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世にも不思議な怪事件 菅生事件 その2 アメリカ占領期から日本独立前後 

2015年02月07日 | 戦後秘史・日本占領期

          ▲ 清原敏孝 『消えた警察官 菅生事件の真相』 1957年 現代社 当時定価160円

 

世にも不思議な怪事件 菅生事件 その2 アメリカ占領期から日本独立前後

 

世にも不思議な怪事件でも、歴史を変える大事件となるものは、紛争・戦争を企てるものたちの謀略の一味による工作が隠されていることが多い。

ひとつひとつは、たまたま起きた偶然の一事件のようにみえようとも、それらを束ねてみれば、、霧を通して黒い影像が見えてくることがあるものだ。それは事前に用意周到に準備され計画されたものだ。

本日は 菅生事件 その2 としての続きを書くはずだったのだが、最近のめまぐるしく動く事件の備忘録を、自分で忘れ、逸することがないように急遽掲げる。

このところ世界で起きた、世界の黒い霧というべきか、工作の証拠となるかもしれない映像を3点ほど紹介。

2013年から2014年にかけて、ソチオリンピック開幕前・後、ロシアでは、ロシアの治安を揺るがせ、オリンピック潰しをねらったテロ事件が発生。またEU諸国やアメリカは、ロシアの人権抑圧を理由に、冬季五輪開会式に参列せず、ウクライナ政権転覆の謀議を裏で重ねていたようだ。

ウクライナ大統領政府転覆・クーデター2週間も前に、アメリカの国務省ヨーロッパ担当のヌーランドは、駐ウクライナ・アメリカ大使に、臨時暫定政府の閣僚メンバーの人選について、電話しているのを、ロシア情報機関に察知され、ユーチューブにアップされてしまい、クーデターからその後のウクライナ政治のプロセスをアメリカ大使館による主導で行なっていたことを世界に暴露されてしまった。

今になって、オバマ大統領は、ウクライナ政府転覆の関与を認めたようだが、ヌーランドが話した通りの人事でほぼ暫定政府が出来たことを考えれば、2013年の後半のウクライナで起きていた反政府デモは、最初の最初からアメリカの資金援助をもとに、画策されていたことは間違いない。

その後、2014年2月のウクライナクーデター

2月 末 ウクライナ暫定政府の誕生

5月4日のオデッサで起きたウクライナ右翼・民族主義者による、親ロシア派への労働者会館への閉じこめ、焼き討ち・射撃・虐殺事件 (オデッサ事件)まるで民族浄化のような親ロシア抹殺の動きがウクライナ各地に飛び火。これによってか、ウクライナ東部分離独立運動の動きが一挙に加速

ウクライナ東部独立宣言

ポロシェンコ、ウクライナ大統領当選

2014年7月17日 マーレーシア航空機、ウクライナ東部紛争地域で墜落

すぐさま欧米・ウクライナ・ポロシェンコ大統領、独立派が攻撃・撃墜したとして、独立派、ロシアを激しく非難

しかし、その後、独立派によるミサイル攻撃ではなく、ウクライナ空軍戦闘機による撃墜ではないかと、残された航空機機体破片から航空・軍事専門家が見解を表明。

 

▲コックピットの機体破片に残るマレーシア航空機の傷跡は戦闘機の攻撃より機体を貫通した痕跡か。今年2015年夏に、マレーシア航空機の調査報告書が発表される予定。この機体を貫く痕跡は何の攻撃によるものなのか、ぜひ注目する必要があるだろう。

2014年9月 マレーシア航空機撃墜についての暫定調査見解発表 正式発表は2015年夏としている。

「ロシアの声」 2014年11月25日では、ドイツの専門家の声として、元ルフトハンザ所属パイロットのペーター・ハイセンコ氏の電話インタビューで次のように答えたと報じている。

 「「ボーイング機の残骸の写真を調べ、一義的な結論に達した。同機は地対空ミサイル「ブーク」に撃墜されたのではない。その線は完全に排除される。墜落後の操縦席の様子なども写真で確認したが、それらは一義的に、戦闘機からの銃撃があったことを示していた。退役東独軍人で「ブーク」を実際に取り扱っていた専門家たちも私の説を支持している。彼らは異口同音に、「ブーク」のミサイルではあり得ない、と語っている」

「地対空ミサイルは破片に分裂する。破片は音速の26倍という高い速度で、目標をフルイのように貫通する。ということは、乗客らの遺骸からは、ミサイルの破片が発見されねばならなかった。しかし、既に調査済みの遺骸からは、なんらの痕跡も見つかっていない。ということは、ロシアに対する非難は反証された、ということか?」 

という記者の質問に対し、

「ロシアに対する非難は当初の当初から「白い糸で縫われた」もの(つまり、明白な捏造)だった。オランダの調査委員会を含め、事件の調査に関わる全ての者が、「ブーク」ではない、戦闘機だと、分かっていた。ここに議論の余地は無い」

と、答えている。

以後マーレーシア航空機撃墜、追求・検証記事大手メディアからほとんど消える。

撃墜されたマレーシア国の関係者が、航空機撃墜事件の検証過程に参加できず、旧植民地を持っていたヨーロッパ諸国に調査がゆだねられるのに、マレーシアは不満の意を表明しているのだが。どんな報告書が出るのだろうか。

2014年9月、ウクライナ・東部独立派 暫定停戦

2014年の年末から、ウクライナ東部の戦闘が再び激しくなっているのだが。

2015年1月7日 パリ 新聞社シャルリー・エブド襲撃、パリ東部バンセンヌ地区スーパーマーケット立て籠もり事件。両事件とも犯人は射殺と発表。 

 

