台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台湾の神社跡を訪ねて 第八回 (最終回) 基壇(基礎)のみ残った神社 金瓜石社 

2011-05-06 23:16:05 | 台湾の神社跡を訪ねて
平成23年4月18日の神社新報に掲載された「台湾の神社跡を訪ねて 第8回(最終回)基壇(基礎)のみ残った神社 金瓜石社」です。今回が最終回です。また、次回からは従来通り各地域の神社跡を紹介してゆきます。

金瓜石社

 金瓜石の鉱床は百年以上前の一八九四年五月に発見された。当時は本山露頭と呼ばれてゐたが、大きな円筒型の岩が瓜の形をしてをり、多分に金を含んでゐたので「金の瓜の石」、すなはち金瓜石と呼ばれて地名になった。今回はこの地に基壇のみが残る金瓜石社を紹介する。

金鉱山の栄枯盛衰
 台湾総督府は金鉱採掘禁止令をしき、明治二十九年に新しく鉱業管理規則を発布した際に、田中長兵衛率ゐる田中組に金瓜石鉱山を経営させた。田中長兵衛は日本国内から多数の技師を招聘して鉱山の運営に力を注いだ。
 金瓜石鉱山は目覚しい発展を遂げ、明治三十五年頃には採金量が二万両(約七百五十キログラム)を超すまでになった。その後、大正七年には田中鉱業株式会社が創立されたが、田中鉱業の末期にはおほかたを掘り尽し、生産は下り坂となった。
 しかし大正十四年に創設された金瓜石鉱山株式会社が、先進的な機械設備と採掘方法を用ゐたことで生産量は飛躍的に伸びた。また、新しい鉱床が開発されて生産量も向上し、昭和五年には三万三千八百両(約一・二トン)を記録してゐる。
 その後、昭和八年に金瓜石鉱山株式会社は日本鉱業株式会社に買収され、東洋一を誇る台湾鉱業株式会社が設立された〈後に台湾鉱業株式会社と改められ、親会社の日本鉱業に吸収合併された〉。
 昭和十一年から十六年までの六年間は鉱山の最盛期であり年間粗鋼百二十万トン、金七トン、銅七千トンを生産したといはれる。また、全盛期の従業員数も九千五百人となり、家族を含めると一万五千人といふ膨大な数に膨れ上がった。その割に栄華を極めた九 鉱山のやうな街の賑やかさはなかった。
 大東亜戦争の末期に近づくと鉱山の生産量も減り、昭和十八年以降金の生産は中止され、金鉱山は一時閉山された。

整備されてゐる神社の参道入口
 一般に黄金神社と呼ばれた金瓜石社は、日本鉱業株式会社によって昭和八年に遷座されたものである。それ以前は、北に一キロほど上がった所にある地質公園に鎮座してをり、明治三十一年に造営された。
 遷座後の金瓜石社は対面に茶壺山や基隆山を望む金瓜石の中腹に北向きに造営された。現在も参道入口は整備されてをり社殿があったところまでは登りやすくなってゐる。参道途中には一対の石灯籠が、さらに登っていくと石灯籠と鳥居がある。石灯籠は全部で六基がほぼ完全な形で残ってゐる。本殿のあったところまで上り詰めると、ローマ時代のパンテオン宮殿を思はせる拝殿に使用された柱が目の前に現れてくる。私には台湾で初めて出会った神社の遺跡であった。また「台湾に渡った日本の神々」の足跡を探し求める最初の出会ひでもあった。
 拝殿前の鳥居には「奉納」「金瓜石鑛山事業所職員一同」および「昭和拾貳年七月吉日」と刻まれてゐる。以前は本殿に上る石段の一番上に「奉納」と刻まれた石があったが、今は本殿の真下に置かれてをり、日本からの観光客が賽銭として置いていったお金が印象的であった。

伝統的な檜の宿泊所も現存
 神社以外での日本統治時代の面影は、鉱山業に従事した人達の当時の宿舎である。また当時、摂政の宮として台湾を巡視中であった皇太子時代の昭和天皇が滞在したと言はれてゐる宿泊所(太子賓館)も当時のままで残されてゐる。
 この建物は檜を用ゐ日本皇宮式設計に基づいた伝統的な建物であり、台湾に現存する建物の中でも最も特徴のあるものである。ただし、この太子賓館の建てられた時期は台湾行啓よりも多少新しいやうで、皇太子の実際の滞在はなかったのが正しい。


本殿跡の基壇

拝殿跡には多くの柱が残る

参道と鳥居

神社の旧景(出典・石瓜石鉱山写真帖)

金瓜石社▼鎮座日=明治三十一年三月二日▼祭神=大国主命、金山彦命、猿田彦命▼例祭日=六月二十八日▼社格=社▼鎮座地=基隆郡瑞芳庄九分▼現住所=台北縣瑞芳鎮金光路
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4 コメント

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引用お願い (いわねえ)
2011-10-22 10:01:04
 まいど岸和田のいわねえと申します。
祭りのHPしています。
検索でサーフィンしていたら見つけました。
なかなか台湾の例祭日は分かりません。
神社名、例祭日 等引用許可願います。
返信する
Unknown (Unknown)
2011-10-23 08:41:31
いわねえさん

どうぞご利用ください。その他の神社の詳細がお入り用でしたらご連絡ください。また、一部のHPでのある程度のものは掲載されていますね。
返信する
Unknown (いわねえ)
2011-10-25 09:55:57
 ありがとうございます。
もし往古の祭礼内容が分かればお教え下さい。
返信する
Unknown (Unknown)
2011-10-27 21:15:24
金子です。
祭礼の内容とは例祭の式次第でよろしいのでしょうか?それでしたら台湾神社のものをメールしますので、一度「fnhcx958@yahoo.co.jp」にメールを願います。
返信する

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