28日
前日1600にトゥールーズの国鉄駅をシャトルバスで出発。市内は予想以上に渋滞している。空港まで30分以上かかった。フライトまで4時間あるのでカフェで一仕事。夜2200にパリ到着。市内まで近郊電車のRER(B線)に30分ほど乗車。この時間になると車内に人は少なく、大柄なアフリカ系の男たちが目立つ。人相もよくない。こっちもゴルゴモード全開。
パリ北駅で地下鉄2号線に乗り換える。重い荷物を引きずり、500m以上地下道を歩く。ここでアクシデント発生。突然背中に冷たいものを感じる。肌色の液体をかけられたらしい。典型的なペイント強盗の手法なのか。背後に人影はなかった。1分ほどして、長髪に紺のジャンパーを着込んだ20代風の白人男性が、英語でお決まりのセリフを口にして近づいてきた。一味だろう。小生はTシャツの上から斜めの1本がけリュックを装着していたが、それを一旦脱げというようなことをいう。大きな荷物を引いていなければ、振り向きざまに鉄拳一発お見舞いするところだが、この状況では立ちまわれそうにない。「お前が犯人だろう」と罵倒して追いかえす。相手を選び間違えた、というような顔をして、仲間らしき連中と引き返して行った。地下鉄駅はバリアフリーなどではない。重い荷物はしんどい。3駅で目的地に到着。モンマルトルの丘のまわりだ。40ユーロの安宿。再びの現金要求が心配(長男のおかげですでにCITIBANKの口座には十分入っている)だったが、決済済みということで一安心。周辺はピンキャバだらけ。夜中までうるさい。教訓「パリに深夜に到着してはいけない」。さっそく洗濯。汚れはごく一部で、すぐ落とせたが、明日の衣類を変更する羽目に。
翌朝、本日面会を予定していた元部下のロシア人女性(V博士)とようやくメールで連絡が取れた。オフィスの引っ越しのため、数日メールチェックができなかったようだ。面会はパリ市内。オフィスを出るときに電話するという。小生は近所のマルシェでお土産(クノールのスープ各種など)を爆買してから、気になっていた中華街Bellevilleを目指した。ここは温州系の華僑が多いようだ。なまりもはなはだしい。ここでは中華には目もくれず、点在するアフリカ料理を目指す。Couscousの文字が目に入り、チュニジア料理店に入ってみる。「Assalam alaikum」。ん、反応が鈍い。それもそのはず。店内の壁にはヘブライ語が書かれ、ラビの写真が貼られている。敵中に単身飛び込んだアラブ人みたいになってしまったのか。フランス語に切り替え、18ユーロのクスクスを頼む。小皿がたくさんの前菜は超豪華。アラビアンなスパイスが濃い。最後に、スープに沈んだ牛肉の塊が登場。満足の一品。出るときはヘブライ語で「Ell shalom」。
African and China Town at Belleville, Paris.
The owner of this Tunisian restaurant is a Jewish.
I greeted "Assalam alaikum".
It is a big mistake.
I had to say "Ell shalom".
Anyway, couscous was excellent.
ユダヤ人がチュニジア料理店を経営。うっかりアラビア語のあいさつをしてしまった。どうも反応が悪いと思ったら。店内にはヘブライ語が書かれ、ラビの写真が。クスクスはうまかった。
In Paris, the most safe area will be here.
