消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

こんなの送信してきた人がいて…。身につまされましたわ

2021年01月29日 19時15分09秒 | へえー!
面白川柳です。頷ける事ばかりで笑えます🤣

♦️日帰りで 行って見たいな 天国へ
♦️延命は 不要と書いて 医者通い
♦️三時間 待って病名『加齢』です
♦️目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
♦️起きたけど 寝るまで特に 用もなし  ◎次席
♦️改札を 通れ ずよく見りゃ 診察券
♦️誕生日 ロウソク吹いて 立ちくらみ
♦️万歩計 半分以上 探し物
♦️この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず
♦️目には蚊を  耳にはセミを 飼っている
♦️留守電に『ゆっくりしゃべれ』と どなる父
♦️いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
♦️マイケルの 真似を発作と 間違われ
♦️名が出ない(あれ)(これ)(それ)で用を足す
♦️探し物 やっと探して 置き忘れ
♦️歳重ね もう食べられぬ 豆の数
♦️LED  使い切るまで  ない寿命
♦️クラス会 食後は薬の 説明会
♦️立ち上がり 用事忘れて また座る  ◎三席
♦️無農薬 こだわりながら 薬漬
♦️妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に
♦️眼薬を 差すのになぜか 口を開け
♦️少ないが 満額払う 散髪代
♦️景色より トイレが気になる 観光地
♦️厚化粧 笑う亭主は 薄毛症      ◎秀逸
♦️カード増え 暗証番号 裏に書き
♦️妻旅行 おれは入院 ねこホテル
♦️恋かなと 思っていたら 不整脈
♦️深刻は 情報漏れより 尿の漏れ
♦️へそくりの 場所を忘れて 妻に聞く
♦️これ大事 あれも大事と ゴミの部屋
♦️腰よりも 口につけたい 万歩計
♦️何回も 話したはずだが『初耳だ』
♦️婆さんよ 犬への愛を 少しくれ 
 
 

小田原駅の階段!

2020年07月21日 16時39分45秒 | へえー!

     小田原はにぎやかでした。

 小田原駅の発着メロディはなーんだ?

 眼鏡がどうも調子が悪いので、小田原の眼鏡屋さんに行きました。

 このへんでは、ちょっとした用事は、隣の県、神奈川県の小田原まで出向くことになります。でも、おらの場合は、ちょっとした用事はめったにありませんので、埼玉に戻ったときやその行き帰りで足り、小田原に電車で行くのは久しぶりでした。

 JR小田原駅ビル内のお店や東口地下街は平日でもけっこうにぎわっておりました。水産物は海近なので埼玉あたりと比べますと、さすがにー、という感じでした。東口を出てすぐ地下にもぐるエリアには、地元農協の出店があって、組合員が出荷した農産物が廉価で売られています。そうねえ、感じとしてはスーパーの2~3割安というところでしょうか。何も買いませんでしたが、枝豆の枝のままの大束480円は買いそうになりました。ひとりでは食べ切れそうもないので、やめておきましたが、残念!

 で、用事を終えて、下り電車で帰ろうと、商店街とはうってかわって閑散としたホームへ降りました。そうして、なにげにふりむくと、階段が、ばーんとこんな具合でしたよ。派手だね、こりゃあ、小田原提灯だあ。

    

 

 つうわけで、「えーさ、えーさ、えさほいさっさ、お猿のカゴ屋だ ほいさっさ、小田原提灯ぶら下げて」の発着メロディに送られて、帰ってまいりました。

 

 


しばらくでごぜえました!

2020年06月26日 10時34分41秒 | へえー!

       どうも、ごぶさたでした!

  こういうのが出来る時代なんですね

     ひばりさんの「あれから」

 ふと耳にしたメロディがいつまでも頭の中でなり続けて、困っちゃった、なんていう経験が皆様おありのことと思います。

 ここ数日のおらの脳内で繰り返し繰り返し再生されている曲は、美空ひばりさんの「あれから」(秋元康作詞、佐藤嘉風作曲)

   

 実は、おらとしては、1937年、昭和12年生まれの三人娘美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみといえば、うしろのふたりのほうを好ましいと思っていたので、ひばりさんのレコード、CDの類を手にするのは初めてのことだったんです。

 で、ちょっと話の横道。

 昔のカセットテープをダビングする必要があって、あちこち探したのですが、あるはずのカセットCDレコーダがどこにもない! CD部分が不調だったので、捨てたかもしれんなと腕組み。しょうがないので、リサイクル屋でカセットCDAM・FM付レコーダを買って、用を足しました。この手のレコーダはだいたいが、まずCD機能からパーになります。値段からして、また、断り書きからみても、CD機能は損なわれているものと思って買ったのです。

 しかし、1972年録音の親父の姉さん(1975年逝去)の話をダビングするという用が終わってみると、もうカセット部分は当面用済みとなりましたので、次はCD部分を試してみようと思ったのですが、CDがこれまたウチの中に1枚もない!

