熊本最後の夜、熊本市と熊本日独協会が協力して「交流夕食会」を開催。
あいにくの小雨の中、KKRホテルホテル熊本の金峯・市房の間に75名(訪問団23、熊本市9、熊本日独協会43)が集う。
熊本城天守閣の眺望が見事な部屋である。
国際室作成の式次第の内部資料には次のような時間配分が書きこんであった。(下線は筆者)
18:20 熊本市長到着・着席
18:30 ハイデルベルク市民訪問団入場(熊本市側起立・拍手で迎え)
1 開会(司会による進行)
2 オープニング (熊本日独協会合唱団コール・クライゼルによる合唱2曲)
3 熊本市挨拶 熊本市長 大西 一史(通訳込5分)
4 訪問団挨拶 ハイデルベルク熊本友の会会長 ハンス=ユルゲン ホーボルト様 (通訳込5分)
5 乾杯挨拶 熊本日独協会挨拶 会長 重浦睦治 (通訳込5分)
(19時までには市長退席)
6 会食および歓談
7 合唱ステージ 熊本日独協会合唱団コール・クライゼルによる合唱 (20分)
~ドイツ愛唱歌集完成記念発表を兼ねて~
ハイデルベルク市民の皆様方もご一緒に歌いましょう!
8 閉会挨拶 熊本市混交文化交流局長 西島 徹郎
20:30 閉会
実際のところは、入場が4分遅れて始まる。ホーボルト会長の挨拶も熱が入り、乾杯挨拶の時点で市長が退席すべき19時の2分前となっている。
乾杯後、大西市長は退席せざるを得ないことをステージ上で述べるあいさつ。立ち去る際に友の会のゾンターク名誉会長が握手と短い言葉。
会場を去られたのは19時7分であった。
この交流夕食会は熊本日独協会にとっては『ドイツ愛唱歌集』の正式のお披露目の機会であり(それゆえ会長から乾杯挨拶の時、ゾンターク名誉会長と大西熊本市長に1冊ずつお贈りした)、また、設立が1962年11月16日であることから創立53周年の記念パーティーの意味も持っている。
愛唱歌集を編集したコール・クライゼルにとっても晴れ舞台であり、ステージにも熱がこもる。
途中で進行役の中村国際室室長が協会の側の責任者に「終わりはきっかり8時半でないといけないですか?」と尋ね、「その時間は市が決められたこと。こちらは延びるのは少しもかまわない。」というやり取りもある。
歌による盛り上がりとともに、どのテーブルをみても会話がはずんでいるのだ。
これをいきなり打ち切るのはしのびない。ホテルも「大丈夫ですよ」とのこと。
今回の夕食会では、部屋の基本的な収容人員を超える参加者、頻繁な人数の変更、特別の料理への対応、などホテルの皆さん
(特に担当の大村さん)には良くしていただいた。ここに記して謝意を表したい。
「最後に皆で歌いましょう」と水本団長がアナウンスした「歓喜に寄す」では会場が一つとなって大合唱となる。
そして、ホーボルト会長が「バーデナーリート」のメロディーに歌詞をつけた「Kumamotolied(熊本賛歌)」が本当の締めとなり、同会長や訪問団のベッカー氏、ロレンツ氏もステージに上がり「Frisch auf! Kumamoto!」の楽しいリフレインが響きわたる。
予定の午後8時半をはるかに過ぎて西島局長の閉会あいさつ。
その後も手作りのプレゼントが渡され、あちこちで別れを惜しむ輪ができ、なかなか散会とはならなかった。
一連の写真でその雰囲気を感じてください。 (M.S.)
あいにくの小雨の中、KKRホテルホテル熊本の金峯・市房の間に75名(訪問団23、熊本市9、熊本日独協会43)が集う。
熊本城天守閣の眺望が見事な部屋である。
国際室作成の式次第の内部資料には次のような時間配分が書きこんであった。(下線は筆者)
18:20 熊本市長到着・着席
18:30 ハイデルベルク市民訪問団入場(熊本市側起立・拍手で迎え)
1 開会(司会による進行)
2 オープニング (熊本日独協会合唱団コール・クライゼルによる合唱2曲)
3 熊本市挨拶 熊本市長 大西 一史(通訳込5分)
4 訪問団挨拶 ハイデルベルク熊本友の会会長 ハンス=ユルゲン ホーボルト様 (通訳込5分)
5 乾杯挨拶 熊本日独協会挨拶 会長 重浦睦治 (通訳込5分)
(19時までには市長退席)
6 会食および歓談
7 合唱ステージ 熊本日独協会合唱団コール・クライゼルによる合唱 (20分)
~ドイツ愛唱歌集完成記念発表を兼ねて~
ハイデルベルク市民の皆様方もご一緒に歌いましょう!
8 閉会挨拶 熊本市混交文化交流局長 西島 徹郎
20:30 閉会
実際のところは、入場が4分遅れて始まる。ホーボルト会長の挨拶も熱が入り、乾杯挨拶の時点で市長が退席すべき19時の2分前となっている。
乾杯後、大西市長は退席せざるを得ないことをステージ上で述べるあいさつ。立ち去る際に友の会のゾンターク名誉会長が握手と短い言葉。
会場を去られたのは19時7分であった。
この交流夕食会は熊本日独協会にとっては『ドイツ愛唱歌集』の正式のお披露目の機会であり(それゆえ会長から乾杯挨拶の時、ゾンターク名誉会長と大西熊本市長に1冊ずつお贈りした)、また、設立が1962年11月16日であることから創立53周年の記念パーティーの意味も持っている。
愛唱歌集を編集したコール・クライゼルにとっても晴れ舞台であり、ステージにも熱がこもる。
途中で進行役の中村国際室室長が協会の側の責任者に「終わりはきっかり8時半でないといけないですか?」と尋ね、「その時間は市が決められたこと。こちらは延びるのは少しもかまわない。」というやり取りもある。
歌による盛り上がりとともに、どのテーブルをみても会話がはずんでいるのだ。
これをいきなり打ち切るのはしのびない。ホテルも「大丈夫ですよ」とのこと。
今回の夕食会では、部屋の基本的な収容人員を超える参加者、頻繁な人数の変更、特別の料理への対応、などホテルの皆さん
(特に担当の大村さん)には良くしていただいた。ここに記して謝意を表したい。
「最後に皆で歌いましょう」と水本団長がアナウンスした「歓喜に寄す」では会場が一つとなって大合唱となる。
そして、ホーボルト会長が「バーデナーリート」のメロディーに歌詞をつけた「Kumamotolied(熊本賛歌)」が本当の締めとなり、同会長や訪問団のベッカー氏、ロレンツ氏もステージに上がり「Frisch auf! Kumamoto!」の楽しいリフレインが響きわたる。
予定の午後8時半をはるかに過ぎて西島局長の閉会あいさつ。
その後も手作りのプレゼントが渡され、あちこちで別れを惜しむ輪ができ、なかなか散会とはならなかった。
一連の写真でその雰囲気を感じてください。 (M.S.)