(報道ではシャルリー・エブド襲撃から、工場へ逃亡した際の関連が、時系列で検証されておらず、襲撃と工場内での射殺された人物が、本当に同一人なのか、判然としないと思うのは私だけであろうか。)

また2015年1月のパリ東部バンセンヌ地区ユダヤ系向けのスーパー・マーケット立て籠もり事件では、近くから撮影したと思われる動画がユーチューブに投稿されている。

 ドアの方へ駆け寄る男

 

 人物が倒れこむ映像。手は拘束されているように見える

 

  

▲ この3枚はユーチューブの動画投稿から、瞬間・瞬間をフリー編集ソフトで切り出したものだ。

スーパー・マーケットから道を挟んで、少し高い位置からビデオを撮影している。催涙弾なのか、投光弾なのか奥のほうがぼんやりと見える。2階あたりから撮影したものか。

1枚目の映像では、男が、ドアか窓の方へ向かって突進する様子が見える。

2枚目の映像は、男が銃撃で倒れようとしているところだ。手が拘束されているように見えると投稿者注意を促している。確かにそう見える。室内が煙と、窓に広告かチラシが貼ってあるので、内部がよくわからない部分もあるのだが、ドアの取っ手の部分は後の映像でも残るので、人間が体のバランスを失うとき自然に手は、床に落ちる体の衝撃を和らげようと手を動かすはずで、立位から、倒れるまでの姿勢として、やはり手の位置は不自然すぎるといえるだろう。

一番下の3枚目の映像を見ると倒れ込んだ人間に特殊部隊はさらに銃撃を加えているようにも見える。最初から逮捕することなく、襲撃者とされる人物の死をもって一件落着となって、裁判することなく迷宮入りすることになることが危惧される。

男の体とフランスの特殊部隊の銃の方向を見ても、足や太ももなどを狙って撃ち、逮捕をねらったものではなく、スーパーに立て籠もったとされる人物を生きたまま捕らえて取り調べするつもりは最初からなかったのではないだろうか。事件後にスーパーに人質となった人々を聴取した、パリの担当警察幹部が、直後に自殺とされる謎の死を遂げているのもさらに不思議なことである。

21世紀なって、ほとんどすべての欧米の就業する成人や10代後半以上の人は、スマートフォンなどをもっている。

いつでもどこでも目撃者となり、ねつ造を暴く映像や、会話を記録することができる。この動画映像も、事件演出工作の決定的瞬間を記録した可能性があるだろう。

このスーパー・マーケットに立て籠もったとされる人物は、手が手錠のようなもので拘束されていたということが事実であるとすれば、すでに捕らえられ、犯人とされるべくあらかじめ用意された人物であった可能性はないであろうか。 これからも、この事件の行方を注視していく必要があるようである。

さて下の映像は、2005年にヨルダンの首都アンマンで起きたホテル爆破事件の初期に撮られた映像、事件後,内部の映像はメディアから姿が消えたそうである。

 

 

▲上の映像はインターネットでアンマンホテル爆破事件で検索を入れて見つかった映像のひとつ。以前には、童子丸開さんのホームページに何枚かアップされていたのだが、最近もういちど確かめようと確認したが、現在は画像のリンク先が切れて辿りつけなくなっていた。

どちらの映像も、体に巻き付けた自爆犯が起こした事件現場には見えず、どうみても天井から1階の通路、ないし、1階フロアーへ向けて爆発が起きていたと思われる現場に見える。つまり、天井裏に爆弾を仕掛け、攻撃したい人物集団が、ホテルに現れたとき爆発するような装置のもとの現場と思われる。

3件の現場で、ほぼ同時頃の起きた爆破事件で、多くの被害者が出た事件なのだが、被害者の中には、中国の情報機関の関係者や、パレスチナの軍事関係者がいたようで、単純なイスラム教徒の自爆事件ではなかったのではないかと推測されているのである。破竹の勢いで経済が拡大し存在感が増す中国。中国の中東での影響力を阻止し、中東からの排除を強く警告するシグナルだったのでは?

2015年1月末からの、イスラム国による、湯川さん、後藤さん人質事件でイスラム国が交換要求していた獄中にいたサジダ・リシャウィは、本当にイスラム自爆テロを起こそうとした人物なのだろうか。

ほんとうに残念なことに、2005年に起きたヨルダンのアンマン・ホテル爆破事件の容疑者として交換を要求されたサジダ・リシャウィ死刑囚は、その後、ヨルダンの報復で処刑されてしまった。

サジダ・リシャウィは真の犯人の一人ではなかった可能性がある。爆弾はあとで当局に巻き付けられたものといっていたはず。何度も、彼女の爆弾を巻き付けた姿の動画は大手メディアで流れ、爆弾テロ犯人との強い印象を与えていたが、事件の全体を伝えるホテルの被害現場の詳細や、関連した調査報道は見られなかった。

2001年の911事件の犯人たちも自爆飛行を敢行したとされ、また2013年4月ボストンマラソン爆破事件の犯人とされる人物、タメルラン兄弟の兄も銃撃戦末に死亡とされる事件も、一般市民の撮影した写真からは、手先の位置から、生きていたと見える。路上で銃撃戦で死亡したのではなく、逮捕(確保)されてから死亡したのではないだろうか。と思わせるのである。新聞報道や大手メディアの映像も、一端丸ごと信じることを停止して、子細に渡り、再吟味する必要を感じる。

 続く

 

 

 

 

 

 



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