 やむを得ず、またまた山向こうの親戚方に出向いて、なんでもいいからCDを1枚貸してくれ、つうわけで借りてきたのが、この「あれから」だったのであります。

    

 話は戻りまして、借りてきたCDを再生させてみると、なんとばっちりOK、聞き覚えのある低めややハスキーなひばりさんの歌声が流れて来ました。ただ、歌詞を味わってみると、なんとなく妙な具合なんですわ。しかも…、さしはさまれている、なんつうのか、台詞つうのかがちょっと変!

   「お久しぶりです。あなたのことをずっと見ていましたよ。がんばりましたね!

    さあ、わたしの分まで、まだまだがんばって!」  というわけなんです。

 なんと、これは彼岸からのひばりさんのメッセージだったんですね!

 みなさんは知っていたことなんかも知れませんが、AIとかいうテクニックで、既に此岸にはいない人の声を合成できるんですな! いやはや驚きました、つうお話でした。

 それにしても、このCDって、買ったんかね? 買ったんでしょうね!

 


けっこう呆れてものも言えんわい!

2020年05月21日 08時10分16秒 | へえー!

  痒いところ”に手が届くような諸給付金

   泥棒に追いゼニどころじゃないわな

娑婆のほんまに痛いところに届いているのかどうか

 

コロナ給付の10万円、死刑囚にも 気になる受け取り方法は  5/21(木) 5:58配信  デイリー新潮

 427日時点で、住民基本台帳に記録されている者。これが特別定額給付金の受給資格である。もちろん、「津久井やまゆり園」で19人を殺害した植松聖死刑囚(30)も10万円を受け取ることができる。

 森雅子法務大臣が、「受刑者(死刑囚を含む)であっても受給の対象になる」と明らかにしたのは同月28日のこと。たとえば、現在、死刑囚は全国で約100人いるが、中には刑務所(あるいは拘置所)を住所にしている者もいる。どうやって受け取るのだろうか。法務省矯正局の担当者によると、 「その場合は一般の方と変わりません。区市役所などから矯正施設(刑務所など)に書類が送られ、振り込みの手続きをすることができます」  では、塀の外に住民票を置いている者はどうか。家族がいなければ、書類の受け取りは難しいはずだが、 「施設の中から自治体に手紙を出してもらいます。“いま施設にいる。どこそこに書類を送ってもらいたい”という内容です。するとそちらに申請書一式が届くようになっています」(同)  痒いところに手が届くような配慮である。意外なのは、一般市民では必須の身分証のコピーが必ずしも求められないことだ。刑務所が認めれば本人確認できたとみなされる。さらに、 「銀行口座がない人もいるので、特例として現金書留で送ることが認められています。現金は施設が預かりますが、もちろん送金したり施設の売店での買い物もできます」(同)  同省によると、2009年の定額給付金の際にも同様の手続きで行われており、今回もほぼ同じ。  片や全国にある給付金用のコールセンターには「手続きが煩雑すぎる」との問い合わせが殺到中だという。 「週刊新潮2020521日号 掲載

オリジナル記事はこちら  https://news.yahoo.co.jp/articles/2403b7ff880c750eee16831f9a39ce4b2b71e476

 


ウチでくつろいでる画像なんか投稿すんなよ!

2020年04月13日 16時22分31秒 | へえー!

