消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

小紋潤特集号の刊行。『心の花』3月号

2017年03月14日 09時04分48秒 | 小紋潤さんのこと
 昨夜、小紋潤歌集『蜜の大地』を特集した竹柏会『心の花』1421号(佐佐木幸綱編集発行)が長崎から届きました。

 ところが、あるはずの老眼鏡がどこにも見当たらず、読めません。
 きょうあすのうちに山を下り、どこぞで老眼鏡を入手のうえ、追って関連記事を追掲載いたします。

   
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読売朝刊2面「四季」に掲載された小紋潤の歌十首、10首のアップ完了です!

2016年10月14日 19時26分40秒 | 小紋潤さんのこと
   ありがたい切り抜き届く!感謝!

 読売朝刊2面「四季」に掲載された小紋潤の歌十首をちびちびとアップしてきましたが、いま、掲載完了しました。
  掲載歌10首はこちら

 で、「横浜-広島」(現在2-0、よし、このまま行け!)のラジオをイヤホーンで聞きながら散歩に出ようとしたら、珍しく封書が郵便受けに届いているではありませんか!
 開けてみると、長年のこころやすい友人からで、掲載10首の切抜きをわざわざ送ってくれたのでした。

   

 このダチは、若い時代に、角川『短歌』編集部にいたことがあり、この度の便りには、小紋を(お互い)若き日に知っていた、新進気鋭の歌詠みだったな、といったことが書かれていました。ほんとにありがたい! クンちゃんの掲載歌アップのちんたらさからみて、きっと新聞も買えないのだなとその境遇を慮って送ってくれたのだと思います。ありがとう!ありがとう!(クンちゃんの知り合いで、新聞などとっているカネモチはこの人ぐらいですよ!)

 心づくしの切り抜きをスキャンするとかして、いずれ鮮明な画像を「引用」の形で差し替えたいと思います。
 そのうち刊行される読売「縮刷版」から取ろうかとも思っていましたが、縮刷版はモノクロ、掲載記事はカラー写真が入っており、どんなもんかなと思っておりました。(横浜-広島戦は3-0で横浜の勝ち。いっちょぐらい勝たんとな!)
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6首追加

2016年10月11日 23時31分01秒 | 小紋潤さんのこと

 「読売朝刊2面「四季」に掲載された小紋潤の歌十首」に6首追加いたしました。あと1首です。

  追加ページはこちら

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読売朝刊2面「四季」に掲載された小紋潤の歌十首

2016年10月05日 00時01分34秒 | 小紋潤さんのこと
   読売朝刊「四季」が取りあげた小紋潤の歌
                 選・評 長谷川 櫂


 
 きょう4日、熱海の病院に行ったあと、珈琲屋に入り、注文をして、新聞棚を見ると、ない。
 ねえさんに聞くと、「うちは静岡と朝日、それに毎日と産経スポーツ、日刊スポーツです!」という。
 ふーん、じゃ、珈琲はやめて、と思ったけど、見るともう出てきてて、しょうがないのでまずそれを飲みました。しかるのち、某所に立ち寄って読売新聞を買わないで手にしました。

 二面左下の「四季」定位置に小紋潤がいました。いた、いた!

 用意周到ではなく、「がら携」しか持っていなかったのですが、
「ここんとこなんやけど、撮影してええかい?」
と受付のOBaさまに尋ねますと、
「きょうのはダメです。バックナンバーはええですよ。」

 なんできょうのはダメなんや、と喉まで出かかったのですが、もうすっかりおとなしくなっているクンちゃんにつき、というか、この先も続きがあって(なんせ10回なんで)どうせきょうだけでは用が足りんことはわかっていましたので、おとなしく3回分を撮影してきました。

 「がら携」の画像で、不鮮明ですが、いずれ差し替えたいと思います。
 後続のあと7回分も、このページに順次アップいたします。(追記・10月11日6首追加、同14日完了)
 (この画像掲載方法は無断転載にあたりますので、追って引用の形に仕立てたいと思いますが、
  その前にクレームが来れば画像はただちに削除します。文中のルビはやむを得ず、( )書きにしました。)



    2016.10,1

   銀河系、その創(はじ)まりを思ふときわが十代の孤(ひと)り晶(すず)しも

 傑出した歌の才能を持ちながら歌集をもたなかった。七十歳近くなるまで。思うところがあったのだろう。小紋潤、その人の歌集『蜜の大地』が出版された。十代の自分を、孤独で澄み切った銀河宇宙の誕生になぞらえる。十首をたどる。   


    2016.10.2

   ある時は恍惚(こうこつ)とせり滅びゆくものみな美(は)しく、地球よ滅べ

 戦争やテロ、汚染や温暖化を前にして地球は滅ぶのではと案じる人は多い。それを逆転させて「地球よ滅べ」と命じるのは若者だけの特権ではないだろうか。この歌から歳月をへて、今の思いを問うてみたい。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.3

