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黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

留寿都町と洞爺湖町の運用と洞爺、支笏湖の旅 (2009/08/02~03)

2012年10月08日 | アマチュア無線 移動運用

        

          

  




 函館山からの景色は山頂付近のガスのため最後まで見れなかったので諦めて登山道を下り七飯町~森町~八雲町~長万部町~黒松内町~蘭越町~経由して5号線を北上しニセコ町に入った。この町に来たのは若い頃にスキーに狂って居たので若い頃からの憧れのスキー場、ニセコ・アンヌプリ国際スキー場を見たかったからで有り、残念ながら雪の無い真夏の時期の訪問と成ったが夏草の生えたゲレンデの下に行き冬場の景色を想像したりした。

 

 私は帰り道にニセコの道の駅「ニセコ・ビュープラザ」に立寄った後に真狩村に向かい運用も考えたが、この村は比較的多く移動運用が行われているので次の観光予定地の洞爺湖に行く手前に留寿都町と洞爺湖町の境界に運用出来る場所が有る事を聞いていたので230号線を南に下がり洞爺湖町との境界の50m位手前の空き地に車を入れ(北緯42度41分09秒 東経141度50分28秒 海抜227mH)アンテナを設営して16:58~20:28JSTの間、留寿都町の移動運用を7MHzで行い144局と交信した。運用後、其の場所で車中泊と成ったが其処はU字型に曲がる底の部分に在って洞爺湖町から入った後の勾配の有る坂道の上り口に有ったので深夜の大型車の通行時は可也騒がしかった。



 早朝、早起きしてアンテナを撤収し70m位、移動した場所に同じ様な空き地が在りフルサイズの逆Vアンテナを張るには狭かったのでモービル・ホイップ・アンテナで洞爺湖町を05:00~07:33JSTに7MHzで運用し64局と交信した。やはりアンテナの相違は歴然として結果に現れ、電波が飛ばなかったと言うより受信能力の低下によるスムーズなピックアップが出来なくて実績が伸び無かった事を実感した。



 運用後、230号線を南に向かい66号線で洞爺湖の北側の財田に出た。この標識を見た時、この地名に何か見覚えが有ると感じたが其の時は解らず湖面が見える所まで車を進め辺りを散策した時に洞爺湖周辺を開拓した記念碑を読んだ時に其の事が理解出来た。この洞爺湖の開拓は香川県の財田地区から北海道に渡った先人が定住し艱難辛苦の末に開拓した場所で有った。

 

 香川県内では此の在所名は「サイタ」と読んでいた様に思うが北海道では「タカラダ」と読むと地図には書いてある。北海道の開拓の為に日本全国からの入植者が其々の地区に入植し開拓したので生まれ故郷に関係ある地名が沢山残っている『伊達市や新十津川村』等は其の代表的な地名である。其れから北海道の地名は主要都市は普通の感覚で読み書き出来るが少し地方に入ると原住民であるアイヌ族が名づけた呼び方に(発音)漢字を宛てた物が多く私が移動運用した場所では占冠(地図上はシムカップ、近くの人はヒメカップと言っている)納沙布(ノサップ)興部(オコッペ)等、数えれば切りが無いが私が一番読み方が解らなかったのが弟子屈(テシカガ)で時々クイズにも出ているのを見た事が有る。本当に日本の固有名詞の読み方は複雑で難しい。



 其の後、洞爺湖を一周して453号線~276号線で壮瞥町~伊達市~千歳市に在る支笏湖に向かった。この日は天候が悪く曇天の中の観光だったので洞爺湖は一周し支笏湖は南側を半周したが摩周湖の様な人の手が入って居ない神秘的な美しさや阿寒湖の様に観光的に開けておらず周回道路回っても直接湖を見渡せる場所は数箇所しかなく期待していた物とは少し違った感じで有った。そして16号線で千歳市に向かった。



 上段1~3枚目までは洞爺湖の北側の財田地区の写真で4枚目は洞爺湖の浮見堂の写真、下段は支笏湖の写真と立寄った樽前荘(2枚目)3~4枚目は伊達市に有る道の駅「フォーレスト276大滝」大型の駐車場とログハウスの様な建物でお客さんで賑わっていた。


 

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