 35万人以上が「いいね!」って言ったからって

   おかしいものはやっぱおかしいんだよね

死に物狂いで戦っている世界の人びとに失礼じゃないか

 まったく何を考えてんだか、この人は。夫婦ともどもの独特なる感覚つうか、言葉を失うよ、まったく。

 みなさんもびっくらこいているものと思います。

 国民に「家にいてくれ」って要請したからといって、てめえまでウチでくつろいで本を眺めたりワンコなんか抱っこしてる画像をツイッター投稿しなくてもええっつうの! やるべきことにもっとがんばってちょうだいな、まったく。

 それからさ、なんか文句が出てくると、人間の数字で勝負してくるんだよね、いつも、この人のサイドは。

 そう言えば、ABちゃんの祖父にあたる岸伸介は首相在任時、60年安保の国会包囲デモ、樺美智子さんが亡くなったあのデモ、についての感想を求められて、「後楽園球場にはもっと人がいるでしょ」って言い放ってるからねえ。

           

  

       

 

 


「男あまり」!  絶対数不足らしい! で、一妻多夫なんつう時代が!?

2019年12月18日 12時17分20秒 | へえー!

  男あまり、という時代なんだそうだよ

   男と女の未婚者絶対数が合わねえ

 ああだこうだと女を物色してる場合じゃねえな

 

 いま室温25度cです。日の当たる二階、窓を全部開け放って、この温度。でも、あしたは真冬並みとか!

 で、きょうは、林あまりという歌詠みの話ではなく、「男あまり」という深刻な現象が起きているというお話です。 

 荒川 和久さんという独身研究家・コラムニストの下記記事を読むと、もう、おらにはあまり関係ないけれど、あまりと言えばあまりに気の毒な話であるようです。きっとあなたもそう感じることでしょう。

⇒荒川氏【340万人が一生結婚できない? いま「未婚おじさん」が増えているワケ  世界で「男余り現象」が起きている】のオリジナル記事は、https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68893?_gl=1*f9l5m7*_ga*cHg2aDc5TmZ6c01wZWNITEtZN1htaGRpdlBfUW9FYWZqel9ZekRFaVlJX2hqdU5XV1BWbGQ0cXViVzFqOVlJQw

 日本で合計340万人もの男があぶれ!というのは机上の計算であり、結婚とはかなり関係が薄い年代も含まれている数字なのですが、とにかくとてつもない数の男たちがどうあがいても結婚できない、相手がいない、というのであります。

 15歳から100歳超までの未婚の男女の絶対数が相当食い違っているからなんだそうな! その数字の引用が出来ませんので、上記アドレスの同記事一覧表をご覧ください。 この集計を眺めると、確かに15歳から72、3歳まではずーっと未婚男の数が未婚女をかなり上回っているのがわかります。それがようやっと逆転して未婚女が未婚男の数を上回るのは、なんとも遅きに失するというか75歳あたりなんです。これは既婚、独身を問わず男がばんばん死んでいくからでしょうね。つまり、この数字を見る限り、嫁などいつでも来るわいなどとぽけーっとしていたり、顔がどうだ頭がなんだと選り好みしていると、独身男は75過ぎまで相手に恵まれねえかもしれんぞ、つうことのようです。

 こうなると、独身男、老いも若きもね、が巷にあふれ、彼らをターゲットにするマーケットゆうのは超ビッグになるかもしれんね。

 うーん、しっかし、この数字にはおらにも納得できる点がひとつ。⇒女あまりに逆転するあたりの世代から、結構引き合いがあるんだよね、おらんとこには!!(爆)

 

 

        おだやかな日々があれば、別にひとりでもかまわんちゃかまわんよな!          (画像はfrom free)

    

 

 

                       


すごいね! 是非、実用化を! 東芝ひさびさの「買い!」やね

2019年11月25日 14時04分28秒 | へえー!

血液1滴でがん13種99%検出 東芝、20年から実証試験

11/25(月) 0:00配信    

    

共同通信

 東芝は25日、1滴の血液から13種類のがんいずれかの有無を99%の精度で検出できる技術を開発し、2020年から実証試験を始めると発表した。東京医科大や国立がん研究センターとの共同研究に基づく成果で、数年以内の実用化を目指す。
【図表】国立がん研究センター「がんの10年生存率の推移」

 血液中に分泌される「マイクロRNA」と呼ばれる分子の種類や濃度を検査し、乳がんや膵臓がん、食道がん、胃がん大腸がんなど13種のがんについて、ごく初期の段階でも発見できる。実用化すれば、生存率が高まることが期待される。
 東芝はRNAを短時間で簡便に検出できるチップや小型機器の開発に成功した。2時間以内に結果が判明するという。


あの佐川一政氏の実弟インタビュー記事。なんで、また! 

2019年11月20日 10時20分51秒 | へえー!

