先日の同級会で、今学校教育でガンバレっていっちゃあいけないらしい、という議論で盛り上がった。教え子や部下に「ガンバレ」といったことは一度もない。結果さえちゃんと出してくれれば(サボっても)いいよ、というスタンスゆえに。
「求められる結果さえちゃんと出してくれさえすれば、必死で頑張らなくてもいいんだよ」(ある意味ブラックかも)って部下や教え子に言ってきてしまった手前、一瞬戸惑ったけれど、結果の中に過程の公正さが含まれている、と説明すればわかってもらえる気がする。
東大で助手に任官した30年以上前のこと、修士課程に在籍していたとある私費留学生(国費の場合はまず合格していたようだ)が博士課程の入試に不合格となった。彼は「次の試験(当時は一年先)に向けて必死で頑張ります。下宿にも帰らず研究室に寝泊まりしてしっかり実験します。」と言っていたので、「そういうことじゃないだろ」って生意気(小生自身も当時博士号は持っていなかった)にもツッコんでしまい。そんな研究生活が持続可能とは思えない。なぜそうなってしまったのか、置かれた状況を冷静に判断し、今後実力をつけるための戦略を持とうとせずに、ただただ力むだけの人は、当時けっこういたような気がする。力んで解決するならそれでよいが、敵を知り己を知るところに努力しないのはエネルギーとメンタルの無駄遣いにしか思えなかった。もちろんその結果賢く撤退する選択肢もあるし、そこまで自分はポンコツじゃない、と思うなら、その難局をいかに乗り越えるべきかをとことん思考してほしい。力まなきゃいけない時点で、実力不足、適正なし、というケースもなくはない。センスのいい人は、その段階ですでにもっと先のことをやっているだろう。戦略なき人に、その先の逆転もない。
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