   夏雲の矜恃こそよけれ わたなかに一つ大きく湧く力あり

「矜恃」(きょうじ)は自信に満ち、胸を張って立っている状態。海上に湧き上がる積乱雲にその矜恃を見ているのだ。興味深いのはその心。雲の力を自分のものにしたいというのか、手の届かぬものとして眩(まぶ)しがっているのか。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.4

   「小紋君酔つてゐるね」と言はれしが酔つてゐる身が可愛(かわ)いかりけり

 小紋潤は酒を愛する人である。その点でも歌の師匠とした佐佐木幸綱の血脈を引く人である。この歌などは酩酊(めいてい)の境地をよく言いえているのだろう。酔っている自分をそれより少し覚めている自分が愛(いと)しんでいる。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.5

   鰯雲空にあまねし大楡(おおにれ)の翳(かげ)に憩ひてわれは一人か

 大空を流れる鰯雲(いわしぐも)のような漂泊感はどこからくるか。おそらく最後の「か」の一字から生まれるのだろう。もし「一人なり」なら「われ」は安定する。不安定な「か」によって「われ」も鰯雲とともに流れはじめる。歌集『蜜の大地』から。


 西山を守る会の活動」というブログの、昨日、10月6日付の記事に、
 《今朝の読売新聞「四季」は、〈人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケルを思ふことあり〉でした。
 ストークリー・カーマイケルはアメリカの黒人運動家。過激組織ブラック・パンサーの党首だったこともある、と。」》とありました。    
 http://blog.goo.ne.jp/nishiyamawomamorukai/e/c70518fd5459e6df3b46f0440099d495



    2016.10.6

   人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケルを思ふことあり

 ストークリー・カーマイケル。アメリカの黒人運動家。過激組織ブラック・パンサーの党首だったこともある。平穏な人生を送る人が別の人生もあったかもしれないと思う。誰の人生にももう一つの人生が眠っている。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.7

   傘いだき出(い)で立つあした日常はこばみがたきまで眼前にあり

 朝、家を出て仕事にゆき、夜、帰宅する。このような日常があるからこそ人は迷うことなく生きてゆける。ところが、ときに日常が束縛として迫ってくることがある。これにどう対処するか。逃げ出すか、耐えるか。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.8

   思ひあふれて金砂銀砂をふりこぼすゆたかなるかな秋の真昼間

 秋の賛歌である。「金砂銀砂」以下は実り豊かな秋の描写のようでもあるが、これに「思ひあふれて」がかぶさると、外界と心の世界が通い合う。美しい秋が金銀を撒(ま)き散らしながら心の中からあふれ出たかのよう。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.9

   うつむきてひとはねむれりうつむきてねむるひとときひとはつつまし

 窓辺の明るい光の中でまどろむ人。誰であろうと構わないのだが、愛する人(あるいは愛した人?)と思いたい。「うつむく」という何気ない姿のもたらす限りない幸福感。あまりにも幸せで光に消えてしまいそうだ。歌集『蜜の大地』から。


   2016.10.10

   玲瓏(れいろう)と夢に丹頂白かりき 檻(おり)に高鳴く二つのつがひ

 鶴はめでたい鳥だが、祈りの象徴でもある。凍るような夜明け、長い嘴(くちばし)を天に向けて鳴くその鳥に、業苦にあえぐ人間の祈りの姿が重なる。歌集に忽然(こつぜん)と現れる二羽の丹頂。歌人のどのような思いの化身だろうか。歌集『蜜の大地』から。



   【クンちゃんメモ】
   
   *第6首人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケルを思ふことあり
    の評は、まったく見当違い、の感あり。
    ただし、評者は1954年生まれで、平穏に戻った学園に入学した世代である。
    平和な日常に埋没せざるを得なかった“全共闘残党”の心持ちを推測せよと求むることは
    酷に過ぎよう。やむを得まい。   
    われわれ戦後世代が、敗戦後の特攻生き残りの心情を慮って、なお至らざるごとく。

   *第10首玲瓏と夢に丹頂白かりき檻に高鳴く二つのつがひ
    ふたつのつがい、とは「二羽の丹頂」なのか。
    つがいは♂♀一対であるから、四羽とも思えるが、ここでは二羽であるべきだろう。
    そうすると、しろうとにはわからないが、「の」は強調、意味合いを強める「の」
    なのかも知れんが、よくわからん!
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朗報・読売「四季」に小紋潤の歌十首

2016年10月03日 07時40分30秒 | 小紋潤さんのこと
 朗報
 読売新聞朝刊2面左下に、長谷川櫂さんが毎日、短歌や俳句を一首(句)ずつ選んで評する「四季」という二段囲みがあります。

 伊豆クンブログに過去記事を掲載している歌人小紋潤の歌が、いま四季でとりあげられているという早馬が到着しました。
 クンちゃん山荘は新聞など届かない山の中につき、私自身はまだ、目にしていませんが、すべて歌集『蜜の大地』所収の歌と思われます。
 今月1日からなんと10回連続掲載という破格の扱いであるとのことです!
 