  栗田工業・佐川元社長の息子たちの話

  なんでインタビューに応じたのかねえ?

7月に公開された映画の宣伝効果射程だったのか

 最近、別の記事を書いていて、肉という素材が似ているので「そう言えば…」と思い出したのですが、あの佐川一政氏の映画がことし7月に公開される前、彼の実弟のインタビュー記事がネットに出ました。それをおらは別の告発的ブログで紹介したのですが、当ブログに掲載しようと思っていて、すっかり忘れていました。いささか旧聞に過ぎるかねえ、とも思いますが、お時間のおありになる向きには、ヒマ潰しにご一読賜れば幸いです。

 いまごろになってあえら、じゃなくてあえてUPするのは、このインタビューには訂正加筆されるべきところがあるように思うからです。なお、この掲載形式にはクレームがつく可能性が高いので、著作権者から削除要請が来れば引用形式に書き改めるか、削除に応じる考えですので、関心がおありの方は早めにお読みください。

 実は2000年代の初めごろ、おらが勤めていた出版社のようなところに佐川一政氏の“持ち込み原稿”が郵送されてきました。転載記事下線部分のように生活苦があって、原稿料なり印税が目当てだったのでしょう。おらがその内容を審査したのですが、結果的に本にはならんと判断して“没”にしました。また、そのころ、阿川佐和子さんの著書の中に、彼女の著作のサイン会に一政氏があらわれ、サインを求める列に並んだのを見て肝をつぶしたというような経緯が書かれており、思わずニヤついた記憶があります。

 で、前述の訂正というか、実情とだいぶ乖離している箇所とでもいうか、そういうくだりですが、それは下の転載記事に太字と下線で示したところです。以下は、栗田工業のふたりの創業者・栗田春生氏、野崎貞雄氏のうち、野崎氏の著作をおらが担当して2011年に世に送った前後に栗田工業OBらから聴き取った話に基づくものです。

 一政氏の人肉事件の際、父親の当時栗田工業社長・佐川明氏が息子のためにひんぱんにフランスへ出向き、なかなか帰国しなかったケースもあったようです。それは下線部の「秘書を呼んで」という記述からも一部実情が窺えますが、旅費、滞在費、その他経費はすべて会社持ちであって、社内では大顰蹙をかっていたとのことでした。あたりまえですよね。

 また、記事にあるように明社長は結果的には退任するのですが、「息子のやったことは息子の責任であって、私の責任ではない。なにゆえ、社長を辞めねばならないのか」と、ある意味では正しい論拠を強硬に述べて退任すべきとの声を封じ、社長の座に居座っていたといいます。私見では、明氏の言い分はまったくもっともなものと思われますが、それならてめえのゼニと時間で全部まかなえば文句はなかったんだけどねえ、と思います。

 別に死者を鞭打つつもりもないですし、身内の言ってることですから、とは思いますが、ちょっとばかし、注釈をつけてみたいのがおらの性格なんでね、ひとつご容赦ください。それにしても、重病の床で「もう一度イチゴを喰いたい」とか「もういっぺん熱燗をぐっとやりたい」などと言うお方はいると思いますが、一政氏の言なのかどうか、下線については、何をか言わんや、ということでしょうな。

 記事中の「映画」とはこれです。  http://caniba-movie.com/

 

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パリ人肉事件・佐川一政を介護する弟が実名告白

  「バカな奴だけど、絶縁できなかった」   

   2019/5/23(木) 12:00配信 アエラ                    
【佐川一政氏の弟・純さんの画像あり】(撮影/西岡千史)

オリジナル記事は⇒https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190523-00000011-sasahi-soci&p=1

  ①パリに留学中の32歳の日本人男性が、恋心を抱いていたオランダ人女性を射殺、肉体の一部を食べた──。1981年に起きた前代未聞の「パリ人肉事件」は、世界を震撼させた。加害者の名は、佐川一政。女性の遺体を遺棄していたところで逮捕された 【入院中の佐川一政氏の最新写真あり】

