消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

もく星号事故 『風の息』(松本清張) 画像追補あり

2018年08月25日 11時57分47秒 | 読書の楽しみ、読書の...
  操縦ミスか米軍機のミス銃撃か、はたまた…
 伊豆大島・三原山山腹から静岡県舞阪沖へ  
 意図的に日本側の目をそらさせた米軍情報


 このところ、伊豆に持ち込んだ書籍入り段ボールの整理を心がけている。⇒進捗していない、という意味です。
 そんなことをしていると、「ああ、こういう本があったな」という本に再会し、また読み始めるということがある。⇒従って進捗しない。

   
   新潮文庫・上中下 1978年版

 松本清張『風の息』もそのひとつ。昭和27年(1952年)4月9日朝に千葉県館山から伊豆大島を結ぶ空路で消息を絶った日本航空「もく星号」の墜落事故を題材とした作品です。この事故では、乗員乗客37人全員が亡くなっています。
 敗戦後の米国占領下、朝鮮戦争時の惨事で、正副操縦士がいずれも米国人だったというのも時代を反映しています。
 この飛行機は羽田発福岡行きで、館山上空から通過連絡が入ったのに大島上空からの通過連絡が入るべくして入らなかったのだから、館山-大島間で不測の事態に遭遇したに違いありません。ところが、米軍関係から「静岡県舞阪沖に着水、全員救助」などという誤報が流され、三原山噴火口の砂漠地帯で惨状が発見されたのは翌10日朝にずれ込んだのです。

 今から35年前の日本航空123便御巣鷹山墜落事故の際にも、事故当日の夜、かなり早い時刻に墜落場所が判明していたにもかかわらず、救助が始まったのは13時間後でした。「夜間で降下出来なかった」というのですが、「当時の各種装備の状態を勘案しても、訓練された救助班をおろすことは自衛隊、米軍ともに可能だった」とする有力な見解があります。
 これがさまざまな憶測を呼ぶ所以なのですが、時間の経過と共に誰もが納得できる真相というものは、失われていくようです。

 やはり、「闇から闇へ」を望む人びとがいるに違いありません。

   
   昭和27年4月12日付サン写真新聞掲載
     拡大できぬよう加工してあります。
 

 これもおかしい!
 自分が新記事をアップし、その直後に編集ページから「リアルタイム解析ページ」に入ると、アクセス数がただちに14とか16と表示されています。みなさんも、気が付かれていることと思います。
 これって、おかしいですよね!

 新記事がアップされるのを待ち望んで、アップされたらただちにアクセスするなんていうお方がいることはあり得ません!
 よそ人の御記事はともかく、おらの記事の場合は絶対にあり得ない!

 新記事をアップしたことに対する「ごほうび」「おまけ」なんでしょうけど…。

 うざくね! 鰻冊なら歓迎だけど。