台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

新竹州 苗栗神社

2008-11-03 22:39:50 | 新竹州




苗栗神社は猫狸山公園内にある苗栗県忠烈祠管理所にがあった。石段手前にある石座は一対の常夜燈と制札(告示碑)のものである。
公園入口にある歴史的由来の説明には、台南で逝去した近衛師団長北白川宮能久親王を記念して、親王が暫くの間滞在した猫裏山に神社を建立し、名称を将軍山とした。光復後、反日感情が高まったため福星山と変え、抗日革命闘争で「台湾革命」を首謀した羅福星を記念して神社を忠烈祠として建て替えたものであると書かれてある。
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新竹州 中歴神社

2008-11-03 22:29:38 | 新竹州


中壢駅からタクシーで10分ぐらいのところに国立中壢高級中学がある。校庭の中央に大きな松の木があり、その横に神馬が一頭残っている。ここが中壢神社の鎮座した場所である。
神社の参道は正門に向かって左側から始まる。鳥居をくぐり、守衛所辺りから北西に直角に曲がると本殿となっていた。途中には、社務所・手水舎・拝殿があった。
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新竹州 新竹神社

2008-11-03 22:19:07 | 新竹州






新竹市北区の中山路の奥に大陸人民新竹處理中心があり、ここに新竹神社があった。現在この場所は中国大陸から不法密入国してくる人達が収容されている。中には入れないが、外からは当時の石柵に囲まれた社務所と斎館が見える。それ以外の遺跡は霊隠寺(石燈籠、手水舎)、動物園(石燈籠)および新竹市議会(狛犬)で見ることが出来る。特に霊隠寺には終戦以降に神社が取り壊された際に移動した遺跡が多い場所である。
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新竹州 通霄神社

2008-11-03 22:05:47 | 新竹州




虎頭山の中腹に通霄神社は建立された。光復後、本殿は基壇のみを残して取り壊され、拝殿は1947年に鄭成功を祀る「忠烈祠」として装いを変え、1991年頃までは忠烈祠として使用された。その後、忠烈祠は他の場所に遷移され建物そのものは地方財政の問題もありそのままの状態で放置された。更に、1999年9月21日に台湾南部を襲った地震で拝殿の一部が壊れ、私が最初に訪れたときは苗栗県政府文化局による修復工事が行われていた。修復完了は2004年11月31日と書かれていたが、実際には2005年6月19日に竣工落成式が執り行なわれた。


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