   猟奇的な事件が発覚した直後から、家族のもとには報道陣が殺到した。その対応をしたのが、当時、大手広告会社に勤めていた弟の佐川純さん(68)だ。父は会社を辞めざるを得なくなり、純さん自身も一時休職に追い込まれた。  事件はこれだけで終わらなかった。佐川氏はフランスでの精神鑑定で、犯行時は「心神喪失状態だった」と診断され、不起訴処分となる。すでに日本で有名人となっていた彼は、帰国後に家族の反対を無視して執筆・講演活動を開始する。彼を好奇の目で見る世間とは裏腹に、家族は被害者への罪悪感とやるせなさを感じ続けた日々だった。  事件から38年。佐川氏の両親はすでに他界し、残された家族は佐川氏と純さんだけになった。その二人の今の暮らしを追ったフランスと米国合作ドキュメンタリー映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』(監督/ルーシァン・キャステーヌ=テイラー、ヴェレナ・パラヴェル)が、7月12日から全国公開される。佐川氏と純さんは、この長い時間をどのように生きてきたのか。そして、純さんは今、兄のことをどう思っているのか。 

 * * *  何かさしたる特徴もない、平凡な一日だった。1981年6月11日、純さん(当時30歳)は父と母と一緒に夕食をとったあと、将棋を指していた。18時半を過ぎたころ、神戸に住んでいる祖母から電話がかかってきた。その話は耳を疑うものだった。 「いま、ニュース見てる? 佐川一政という人がパリで誰かを殺したみたいだけど……」  テレビを付けると、祖母の話した内容が報道されていた。驚く両親。衝撃的なニュースに、母は「これはウソだ」と言い続けた。我が子が人を殺すなんて、信じられるはずはない。ただ、純さんだけは違ったことが頭をよぎった。

 ②「実は事件が起きる7年前、兄は都内でドイツ人女性の家に侵入して、襲おうとしたことがあったんです。この時は未遂に終わって、父がお金を払って示談が成立したので事件にはなりませんでした。この時の記憶があったので、『またやったな』と思いました」(純さん)  ほどなくして、自宅にはマスコミからの電話が殺到する。父は当時、ある大企業の社長をつとめていた。そのこともまた、世間の関心を誘うことになった。  一方、大手広告会社に勤務していた純さんは、企業などが不祥事を起こしたときの対応マニュアルを理解していた。個別に取材対応をすれば、記者から際限なく質問が飛んでくる。そこで、自宅のリビングに記者を集め、緊急の記者会見を開くことにした。 「たしか、二十数人の記者が集まって父が対応しました。その間、私は母に『大丈夫だよ』となぐさめてました。記者がいなくなった後、父は秘書を呼んでパリ行きの航空券を手配して現地に向かい、母と私は、福岡に住んでいた知り合いの家に逃げました。その後のことは、実はよく覚えていません。テレビも見ていませんでしたから」(同)  1カ月ほど経過したころ、父がパリから帰国した。その姿を見て、純さんは驚いた。食べるのも飲むのも大好きで、恰幅の良い体格だった父がやせ細っていたからだ。世間を騒がせた責任をとって、父は社長を辞任。会社を去った。純さんも、2カ月ほど休職せざるをえなかった。心労も影響したのだろう、翌冬、父は脳梗塞で倒れた。  不幸中の幸いだったのが、純さんは会社を辞めなくてすんだことだ。むしろ、同僚たちは純さんの社会復帰を支えてくれた。 「勤務先が広告会社でメディアに知り合いが多いから、なかには兄のことが記事に出ないよう、雑誌に言ってくれた人もいたそうです。広告担当が編集に意見を言うことは御法度で、実際に記事を止めることはできなかったと思いますが。復帰した時には歓迎会も開いてくれました」(同)

