この神社はアミ族、本島人および内地人共同で建立されたものである。富源派出所横を山側に向かうと抜子社がある。参道が山の中腹まで延びており、登りきったところに本殿があった。現在は台湾式のお墓になっているが、既に世話をする人がいないためか廃墟になっている。
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私が「白川神社」だといったのは、現場の観光案内指導標にそう表記されていたからです。但し、私の興味はこの神社跡ではなく、もともと関門古道の踏査に富源に立ち寄り、興泉[土川](現地の案内には嘗て「白川[土川]」とも呼ばれたとあります)に行き当たり、更に、この神社跡に行き当たりました。
この部分の踏査行は、[土川]と神社遺構も含めた形で最近「台湾の声」に投稿してありますので興味があればご閲覧下さい。(了)
今年の5月にも訪問して、遺跡を再度確認してきました。
ところで、この付近に白川神社はありません。昭和12年、近くを流れるマシロ渓を発音の似ている真白渓で「白川」と呼ばれていました。従って、この神社も白川神社と呼ばれていたのだと思います。
アジア小僧さんのジンジャ研究にこの抜子神社の紹介がありますので参照にしてください。
また、標高の件ですが、ちょっとした山の中腹にある程度です。
http://homepage3.nifty.com/wasi/taiwan/jinja/jinja-hualian/jinja-hualian.html#Anchor86344