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『現代思想』 2017年6月臨時増刊 「マルクスの思想」 『資本論150年』 青土社

2017年06月08日 | 本日の新刊ー雑誌

                  ▲ 『現代思想』 2017年6月臨時増刊 「マルクスの思想」 『資本論150年』 青土社

 

 

『現代思想』 2017年6月臨時増刊 「マルクスの思想」 『資本論150年』 青土社

 

『現代思想』 2017年6月臨時増刊 「マルクスの思想」 『資本論150年』 青土社

▲『現代思想』 2017年6月臨時増刊 「マルクスの思想」 『資本論150年』 青土社 定価1900円+税

 ▲ 『現代思想』 2017年6月臨時増刊 「マルクスの思想」 『資本論150年』 目次1

 ▲『現代思想』 2017年6月臨時増刊 「マルクスの思想」 『資本論150年』  目次 2

 

先月、最寄りの本屋が、現代思想の臨時増刊号を配達してくれた。タイトルを見ると、「ゲーデル」

あれ、この特集は昔読んだ記憶があるし、本棚片づけていた折、見た記憶があった。

やはり『現代思想』2017年のゲーデル特集は、同じ執筆者による再版なのだった。同じ内容の本を装丁を代えただけの本を飾る余裕もない。

それで、『現代思想』誌は昔 マルクスと資本論の臨時増刊総特集はやったことがあったのではと、あちこち探してみるとやはり、2冊出てきた。

今回の既視感は間違いで、「資本論150年」の特集ではなく 出てきたのは「総特集=資本論 後期マルクスへの視座 」 という特集で 1975年12月の臨時増刊号なのだった。

1975年頃マルクス研究者だった人が、顔をそろえている。60年代は労働・大衆運動が優り、マルクス研究者はむしろ1970年代中頃が、一番元気だったのではなかったか。

もう一つは『現代思想』2004年の4月 臨時増刊「マルクス」

40年前、及び13年前の特集であるから、2017年の今回の執筆者と全く切り替わり、翻訳者などは、私には全く未知な人もいる。1960年代の世界とは違った現代に生きる若い研究者は、マルクス・資本論から何を読もうとしているのか?

今回の執筆者のうち、ほぼ毎年のように何かしらは読み継いできた覚えのある柄谷行人から、読んでみたい。

柄谷行人の『マルクス・その可能性の中心』は発表時の初出が『群像』1974年3月ー8月の連載であるから、柄谷行人にとっては、マルクスについて書き出してからでもマルクスとのつきあいは43年にもなる。

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参考のため、『現代思想』誌の、 1975年12月 臨時増刊号「資本論」と2004年4月の臨時増刊号 「マルクス」と、今年没後50年の、チェ・ゲバラ特集号、『現代の眼』「マルクス死後百年」の特集も出てきたので参考のため掲げておく。

▲ 『現代思想』 過去2回のマルクス・資本論特集号 

 

 ▲『現代思想』 1975年12月 臨時増刊 資本論 目次1

▲ 『現代思想』 1975年12月 青土社 臨時増刊 資本論 目次2

 

 ▲『現代思想』 2004年4月臨時増刊 青土社 総特集 マルクス 目次1

▲ 『現代思想』 2004年4月臨時増刊 青土社 総特集 マルクス 目次2

 

 

▲ 左は『現代思想』2004年110月総特集 チェ・ゲバラ ▲右は『現代の眼』1983年4月特集マルクス死後百年

 

▲『現代の眼』 1983年4月 マルクス死後百年 目次 (マルクス特集部分のみ)

雑誌の特集趣旨はそれぞれ違うが、1975年には、マルクスの思想と現代社会はかなり相関性をもち、執筆者はマルクスで現代社会が解け・解決できると理論展開をしている人もいた。

1983年、マルクス死後百年になると、「昔マルクスがいた!?」というサブタイトルが付されている。

2004年の『現代思想』の特集号になると、グローバリゼーションからマルクスの歴史時間を読み解いたり、修辞学・レトリックから、マルクスを読む、フェミニズムの視点からと、言語論的転回以後の、自らの理論方法や尺度を強く意識しながら、論を展開していたように思う。

では2017年の現在、

世界史の中で、マルクス・「資本論150年」を読むとは何なのだろうか。

「資本論150年」ならぬ、「資本主義の終焉」すら研究者の間から漏れてくるのだ。

この終熄感はどこからくるのか?

