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▲『人類にとって戦いとは』 1 1999年 東洋書林 定価3200円+税
読書日誌・旧刊・新刊遊歩道 ・・・・・・・播種のために・・・・・・・
飛ぶ鳥が空を飛びながら荒地に落としていった種の行方・・・・・やがて・・・・鳥は鳥を呼び、林が形成され、鳥たちが歌う森となるか
『人類にとって戦いとは』 1999年 東洋書林 全5巻 その1-1
▲『人類にとって戦いとは』 1 1999年 東洋書林
▲『人類にとって戦いとは』 1 目次
2000~2001年頃、正確には覚えていないのだが、まだ9.11事件が起きる前だったと思うが、古墳時代の国家形成過程の参考資料にと、新刊本屋さんの棚をのぞいて見つけたのが、このシリーズ。
最初の頃は、歴史民俗博物館の共同研究として、「歴史における戦争の研究」を立ち上げた佐原真さんの計画ではシンポジウムの発表・記録は3巻で発行することになっていたようだ。しかし、第一次の研究成果だけでは足りないと2次研究も継続されていたのだ。シンポジウムの記録集といっても、後日刊行だから、当時発表資料を綴じただけの簡素な会議資料ではなく、ハードカバーの本になっている、シンポジウムの討議記録も掲載されているので、臨場感がある。
3巻揃いで買うと3200円×2+3000円×1で、それに消費税だ。本屋でその日は大いに迷ったあげく、買わずに撤退。
2巻まではその後、入手。あと最後の一巻でこのシリーズは読了だ。次のテーマを見つけようとしていたのだが、その後よく調べてみたら、「歴史における戦争の研究」は継続していて、東洋書林のホームページを見ると、このシリーズは5巻までに拡張されていた。
「人類にとって戦いとは」と、対象を世界大に間口を拡げた以上、3巻で終わりになるはずはないと思っていたが、案の定5巻になっていたのだ。
すでにシリーズの2巻目までは入手しているのだが、残りの3巻をどうするか。
ネットで調べると、『人類にとって戦いとは』 5巻揃いで販売している本屋はあるが、残りの3巻、4巻、5巻を単独で販売している古本屋がなく、あっても、定価に近い。
果報は寝て待てと、このシリーズは、捜し買い求めるのを数年停止していたのだが、ようやく、さる書店で廉価で販売しているのを突き止める。
ということで、急遽2016年4月の我がブログの一テーマは『人類にとって戦いとは』になりそうである。
このブログでかつて、10年遅れの佐原真さん追悼記事を掲げたことがあるのだが、これに併せ、『佐原真の仕事 4 戦争の考古学』も要約を掲げたい。
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日本近代未だ150年も経過しないうちに、日本独立の気概どころか属国身分でも足りないのか、ついに属領化を自ら望む輩が現れている始末だ。
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わたしのブログは、2012年の5月15日に、その前日の沖縄県民たちの「怒」のエネルギーをもらい、再開始めたのだ。
2011年の311の震災後の憂鬱と怒りとを溜め込んで、それまで私は1年程ずっと気持ちが鬱いでいたのだが、ついに鬱いでいた上蓋が開いたのだ。「怒」の力で、沸騰していた上蓋が取れたようだ。
私は、退職後の残された僅かな自由時間を健康が許す限り、ささやかな読書を「初期国家生成前後」のあたりをテーマにして、すこしばかり、掘り下げてみたいと思ってきた。退職少し前から、このテーマに沿って、本を探してきたのだが・・・・・・・・
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卑弥呼は、中国に朝貢して、中国から持ち帰り戴いてきたものに、「黄幢」というものがあった。魏の同盟軍として配下・旗下に配る「旗」である。
三国時代の戦乱の時代を反映して、「旗幟鮮明」を魏の国から、同盟の誓いとして要求され、(おそらく呉に対する牽制と、威嚇としてのパフォーマンスを示したかったのではないかと私は考えているのだが)またその倭国内事情の戦乱の収束のためにも、中国(小帝国)の威を借りるという内外政同時進行するシナリオがあったのだろう。
当時の卑弥呼の時代の倭国と魏との関係は、現在の日本と、アメリカとの関係といえる。
国内政治のコントロールに、周囲の最強国の威を借りること。
ジャパン・ハンドラーたちによって、「ショー・ザ・フラッグ(旗幟鮮明)」だの、「軍隊を出せ」などは、数千年続いてきた、帝国と傘下の属国・植民地国の関係そのものなのである。
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わが鳩山首相が、首相就任に際して、日本とアメリカとの関係を
「対等でありたいのです」
と言い終えた先から、アメリカどころか日本のメディアまでも囂々たる非難の嵐!
弥生時代の東アジアの国際関係から、ごく最近の国際政治まで、暴力・戦争・メディア戦略の絡み合いは続いている。
つづく