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黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 北海道小樽市の小樽運河に行く (2009/07/30)

2012年10月05日 | 旅行

      



      

 


 私は余市町のニッカウィスキー工場の見学を終えて小樽市の小樽運河へ出かけた。現地に行くまでは可也広域な運河と思っていたが、現地に着くと私が思っていた程 大きく無く人出で賑わっている所は300m位で運河の川幅もそう広くは無かったが写真1~2に見える運河べりの通路は若い女性やカップルの往来が有り。通路には似顔絵を書いたり絵や絵葉書を売ったり手製のアクセサリー等を販売する露天商が並び賑わっていた。



 対岸の運河べりにはレンガ作りの昔風の倉庫が立ち並んでいて、それ等の内部を改造した飲食街が出来ていてその規模の大きさに驚いた。大きい倉庫の内部に沢山の店が並ぶ場所も有れば、大きい面積にテーブルが沢山並ぶレストランは有るし私が訪れた時間帯が13時頃であった為、殆どの座席はお客さんで埋まり非常に活況を呈していた。私も何か食べようと中に入ったが座席が空いておらず一回りする内に、元は倉庫作りの為、窓が少なく換気が悪いせいか?ジンギスカン料理の煙と、人熱れの為に気分が悪くなり何も食べずに外に出る事と成った。



 運河の西側は海、小樽は函館と並ぶ海の玄関口、沢山の商船や貨物線や、海上保安庁の船舶が係留されており私としては其方の方を見るのが楽しかった。運河の東側は札幌に至る5号線が走っており国道の反対側に櫓風の展望台(写真下段の2枚目)が有り上がって撮った写真が1枚目と2枚目で有る。1枚目の写真の人力車は若い女性に人気が有る様で車夫もイケメンが多かった様に思う。



 2時間くらい掛けて周辺を散策したが爺さん一人で行く所では無い事だけは良く理解出来た。道東、中央部、北部と天候に恵まれなかった旅が写真の様に青空が広がり天気が安定の兆しをみせ始めたが北海道の旅も既に終りに入りかけていた。

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北海道余市町のニッカ・ウィスキー工場を訪ねて (2009/07/30)

2012年10月05日 | 旅行

        



        

 


 私が子供の頃、白黒テレビでニッカ・ウィスキーのCMがよく流れていて写真の様な建物に雪が降る中、馬に引かれた荷車か何かが?通る画面に情緒的な男性のナレーションが流れる雰囲気の有るCMはお酒に関係ない子供の私にも何か感じる物が有り非常に印象に残っている。そして私の苗字は日下で小学校時代の同級生は「くさか」とは読めずニッカと読む者もおり私としては子供心に非常に親近感を抱いていた。



 大人に成ってもお酒とは縁の無い身では有ったが情報量の少ない子供心に北海道と言えば「余市のニッカウィスキー」だったので北海道に行く機会が有れば私としては必ず訪れたい場所で有った。

 

 此の日の11時前に工場の正面玄関の近くの駐車場に車を入れ、正面入口に行くと若いお姉さんが案内してくれる事に成ったが 数分待っても私以外の入場者が無かったので最終的に私だけに案内役とし付く事に成った。私としては恐縮したが流石、沢山の観光客の対応をしているだけに慣れたもの歩きながらの一言、二言で「四国の方ですか?」と聞いて来たので「解りますか?」と言うと「私は愛媛の松山市の出身で言葉を聞いて何か懐かしく感じましたのでお聞しました」との事、其れまでは正直言って若くて美人な女性との二人きりの見学よりは一人での見学が気楽で良いなと思って居たが随分気楽に成った。



 暫くして慣れたので失礼では有ったが「四国から出て北海道に居る事は大学時代に良い人が出来て北国に付いて来たのかな?」と聞くと「そんな良い話では無く、北海道に憧れて大学は北海道にしたので卒業しても住み着いてしまいました。」と笑っていた。身長は170cm位の長身で笑顔が素敵で今風では無く何処か育ちの良さを感じる女性で有った。

 

 場内を一周する40分間、ずっと同行説明を受けたが最後の行程のアルコール類の試飲コーナーの食堂前で御礼を述べお別れし食堂内でデモのテレビを見ていた私の所に、お酒が飲めない私の為にジュースを持って来て下さり其の後、暫く御話する事が出来た。御蔭様で子供の頃、見たCMで感じた叙情的な思いは今も更に強調され印象深く残っている。

 

 其れにしても最近ニッカウィスキーやサントリーウィスキーのCMを見る事は随分少なく成っている様な気がする。酒を飲まない私が言うのもおかしいが、あの格調有るCMが見られないのは残念な気がする。



 ニッカの名前の由来が創立当時の大日本果汁株式会社の「日」と「果」から取っている事を今回の訪問で初めて知った。それと今思うと2ショットの写真を私が小心者で御願い出来なかった事が今と成っては残念で成らない。




 


 

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北海道積丹郡積丹町での移動運用 (2009/07/29~30)

2012年10月05日 | アマチュア無線 移動運用

 札幌市を出発し国道5号線で小樽~余市町と進み其の後229号線で古平町~積丹町に到着する頃には17:30分を回っていた。運用する場所を探すために積丹町役場辺りから229号線を山手に上がったが良い場が無かったので引返し役場の先の港に入り一回りした後、発電機を使用する関係で人家から少し離れた北緯43度17分54秒 東経140度36分07秒の美国漁港内の幅広の道に車を停めアンテナを設営した。



 運用は20:31~23:34jstと翌朝の05:42~08:16jstまで7MHzで運用252局と交信した。この時は夜遅くまでコンディションが安定していた事が幸いしたが北海道内では出ていない町なので其の事が一番の要因と思える。北海道への観光と移動運用を思い立った時、道東の羅臼町、北の音威子府村、西の積丹町と今金町、南の平取と様似町は力を入れて運用したい場所だったので先ず先ずの実績を残す事が出来た。


 積丹と言えば東の標津町(鮭、ます)北の猿払(ホタテ)と並び称される漁業が盛んな土地、ホッケ、イカ、アワビや特にウニが有名で翌朝には遠距離トラックが数台が近くの道端で荷積みの順番を待っていた。美国漁港の近くの町筋にも地場の美味しい海産物を食べさせる所が有ったと思うが残念ながら私には高値の花、縁遠く食する機会は無かった。運用後、昨日、横を通りながら積丹町運用の時間合わせの為、立寄る事が出来なかった。ニッカ・ウィスキーの故郷で有る余市町に向かった。

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