頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

「がんばれ」と言えた義理じゃないし(K氏不合格)

2022-04-17 18:48:36 | 日記
彼に「がんばれ」と言えた義理じゃないし、言うつもりもないが。
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1991年(今の業界に就職して日も浅く)
小生「博士号目指してます。」
姻族となる一族「婿さんは博士に。」(と鼻高々)
1993年(やっと研究の方向性が決まる)
姻族「取る取る詐欺かよ。一体いつになったら取れるんだ(怒)。」
1995年(博士論文執筆中、すでに子供は2人)
姻族(もう何も言わず)
1996年(ついに取得、今の職場へ)
かみさん「上がるんじゃなかったの。なんで額面微妙に下がってるのよ(怒)。」
小生「1985年の転学留年のせいで、一年留め置かれたんだけど。。。」
1997年(1年遅れで昇格、そして学会賞受賞)
かみさん「(口座に)やけに多く入ってたけど。。。」
1998年(NY、、、じゃなくてドイツへ。)
コメント (1)
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懐かしい替え歌

2022-04-17 18:40:45 | 日記
読めと言われて素直に読んだ。
肩を叩かれその気になった。
、、、
よせばいいのに同■員。
浪花~節だよ、駒場の、駒場の~、
み■■■は~。

オルグの情景そのまんまで、今でも笑える。
これに対して意趣返しとも思える一曲のフレーズが。
ぶんぶんぶん ぶんゆ~し
これは「文有志」のことである。正式名称は忘れた。1980年代、全学部ほぼYYGが与党(小生の理学部もそういう位置づけでスタートしたが)の状況下にあって、文学部(と農学部)学生自治会だけは一貫して反YYG勢力が握っていた。文トロ、農トロ、などという呼称もあったが、彼らはノンセクトラジカルであったと思われ、このように自称していた。

当時、うちらは戦国時代の様相を残していましたが、全学連(YYG系:現在東大は脱退)の行事に行くと、「一枚岩」の地方大学(お花畑な印象が)だらけという印象でした。高校時代お世話になった某先輩も、都内の某著名大学細胞の幹部だったらしく、10・21(国際反戦デーだったかしら)の集会(有名な清水谷とかではない)で、「おー、お前委員長(学生自治会のほうであって、当時すでにYYGとは縁を切っていたはず)だってな」と満面の笑みにも、彼ら特有のオーラが、、、。
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