ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

神社との向き合い方 【その3】

2017年06月06日 13時58分22秒 | 日々の神計らい

ギオン!???

 皆さんは、「祇園(ギオン)」と聞いて何をイメージしますか?京都の町でしょうか?私も子どもの頃、奈良に住んでいまして、「祇園」とは、京都にある町で、お座敷遊びをする高級な場所というイメージしかありませんでした(笑) 私の父も、京都で働いていた頃は、時々、祇園で、パッ!と遊んでいたそうです(笑) 社長さんとかに連れて行ってもらって(笑)

 そんな私ですが、今では、「祇園」と聞くと、「スサノオさん!」と反応します(笑)

 ウィキペディアによると、『祇園信仰(ぎおんしんこう)は、牛頭天王・スサノオに対する神仏習合の信仰である。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰となっている。京都の八坂神社もしくは兵庫県の広峯神社を総本社とする。牛頭天王は元々は仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎の守護神とされる。中国で道教の影響を受け、日本ではさらに神道の神であるスサノオと習合した。これは牛頭天王もスサノオも行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたためである。
 そして、京都の祇園祭が有名ですよね。ウィキペディアは続きます。『平安時代に成立した御霊信仰を背景に、行疫神を慰め和ませることで疫病を防ごうとしたのが祇園信仰の原形である。その祭礼を「祇園御霊会(御霊会)」といい、10世紀後半に京の市民によって祇園社(現在の八坂神社)で行われるようになった。祇園御霊会は祇園社の6月の例祭として定着し、天延3年には朝廷の奉幣を受ける祭となった。この祭が後の祇園祭となる。山車や山鉾は行疫神を楽しませるための出し物であり、また、行疫神の厄を分散させるという意味もある。中世までには祇園信仰が全国に広まり、牛頭天王を祀る祇園社あるいは牛頭天王社が作られ、祭列として御霊会(あるいは天王祭)行われるようになった。明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、社名を改称した。総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社とされた。

 解説が長くなりましたが、本題に戻ります(笑)

 菅原神社に参拝した際に、『戸畑祇園大山笠』ののぼりが目に飛び込んできました!

 皆さんも御存知かと思いますが、昨年、ユネスコにおいて日本の祭り33件の山・鉾・屋台行事が「無形文化遺産登録」として決定しました。目に飛び込んできたのは、それを、祝したのぼりでした。

 「祇園?ということは、スサノオさんが絡んでいるのか?」と、早速、菅原神社の由緒書を読んでみました。『菅原道真が太宰権帥に左遷され、筑紫の太宰府におもむく途中、天籟寺(てんらいじ)の地に一夜宿をとったという。のち太宰府に道真の廟が建立された時、その由来によって現在地に勧請したのに起ると伝えられている。』とあり、ご祭神として、菅原道真とともに須佐之男命(スサノオさん)が祀られていました!シビレました!

 戸畑祇園大山笠祭りについては、ウィキペディア『江戸時代後期の1802年(享和2年)、戸畑地区に疫病が蔓延した際に、神社に祈祷したところ成功を収め、このことを喜んだ村人たちが翌1803年(享和3年)に須賀大神(スサノオノミコト)に対し感謝の意を表した祝い山笠を作り奉納した行事が始まりといわれている。』とのこと。

 テンション上がる中(笑)で、「今度、息子が受験でお世話になります」とご挨拶参拝しました。

 そして、スサノオさん専用御朱印帳に、御朱印をいただきたいなと思い、社務所を訪れましたが、窓が閉まっていて、神職の方は、御不在のようでした。カミさんが、社務所の窓際にネコちゃんを発見し、「かわいい~」と窓ガラスの向こう(建物内)でのんびり日向ぼっこをしているネコちゃんをしばらく見ていました。
 私もしばらく一緒に見ていましたが、気がつくと、カミさんは、境内の他の場所に移動していました。そして、私も窓ガラスから離れようとした瞬間に!!!

(つづく) 

 


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