治安の悪化したパリに行くなら、「敵の懐」のようなエリアが最も安全かもしれません。狙われるとしたら、名だたる観光名所でしょうから。
1230をまわり、まだ電話が来ないので、ノートルダム寺院の先にあるアラブ世界研究所に行ってみる。ここの展示は素晴らしい。イスラム成立以前のアラブには、素晴らしい文化(ギリシャ系、コプト教など)があった。1400にお茶を飲みながらメールをチェックして愕然。1)V博士は携帯を持っていない(iPadからメールを送ることは可能らしい)。2)小生の携帯のSIMカード(フランス)は動作が不安定で、着信できないことが多い。事前にRoaming中の日本の携帯番号も教えてあるが、彼女はそれをきちんと認識していなかったようだ。という2つのヒューマンエラーが重なり、「1200の時点でご案内したXXXに1300から待っていましたが、電話(公衆から?)も通じないし、1400にここを離れます。念のためにSIMカードを購入しました。番号はXXXXX。」と。。。
今度はこちらから電話すること3度。あちらもなぜか留守電。メッセージを残す。1500にようやくあちらから着信。1530にサンミシェル駅の噴水で合流。作家や芸術家も集う著名なカフェで2時間ほどモバイルモニタリング研究の打ち合わせ。3年ぶりだったが、彼女はとくに変わった感じではなかった(小生は10kg近くやせたけど)。シテ島からモンパルナスまでゆっくり歩き、パリの街づくりについていろいろガイドしてもらう。古い街並の保全と、(ご主人のオフィスがある)モンパルナスタワー周辺のような新しい街がうまく調和している印象を受ける。
市庁舎前のミストと人工ビーチ
29~30日
おとといのパリ北駅での悪夢(ペイント強盗)もあり、そこを通らずに空港に向かう手立てを考える。フランの時代、1998年に購入した回数券(カルネ)をうっかりシャツのポケットに入れたまま洗濯してしまったが、うまく乾いたので試しに使ってみる。
通った!
17年経過と洗濯にも磁気は耐えてくれたようだ。凱旋門、ナシオンとだらだら回って徐々に空港へ近づく作戦。どこもかしこも中国人の団体と、卒業旅行風の韓国人学生が目立つ。日本人は少ない。しかし、どうやっても鬼門の北駅を通過せざるをえないと判明。空港行きの切符(10ユーロ)も別途必要だ。北駅の外へでてお昼(やはりアラブ料理)。
I bought it in 1998 (date of Franc).
Washed in the pocket of shirts but magnetic data is still alive.
Great! Carnet of Paris.
フランの時代、1998年購入。27日夜のペイント強盗のせいでうっかり洗ってしまったが、磁気は死んでなかった。恐るべし、パリのカルネ。
パリに夜到着する方は、パリ北駅地下鉄乗り換え通路でのペイント強盗にご注意を。汚れてますよ、と寄ってくる小悪党を振り向きざまに鉄拳制裁したい方は自己責任で。
RERのB線へ乗り換えた直後、車内検札が始まり、目の前で難民風(パスポートではなく、あやしい書類を提示していた。)のアラブ系親子づれ7人が無券乗車で捕まり、80ユーロを請求されていた。痛そうである。池上さんの解説番組を見るまでもなく、世界の縮図をこのような場に見ることができる。
3時間以上前にチェックインに並んだが、なぜか搭乗はぎりぎり。エミュレーツのカウンターは各国の人々でごった返し、あげくに「満席なので、2時間あとのANA直行便に振り替えます。」と勝手なことを言い出す。唖然として待つこと数分。「大丈夫でした。忘れてください。」。まったく。ワインを3本買ったところでタイムアウト。総重量からしてちょうどよかったか。小生のフランス語は買いものレベル。こみ入った説明が必要なケースでは、アングレにしましょうか、とあちらから言ってくれる。1998年当時にはまれなことだった。
エミュレーツのCAが全員外国人。イタリア人、韓国人(パリ~ドバイ線に勤務)、ポーランド人、ロシア人などなど。アラブ人はいないようだ。サプライズで、彼女らの母国語で返答してみる。小生のいたずらにつきあってもらったみなさんどうもありがとう。おじゃましてすみません。当初、イラク(ISISの占領するモスル付近)上空を飛行する予定だったらしいが、途中からルートを東に変え、イラン西部を南下。やっぱり下からなんか飛んでくるかもしれないせいだろう。
Allāhu akbar!
Do not shoot us from the ground.
下から撃つなよ。
How to reduce the influence of jet lag.
エコノミークラスでも時差ボケに苦しまない最適の方法として。
ドバイ乗り換えは2時間。深夜でも気温は39℃。バスで搭乗。アスファルトの上は40℃どころではない。深夜なのにこれは悪夢の「未体験ゾーン」だ。成田行きは昼間のフライトだが、機内ではみな爆睡。あとで気がついたが、パキスタンを北上し、国境未確定地域を飛び越えている。これまたスリリングだ。新疆から西安、北京を超え、1730に成田到着。南周りは時差の影響が小さいものの、直行便の倍ちかく時間がかかるし、ある意味疲れる。人生において誰でも1度は経験してみるとよいだろう。アラーの神のご加護に感謝する。
Allāhu akbar!