8月18日に蓮光寺(東京都杉並区和田3-30-20)にてインド独立の英雄スパス・チャンドラ・ボースの74回忌が執り行われた。準備された80の椅子を大幅に超える100人以上の参加者があった。特にインド人の参加も大変多く、チャンドラ・ボースに対する変わらぬ人気の高さがわかる。
1945年8月15日、日本の敗戦を知って、チャンドラ・ボースは「最後までインド独立のために戦う」ためにソ連との提携を模索し、サイゴンから台北経由で中国大連に向かう途中、8月18日に松山飛行場で離陸直前の墜落事故で帰らぬ人となる。亡骸は台北の西本願寺で一部の軍関係者だけが参列する葬儀が行われた。
9月5日にチャンドラ・ボースの遺骨は台北を出発し、9月7日夜、東京市ヶ谷の参謀本部に届けられた。戦後の困難を経て遺骨は最終的に9月18日に蓮光寺に移され、密葬がなされた。インド国内の事情により残念ながらチャンドラ・ボースの遺骨は今だかってインドに戻ることなく、この蓮光寺に安置されている。この辺の詳細は来月の日印協会のホームページを参照願います。
チャンドラ・ボーズはこの時、インド独立の資金として貴金属や宝石類をも運ぼうとしていたが、墜落のため、これらの貴金属や宝石類は飛行場に飛散した。台北第一高等女学校(現在の台北市立第一女子高級中学)の生徒(2年生または1~2年生のみ)だけが密かに飛行場に動員され、飛散した貴金属や宝石類を拾い集めた。この動員については、空港を管理する陸軍より箝口令がひかれ、一切他言は許されていなかった。
なお、これらの「ボースの財宝」と言われたこの貴金属や宝石類はインド独立を支援する仏領インドシナ及び中国上海在住インド人からの献納品であり、当時の金額で6億4千万円相当であった。この「ボースの財宝」と一緒に遺骨が日本に運ばれたが、財宝の存在はどのようになったか未だ不明である。
チャンドラ・ボースの厨子
法要終了後の直来