ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

積丹・神威岬「念仏トンネル」探索(後編)

2021-09-27 19:03:35 | ホルマリン漬け北海道 秘境編

神威岬「念仏トンネル」探索(後編)

2021年8月30日 午前7時40分。

岩場を抜けると、明らかに人工的に削られた平らな岩礁に出ました。
ここまで旧ルートから外れていたのか消滅してしまったのか、道の痕跡はほぼ確認できませんでしたが、遊歩道であった証をようやく見つけることができ、気分が高まります。
すぐ近くの浅瀬で漁をしていた人と目が合いましたが、探検装備の私を見て納得したのかスルーしてくれたので一安心。


所々に足首程度まで海水がたまり、小さな生き物が泳いでいます。
これは長靴にして正解、バシャバシャと堂々突っ切ると、わずかに残る階段と崖が窪んだ箇所に到着。
探検開始から約30分。ついに辿り着いたか……。

念仏トンネル―。


念仏トンネルの開通は1916(大正7)年11月8日といわれていますが、掘られたのは神威岬にまつわるある悲劇がきっかけでした。
岬の突端付近に立つ神威岬灯台。現在は無人ですが、1888(明治21)年の初点灯から1960(昭和35)年に建て替えられるまでの70年あまりは、職員が居住勤務する有人灯台でした。

灯台に辿り着くには、一番近い余別と呼ばれる集落から約4キロもの険しい道を歩かなくてはなりませんでした。
岬が近づくと波打ち際を歩く断崖絶壁が続き、灯台を目指す人は海岸の石を飛び跳ねながら伝って歩いたといいます。

1912(大正元)年10月の天皇誕生日、灯台長夫人と3歳の長男、補助員夫人の3人がお祝いの食材を買うため余別に向かう途中に高波に飲まれ、そのまま行方不明になるという痛ましい事故が起きてしまいました。
村人たちは心を痛め、二度と悲劇が起こらないよう、岩場にトンネルを掘ることを決意。
1915(大正3)年から7年の歳月をかけて手掘りの隧道を完成させ、以降、灯台職員らの安全は守られたということです。


さっそくトンネル内部へ足を踏み入れます。
人がひとり通るのにちょうど良い大きさの内部は、思ったよりも状態よく残っており、難なく進めます。
…しかし、20メートルほど進むと右方向に直角に折れ曲がっており、先は真っ暗で何も見えず。

これが「念仏トンネル」と呼ばれるゆえん。
掘削作業は崖の両側から同時に進められたものの、測量ミスにより中央で大きなズレが生じてしまいました。
村人たちが犠牲者の供養の意味も込めて、双方から念仏を唱えて鐘を鳴らしたところ掘り進む方向が分かり、結果、全長60メートルの特殊なかたちのトンネルが完成したというわけです。


ライトで照らしてみると波が運んできたであろう流木や、プラスチックのごみ類などが散乱。
その向こう側も大きく折れ曲がっているのか、トンネルの長さの割に日光が全く差し込まず、なかなか不気味です。
真の暗闇であるため、念仏を唱えながら通ると安心」とも言われています。


流木類を乗り越えながら、さらに20メートルほど慎重に進んで振り返った様子です。
天井がだんだん低くなっており、足元に気を付けていたら飛び出た岩に思い切り当たりました……。
ヘルメットで良かった。



突き当たりは再び直角に、今度は左方向へ折れ曲がっています。
つまりトンネル内部はクランク状になっており、日光が入り込まないのも頷けます。
これまで念仏トンネルの構造がいまいち良く分かっていなかったので、実地調査で判明できて良かったです。


ここからは更に20メートルほど直線が続き、外部に出ることができました。
天井が低いうえに大きな石でゴロゴロしているので、最後は常に中腰で歩かなければなりませんでした。
高波の日はトンネル内部まで、それなりの浸水があると推測されます。



暗く狭いトンネルを出た先に広がる風景です。
遠くに神威岬と、直立する神威岩を望める絶景ですが風が強い!
トンネルを見下ろす崖上の遊歩道が岬へ続いているのが見えますが、海沿いを歩いて急斜面を登ってゆく旧ルートの痕跡も確認できました。
現在の遊歩道ができるまでは、ここ念仏トンネルを通るのが岬に辿り着く唯一のルートでした。



そして、トンネルを出たすぐ近くには奇岩「立岩」がそびえ立っています。
崖の上から見たときは普通の岩だったのに、横から見たらこんなに薄かったんですね。
神威岬の古い土産物には、ここの風景をプリントしたものも見られるので、かつては積丹を代表する名所だったのでしょうね。
今では危険を冒した者しか見られない幻の絶景になってしまったのが残念です。


はるか遠くの遊歩道上から確認できたトンネル出口、大きく回り道をしてようやく目の前で見ることができて達成感でいっぱいです。
開通から100年近く経つにも関わらず、その姿をしっかり留めていることに驚きましたが、つまり岩盤がそれほど頑丈であることを物語っており、手掘りの作業は難航したことが想像できます。
高波の犠牲者を二度と出させまいという、工事に携わった地元民の強い願いが伝わってきました。


神威岬「念仏トンネル」探索
完。

※旧ルートは閉鎖されており落石の危険があるため、訪問は自己責任でお願いします。
コメント (4)
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積丹・神威岬「念仏トンネル」探索(前編)