 パリ人肉事件をめぐっては、ザ・ローリング・ストーンズが佐川氏を題材にして曲を作り、劇作家の唐十郎が『佐川君からの手紙』と題した小説を書いて芥川賞を受賞するなど、世界に影響を与えていた。それにしてもなぜ、佐川氏は女性を“食べる”ことに喜びを感じるようになったのか。そのことを知るには、生い立ちを振り返る必要がある。  佐川氏は1949年4月26日、神戸市で生まれた。出産時は未熟児で、小さい頃は病気がち。家族からは「いつ死んでもおかしくない」と思われていたという。純さんは兄の誕生から約1年後の1950年に生まれた。子どものころから兄より体が大きく、そこで両親は、二人を兄弟ではなく双子のように育てた。  兄弟の幼年時代を撮影した映像は、いまでも残されている。1950年代に家族用の撮影機材を持っていたことから、佐川家がいかに裕福な家庭であったかがわかる。男同士だからケンカもしたが、仲は良かった。  ただ、体の弱かった兄は、家で本を読みふけることを好んだ。両親は、そんな兄の性格に合わせるよう、純さんにも外で遊ぶことよりも家の中にいることを求めた。 「兄の性格は家庭環境の影響はあったと思います。兄は否定しますが、体が小さくて頭が大きいという見た目で、私に対する劣等感もあっただろうと思います。今さら言ってもしょうがないことですが……。家は過保護なところもありました。家庭では性的なことについて厳しくて、兄が漫画で女の人の裸を書いたりすると、ものすごく怒られました」  そのような環境で、佐川氏はいつしか「人を食べること」に興味を持つようになった。  話を事件後に戻そう。前述のとおり、フランスで逮捕された佐川氏は、精神鑑定で不起訴処分となった。84年に日本に帰国して都内の精神科病院に入院したが、そこも約1年で退院した。  佐川氏はすでに、日本国内で「人肉を食べた男」として有名になっていた。退院後には執筆活動を開始し、自らの猟奇的犯罪の経験を語り、講演やトークショーにも呼ばれた。そこで得た金で、外国人女性と海外旅行に出かけた。アダルトビデオに男優として出演したこともある。人肉を食べた男の素性に、多くの日本人が興味を持ったのだ。その間、家族は複雑な気持ちだった。  

 「私としては『いい加減にしろ』という気持ちでした。被害者に申し訳ないですから。何度も執筆や講演活動をやめるように言ったことがあります。父親は、書店に行って並んでいる本の帯を、片っ端からはがしてきたこともあった。それでも、兄はやめようとしませんでした」  佐川氏を好奇の目でみるのではなく、出版物などを通じて精神的な影響を受けた人もいる。神戸連続児童殺傷事件(1997年)の加害者である「少年A」だ。少年Aは2015年、事件の経緯を含んだ自らの手記『絶歌』(太田出版)を発表。本の中で、「殺人作家」として活動する佐川氏に、嫉妬や羨望を抱いていたことを告白している。  ただ、「佐川一政ブーム」は長くは続かなかった。2000年代に入ってからは仕事がほとんど途絶え、一時は生活保護で暮らしていたという。佐川氏と口論しながらも暮らしを支えていた父と母は、2005年に相次いでこの世を去った。なお、インターネットでは、父の死の直後に母が自殺したことになっているが、「そのような事実はない」と純さんは証言している。  両親が死去したことで、遺産となった実家を売却し、佐川氏の暮らしは改善した。兄弟で細々と年金生活を続けていたところ、2013年に佐川氏が脳梗塞で倒れた。からだが不自由になった佐川氏を、純さんが介護することになる。 「兄の住むアパートに私が通い、面倒をみていました。それが昨年6月、弁当をのどに詰まらせてしまったんです。誤嚥(ごえん)性肺炎になって、自分で食べ物が食べられなってしまって、胃ろうにせざるをえなくなりました」(純さん)  胃ろうは、おなかに小さな穴を開け、チューブで胃に直接栄養を送り込む方法だ。それまでは歩くこともできたが、現在は神奈川県内の病院で寝たきりの生活が続いている。  それでも純さんは、今でも2日に1回は佐川氏に会うため病院に通っている。 「今は会話も難しくなっていますが、病室に行くと私の手をずっと握ってくるんですよ」

 加害者の家族として、純さんはいろんな迷惑を受けてきたはずだ。そんな話も、今ではあっけらかんと話す。 「2000年代に入ってからでしょうか。私は趣味でオーケストラのチェロを演奏していたのですが、ある日、ハードケースに入れて部屋に置いていたら、なくなっていました。100万円ぐらいするものだったんですが、兄が売ってしまったんですね。警察も呼んだのですが『犯人はお兄さんではないですか』なんて言われてしまって」(純さん)  兄の行動をめぐっては、父も純さんも批判することが多かった。それでも、家族は最後まで佐川氏を見捨てることができなかった。 「バカな奴だと思っていましたが、両親も、子どもに絶縁を迫るような性格ではなかったんでしょうね。ケンカもしていましたけど、年末年始なんかは家族4人で集まっていました」  佐川氏と同じく、純さんも一度も結婚をしたことがない。そのため、両親が亡くなってからは、お互いが唯一の肉親となった。世界を震撼させた猟奇的殺人者を介護していることについて、純さんは「こういう風になってみないと、わからないでしょうね」と言う。というのも、佐川氏が脳梗塞で倒れた時、純さんの心にある変化があったからだ。 「胃ろうで、兄もいつ死ぬかわからなくなって、『かわいそうだな』と思ったんですよね。兄弟愛っていうんでしょうか。昔はとても仲の良かったですから、ようやくその頃に戻れた気がします。いろんなことがありましたけど、今では、わだかまりはまったくないです。むしろ、もっと一生懸命に介護しなきゃいけないなと」  ちなみに、佐川氏は胃ろうとなった今でも女性を“食べたい”という願望を持っているそうだ。純さんは、そんな兄のことを「まったく理解できない」と笑う。  最後に、寝たきりとなった兄の存在を今、どう思っているかをたずねてみたすると純さんは、「うーん……」と少し考えこんで、こう言った。 「いつまでも死んでほしくないですね。そう思います」  双子のように育てられた二人の物語は、まもなく最終章を迎えようとしている。AERA dot.編集部・西岡千史