資本主義とは期限付きのものだったのか?倒す前に縮小・解体して、無害になってくれるのはかまわないが、こんなことに甘んずる輩ではないのが、世界寡頭層。

次なる手は、何か構想するのが彼らの仕事。手っ取り早く、定番の無制限の暴力・戦争という混沌であるとしたら、

やはり、資本主義の終わらせ方を、無害な資本主義の終わらせ方を人間の総力で模索するしかないだろう。

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さて、柄谷行人はこの特集で「精神としての資本」を書いているのだが、この論文の最後の方で、

「1873年以後の事態から振り返ると、『資本論』が、イギリスがヘゲモニーをもち自由主義的であった時代に書かれたことがはっきり見えてくる。そのため、彼は『資本論』で「国家」をカッコにいれて資本主義経済を考察することができた。」

次なるヘゲモニーが確定するまで、自由主義段階は失われ、帝国主義段階が交互に現れる。今の新自由主義は、新帝国主義の段階で、次の総体的なヘゲモニーが確立するまで、新帝国主義が続くと、柄谷行人はウォーラースティンの見方に賛同している。

「新帝国主義はアメリカの没落とともに始まり、次のヘゲモニー国家が成立するまで続く、それが成立することがありうるならば。」

暗澹たる未来の展望が展望なのか!これはつらい。

次なるヘゲモニーを誰がとるにせよ、アメリカのヘゲモニーの終焉をアメリカが理解し、自身の没落を夕日を眺めるように、見届けようとすることはできるだろうか。

 

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伊高浩昭さんのブログ 「現代ラテンアメリカ情勢」 2017年6月8日付 

によれば、アメリカ南方軍 がベネズエラ近海バルバドス領海で19カ国海軍合同演習。

作戦名 「貿易風2017」 の開始を伝える。

イラクで起こした戦争の作戦名が「砂漠の嵐」作戦とかいうのじゃなかった? トランプ、大統領になってからブラジル・クーデター大統領や、アルゼンチン大統領となにやら会談を行っていたのだが、これが、次なる作戦の打ち合わせだったのか。今のクーデターは、いきなり軍人が直接起こすのではなく、・ジョー・ソロスのような投資・金融マフィア・欧米メディアが、乗っ取り相手国を徹底的に経済・情報戦を行使しながら軍事作戦を行うから効果は大きい。今のところ、ベネズエラ国軍は、マドゥーロ大統領に全軍忠誠を誓っているが、アメリカはここに手を入れてくるだろう。

ラテンアメリカ・カリブ15国と、アメリカ・カナダ・イギリス・フランスが参加

6月12日からの第2段階は、トリニダード・トバゴ付近で演習実施というから、眼と鼻の先のベネズエラ・マドゥーロ政権に強烈な軍事圧力をかけるようだ。

アメリカは、政権基盤が弱体化し、政治に窮するとすぐに戦争をする常習犯国家だ。

クリントンも下ネタ・モニカ・スキャンダルで弾劾されそうになったとき、リビアのカダフィめがけてミサイルを撃ち込み急場をしのいだ過去がある。

ベネズエラは、今内戦を仕掛けられて、連日死傷者がでている状況である。

ついに、ベネズエラ・マドゥーロ政権を転覆するクーデターと連携する動きもあるのでは。

政権危機にあるトランプ大統領が起死回生の悪事をしでかす心配もあるのではないか!今ベネズエラのクーデター派に民主化資金として軍資金を供与している。

注視が必要だ。

チリ・アジェンデ政権打倒のクーデターの時には、クーデター学校卒業のピノチェトが、クーデターが首尾良く成功するよう、アメリカ海軍が太平洋に待機・支援していたからね。

 

伊高浩昭さんのブログ 「現代ラテンアメリカ情勢」は  ここ▼

★★★米南方軍がベネズエラ近海バルバドス領海で19カ国海軍合同演習「貿易風2017」を開始。ラ米・カリブ15カ国と米加英仏が参加。13日からの第2段階はTT領海で実施へ。マドゥーロ政権に軍事圧力かけるのが狙い  

http://vagpress-salvador.blogspot.jp/2017/06/19201715.html

 

つづく

 



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