頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

「ピジン化の悲劇」

2023-04-15 21:42:41 | 日記
帰化二世の日本人で、ご両親の(当初)母国語がほとんど運用できない、という人は少なくない。幼少期に来日し、日本語による義務教育段階を経ていればそういう感じになるのだろう。中国や韓半島の血統であれば、高等教育段階で第二外国語として学ぶ人も少なくないだろう。一方、東南アジアや南アジアからの移民世帯であれば、ご両親の母国語を運用できるまでに学習するチャンスはあまりないのではないか。結果、ご両親の言語文化は十分に引き継がれることはなく、定義は異なるが、ピジン化、クレオール化のような状況になっていく。タイ北部のメーサロン(国民党村)で小生がみた若い世代の中国語もそのような状況であった。聞いてある程度理解できるが、読む・書く・話すのは困難、というケース。
大学院時代の後輩のタイ人でSongmai(もしくはSonmai、忘れた)君がいた。アルファベットのスペルではソンマイとカタカナ発音で呼ぶことになるが、タイ人同士の会話を聞いていると、ソマエに近い発音である。銀行の窓口で作られた通帳の名義もそうなっている。窓口の担当者がそのように聞き取ったということだが、このプロセスをいい加減にすると、日本社会ではとんでもない混乱につながるし、あとあと訂正が難しい。小生の部下にもこういう事例はある。東南アジア血統の二世で、日本語で生活している人でも、両親とカタカナ的(そもそも読めない、とか、アルファベットで学ぼうともしていない)に母国語の概念をやりとりしているケースにおいて、この銀行の窓口スタッフのような感じになるし、アルファベットのスペルがどうなっているか、なんて考えたこともないケースもあるだろう。高校教材の地図帳の事例は逆である。「ng」の部分を「ング」とかはっきり書いてしまっていて、カタカナ的に読んでしまうと、オリジナルの発音とは似ても似つかないものになったり。地理教育の課題の1つとも言える。
「タ―リエンとは 俺のことかと 大連言ひ」
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