「エリカ逮捕」で「エリカの花」記事にアクセス殺到!

2019年11月17日 07時52分20秒 | へえー!

  おらはエリカ違いで苦笑の朝

 エリカちゃんは苦渋の朝やろね

       Photo by manmma ©2016    

 今朝、パソコンを立ち上げてびっくり!

 沢尻エリカちゃん逮捕で、世俗の方々がなんかのネット検索をすると、おらの過去記事「エリカの花って、どんな花!」が出てくるらしくて、アクセスが殺到していました。ヒマなお方が多いってことですなあ。

 呆れた!

  https://blog.goo.ne.jp/izu92free44/e/b8145a4a839aef5808155abf8f612c21


日下部窯に火入れ中の登り窯を見に行く!伊東・川奈

2019年11月10日 15時30分54秒 | へえー!

     数少なくなった登り窯・日下部窯

     火を絶やさずに3日3晩見守る

    松の薪は2年前からこつこつ準備

 JR熱海駅前、平和通りのそば屋で『熱海新聞』ゆう地場のミニコミ紙を眺めていましたら、「3年ぶり登り窯に火」「あすから公開」つう記事が目につきました。画像や写真では見たことがありますが、ホンモノの登り窯は見たことがないので、きのう9日、川奈の日下部窯にお邪魔しました。

      

 登り窯は上り勾配の室内にしつらえてあり、長さは十数メートルはありそうでした。窯のまわりは階段状になっていて、人が物を運んだり歩き回れるようになっています。

 この度は、11月8日に火入れし、9日、きょう10日と3日3晩、松の薪をくべ続けて火を絶やさないようにするとのことでした。窯の温度は最高では1300度にも達するというのですから、室内はこの季節でも「暑い」という感じでした。缶の麦ジュースなどで水分を補給しているように見受けられましたね。

 裏山の大木を伐り倒して準備してきた松の薪を火炉にくべるのは、主の日下部義高氏はもちろん、お身内やお弟子さん、近所の人やらが交代で担当しているとのことでした。日下部氏は陶芸界ではよく知られたお方ということです。下の画像の鉢巻姿の方はことし初めて薪くべのお役を担うという近所の方で、「温度を保つのが難しいとのことです。先生はまる3日、寝ないで窯を守ると聞いています」と話していました。

  

 

  こちら側にも同じように薪の投入口がある。ぼけ画像ですが、タオル頭が日下部氏

 

    

  登り窯の焼き物が収まっている部分。上に2か所の空気穴があって火が吹き出ている。


ヒマ人向けだす。赤い灯を頭にのっけた馬なんてホンマにいたんけ?

2019年10月24日 10時28分59秒 | へえー!

 パトカーの屋根にくっついている赤色回転灯じゃあるまいし!ねえ! 

 amazonのプライム会員なら無料、という映画サイトで、米国テレビの連続俗悪ドラマ『ウォーキング・デッド』の10集が始まりました。9集までただで見てきたので、初めはびっくらこいていたゾンビを数限りなくぶっ殺すシーンにも、すっかり慣れてしまっているのです。

 で、この10月から始まったらしい新10集に行ってみましたら、第3話がupされたところで、例によってまだ有料! 1、2話は各100円、3話からは200円というわけだ。別にゼニを払ってまで見る気もせんのよ。1年ばかり待っていればただになるからねえ。

 ところが、U-NEXTという映画サイト、これは昔の「ユーセン(有線)」という会社らしい、ではただで見せているという案内が出ていました。しかし、有料登録をすれば、というわけで、そうそう甘くないわけです。ここでもう1回、ところが、なんですが、「無料で31日間、お試し」つうのをやってるんですわ!