2021-09-27 00:19:41 | ホルマリン漬け北海道 秘境編

神威岬「念仏トンネル」探索
(2021年8月訪問)



積丹半島北西部、積丹郡積丹町神岬町の日本海に向かった突端にある「神威岬」。「カムイ」とはアイヌ語で「神」を意味します。
高さ80メートルもの断崖絶壁が細く突き出し、積丹ブルーの海面と共に素晴らしい景色を作り出していますが、岬の沖は暗礁が多いため海難事故が多発し、古くから海難交通の難所として恐れられていました。
船に和人女性を乗せて岬を通ると海神の怒りを買い、船が遭難し漁業も不振となるという言い伝えがあったことから、1691(元禄4)年、岬は松前藩により女人禁制の場所とされました。
1855年(安政2年)に規制は解除されましたが、国道229号から岬へ向かう遊歩道の入り口には、今も「女人禁制の地・神威岬」の文字が掲げられています。

2021年8月末、実に13年ぶりに神威岬を訪れたのですが、残念ながら強風の影響により、入り口の門は閉鎖中でした……。
仕方がないので2008年訪問時の写真にてご紹介します。


雄大な地形に張り付くように、総延長700メートルほどの細い遊歩道(通称「チャレンカの道」)が延びています。
かなり高低差のある道なのがお分かり頂けると思います。


2~30分ほど歩くと岬の先端に到着します。
高さ41メートルの直立した岩礁「神威岩」が特徴的です。
伝説によると、かの源義経が奥州から日高地方へ逃れた際、アイヌ首長の娘・チャレンカと恋仲になったものの、義経は彼女を残してひとり大陸へ出航。
後を追ってこの岬までたどり着いたチャレンカでしたが真相を知って絶望し「婦女を載せた船がここを過ぐれば覆没せん」と叫び海に身投げしました。
彼女の怨念の化身こそが神威岩だ、との言い伝えもあり、岬一帯が女人禁制の地になった一因とも言われています。


くねくねと曲がりくねった遊歩道は崖のわずかに平らな部分を伝っていたり、途中が金網になっていたりで、見下ろすと足がすくむほど高く中々のスリルです。
断崖の上から岬を目指せるこの道が完成したのは平成4年ごろといい、それまでは国道わきの海岸から岩場を歩き、急斜面を登ってゆく約2時間を要するルートしかありませんでした。

そしてこの旧ルートには念仏トンネルと呼ばれる、大正初期に彫られた小さな手掘りの隧道がありました。

現遊歩道から念仏トンネルを望むことができます。

崖下のはるか彼方に、ポッカリと開けられた人工的な穴が確認できます。
現・遊歩道の途中に見晴らし台があり、トンネルの解説板もあるので、現在でも認知度はそれなりにあるかもしれません。
ただし、現在は旧ルート自体が崖崩れの危険性があり廃道となっており、トンネルも基本的には通行禁止のようです。

噂によると念仏トンネル、かなり不思議な構造をしており、それほど長くないトンネルにも関わらず光が全く入らず、通過するのが中々怖いのだとか。
そもそも、なぜ「念仏」なのか??心霊スポット的な噂もあれば、「通る時に念仏を唱えなくてはならない」といった話も聞く。


これは気になりますね……。
行くしかないではありませんか!!


2021年8月30日(月)午前7時。

現在の神威岬入り口から、余市方面へ車を走らせた道路沿いの某所。
旧ルートの入り口だった場所には、今も「神威岬入り口」と書かれた看板が名残として残っています。
ただし、道らしきものは消滅してしまったのか確認できず……。


広場になっている場所に車を停め、ここから本格的な探索です。
道中は崖沿いの波打ち際を歩くのですが、落石が多くかなり危険との事なので、ヘルメットを被って気を引き締める。また、多少の波にも耐えられるように長靴も履いていざ出発。いずれもこういった探索のために、車に常備してあるグッズだ。
……あっ、そういえば車買い換えました。スズキSX4セダンという珍車です。ばかデカいトランクがかなり重宝します。



ゴロゴロした岩場を、滑らないように気を付けながらひたすら進んでいきます。
本格的な秘境探検は同じ積丹半島、神恵内村西の河原(2016年)以来か?やや緊張しますね。
まだ朝が早いため、海には小さなボートに乗った漁師さんの姿がいくつか。勝手に歩いて怒られないか心配になりましたが、このまま探索を続けます。


岩場には、遊歩道の名残と思しきコンクリートの階段の残骸や、看板を打ち付けていたような木製の杭などが確認できました。
岩場を人工的にくりぬいたような窪み?は何なのかよく分からず……。


崖に沿って歩く道中には、真新しい落石の跡が……。
実は念仏トンネルの存在は10年以上前から知っており、ずっと探索したいと思っていたのですが、落石や波打ち際を歩くことなど、リスクがかなり高いことから中々挑戦できずにいました。
……無事に帰れるでしょうか?


足元が比較的安定した岩礁になり一安心するも、絶壁を回り込むと再び大きな石がゴロゴロ。
まだまだ先は長そうですね……。


歩いてきた道のりを振り返ってみます。
本日は晴天で波が全くないのが幸いですが、高波の日はかなり危険でしょうね。
ここまで、探索開始から20分ほど……。


後編へ続く。
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