台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州 (当時の住所不明) 侯とう(石へんに同)社

2011-05-14 00:16:59 | 台北州

瑞芳駅よりローカル線の侯硐駅で降りる。すぐ目に付くのは瑞三鑛業と書かれた廃墟になった選炭場である。この選炭場から侯硐駅前を流れる基隆河にかかる橋を渡ると「一百階」と「侯硐神社」の道案内を示す標識が見つかる。この一百階の石段を登ってゆくと、三貂嶺に向かう道を右側に100メートルほどゆくと、道沿いに鳥居が見えてくる。鳥居の手前の標識には侯硐神社と書かれている。中ほどの鳥居は相当古くなっており、年月が経っているのが分かる。手前の鳥居には「奉獻 瑞三鑛業公司産業奉公團」と刻み込まれている。石段の中ほどの両側にある灯籠は真新しく、この神社にゆかりのある人達が新たに奉納したものと思われる。本殿は全くなく、本殿に上がる石段のみが残っており、人々の休息の為の石椅子が在るのみである。この神社は基隆炭鉱瑞芳三坑株式会社の選炭場であり、大正12年(1923年)には当時のお金で数10万円を投じて侯硐駅に一日1,000トンの能力のある選炭機を設備して運転を開始している。大正12年の台湾炭の総出炭額は140万トンを突破し、基隆炭鉱会社だけでも約半分の75万トンを産出していた。ここで選炭されたものは専用貨物車で基隆港まで運ばれた。特に船舶焚料炭は従来の香港や上海に替わって基隆港で積込みが行われるようになり、石炭の積出港として基隆港は脚光を浴び、積込み用岸壁も延長された。

 

神社への道案内

基壇

鳥居

 

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