 また、「500円で1か月分、しばりなし、和麹」、の類かと思いましたが、「31日間はいつにても解約自由」といううたい文句は間違いないらしいので、お試し登録をしてみました。んで、昨晩、時々咳き込みながら、かつ一方で有料モノをただで見ていることにほくそ笑みつつ、3話まで見たところです。さもしいねえ。⇒U-NEXTの無料お試しが終わったあとの続きは、来年の今頃になるか、amazonで見ようと思っていますけど、見始まっちゃったあと途中でやめられるもんかどうか、自分ながらどんなふうに転んでゆくものか???

 えーと、なんで、こんなことを書いているのかよくわからないのですが、ああそうだ、なんとなく話は飛んじゃうのですが、amazon無料映画でテレビ朝日の昼ドラマだったらしい『やすらぎの郷』つう百何十回連続というのをやっておりまして、そこには古ーい男女の役者が出ているんですねえ。15分、実質12分程度の話です。石坂浩二、八千草薫、風吹ジュン、浅岡ルリ子、加賀まりこ、亡千葉ちゃんの女房だったあの方ああ、野際さん、ミッキーカーチス、五月みどり、冨士真奈美とかね。この、まっこと爺婆の連中が豪華無料老人ホームにいるっつう設定なんです。伊東の川奈ホテルがメインのロケ地でね。そこに、だれだかわからん爺が出ているんですよ。よーくキャスト表示を見たら、「山本圭」らしいんですね、学の弟だか兄貴だかの。

 んで、これがあるシーンで、「ダイギョショですよねえ」とやったわけよ。だいぎょしょ、ダイギョショ! リプレイしても、確かにそう言ってる。うーん、前後を考えあわせると、どうも「大御所」らしいんですよね、これがぁ。「ダイギョショとはおらのことかと家康もびっくり」でしょ。いろいろ調べても、「ダイギョショ」という読みはないようです。言葉についての思い込みや間違いは誰でも20や30はあると思いますけど、リハ本番ふくめて監督とかまわりの役者とか、制作のほうの人間も全然気がつかなかったんだんべか。

 で、思い出したのが、はるかに過ぎ去った学生時代のひとこま。学校中を牛耳っていた□○派という政治党派の学生が語学クラスなどを回って、おらたちふつうの学生にああだこうだと話しかけてはオルグる(仲間に引き入れようとする)ことがしばしばありました。

 ある日の、ひとりの□○派学生の言、「われわれはだな、シューアクなコッカケンリョクのカクサクをボウロしてだな…」

 おらの頭の中では、カタカナ部分は順次漢字に変換されてゆくのですが、ボウロがどうしても出てこない!お菓子の類に確か「ボーロ」というのがあったよなあ、とかね。んで、いろいろ考えて、最終的に変換されたのは、「暴露」でありました。

 実は、本日の記事はここからが本題なのであります。書き終わってみたら、どういうつながりなのかさっぱり分からないのですが、連想とはそういったものなんです、とでも言っておこう。

 「走馬灯」の画像が必要で、あれこれ検索していたんです。そしたら、「ぎょえっ!」というyahoo知恵袋の記事が目につきました。

  https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413863269?__ysp=6LWw6aas54Gv

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ベストアンサーに選ばれた回答

kak********さん 2007/12/1512:29:28

走馬灯とは、明治時代初期に官吏が乗っていた、頭に赤い電灯を載せた馬のことだそうです。
人斬り等重大犯罪があると、その場に凄い勢いで走馬灯を駆って官吏が現れたので、壮絶な勢いで記憶が流れていくことをこのように表現するようです。

・質問した人からのコメント  2007/12/15 15:45:59

これだけ詳しく説明していただいて、辞書より分かりやすかったです。有難うございます。

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 うーん、どこを調べても、こんな「走馬灯」(回り燈篭のこと)はないのです。

 あったとしても、所論のように「馬」をさす単語なら、けつが「灯」ではおかしいわな。「赤灯馬」とか「頭灯馬」とかね。

 yahooのおことわりには、「Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。」とあるんだけど、どんなもんだべか。

 博学の向きには、是非、ご教示願いたいものです。