ることが出来る。神社がどの場所に建立されたかは不明であるが、小学校左側に杉の木があることから、位置的には小学校裏であると考えられる。
湾裡社は現在の善化製糖工場内に企業神社として昭和5年(1930年)10月20日に鎮座した。光復後、神社は取壊され、神苑には善化小学校が建立された。その時、狛犬だけが難を逃れて工場内の奥に移されたのである。ちょうど227之6の前あたりにある。尚、狛犬の石台には「奉納」の他に「昭和13年」の文字まで判読出来た。