 当ブログでもいずれまとめて紹介しますが、読売新聞が身近にあるお方は是非お読みになってください。

 ネット上になんか掲載されていないかな、と検索してみたら…。
 この連載は1年ごとにまとめて中央公論新社から新書で出されているので、公開は無しのようです。しっかりしてるわな!
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小紋潤の喰ろうた夕めし

2016年09月30日 14時26分00秒 | 小紋潤さんのこと
過去記事2016-08-24
19:49:01
    ある日の夕食、
   小紋潤の喰ろうた献立はこれだ!


 前報にうっかり「詳細確認中」と書きましたので、なんか追加原稿をアップしなければならなくなりました。ところが、唯一の地元筋と連絡がとれません。

 そこでやむを得ず、きょうの昼下がり、先方がやや手すきと思われる時間帯に、西彼メディカルセンターというところに電話してみました。以下、要旨。

ク  ン 「あっ、どうも、三階の小紋の知り合いでクンと申しますが、ちょっとつかぬことをお尋ねします。
     最近、あん人はベッドで点滴じゃなくて、食堂に行ってめしを喰ろうておるように聞きよりますが」

先方女史 「ああ、小紋さんね、あん人は車椅子でね、食堂においでなさって、食べておられますよ、はい。
     一週間ぐらい前からのようですよ」

ク  ン 「はあ、そうですか。食い物が喉を通るんじゃ、なんかうまかもんば送ってやろか思うちょりますが、
     どんなもんがええでしょうか」

先方女史 「それはねえ、好みもあるし、なんとも言われませんが…」

ク  ン 「そちらでは、どんなもんを喰ろうておるんでしょうか」」

先方女史 「うーん、そりゃあ、いろいろですよ…」

ク  ン 「ちなみにきのうの夕食はどんなメニューでしたかねえ?」

先方女史 「そんなんわかりませんよ、ここでは!食堂じゃないんだから」

ク  ン 「いやいや、その机のところに献立表が貼ってあるでしょ、それを読んでくりゃあ、ええですよ…」

先方女史 「あれま、ほんまに。えーと、いいですか、きのうの夜ね、
     ご飯、かぼちゃの味噌汁、白身魚のソティ大根おろし添え、和え物、デザートはパイナップル。
     小紋さんはご飯じゃなくて、お粥でしょうね。それから、自前で梅干なんか持ってくる方は多いですよ」

ク  ン 「なーるほど、なるほど、よーくわかりました。じゃあ、ちょっと考えてみますわ。
     どうも、いろいろありがとうございました!」

       (後略)

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小紋潤、座ってめしを食う!

2016年09月30日 14時25分19秒 | 小紋潤さんのこと
過去記事
2016-08-23
10:57:08

           小紋潤、起き上がる!!
     食卓にてめしを喰らう!!


  

 大荒れの台風9号が過ぎ去った昨夕、クンちゃん宛着信した長崎通信によりますと、「かねて当メディカルセンターにて静養中の小紋潤さんは、このところ回復めざましく、食卓についてお食事ができるようになりました云々」ということです。
 ながらく立ち上がることに困難を覚えていたという小紋潤ですが、
 ながらみ書房刊が奏功したか!? 詳細確認中です。



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小紋潤歌集『蜜の大地』刊行さる!

2016年09月30日 14時24分01秒 | 小紋潤さんのこと
過去記事
2016-08-05
09:25:00
     小紋潤歌集『蜜の大地』刊行、
      珠玉の420首を収録!


      
     手許にカメラがありませんで、ガラ携の粗雑な画像にて、まことに申し訳ありません。いずれ差し替えます。
          『蜜の大地』は、ながらみ書房(Tel 03-3234-2926)刊。四六判上製196頁、定価2500円+税


 熊本震災直前のこの4月、旧友小紋潤と長崎で35年ぶりに再会したことは、先に当クンちゃんブログでお伝えいたしました。

  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/32af27eee5663141425ae69b7ae6be65
  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/ee8131c841624f2943e0cedddbfca72f
  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/7863973925893abb9564f65f6ad7e5c9?

 
 その折、近々、小紋の歌集が出ると聞き、心待ちにしていたところ、あちらこちらを経由して、このたび伊豆の山奥まで刊本が届きました。
 さっそく手に取ると、まさに小紋の人柄が反映された、とても凝ったつくりの装丁(高麗隆彦氏)となっていて、思わず顔がほころんだことでした。
 佐佐木幸綱先生の「そこに小紋潤その人がいる」との帯文が載る腰巻(画像左)をはずすと、ハチと蜂の巣をあしらったと見受けるカバー(右)があらわれ、「蜜の大地」にまことにふさわしい絵柄となっています。また、ページを開くと、見返しと本とびらを横断したスペースに見開きでやはり大きな挿絵が入っており(下の画像)、40年ばかり本づくりの周辺をうろついているクンちゃんもすっかり圧倒されてしまいました。

   

 かねてお邪魔させていただいている佐佐木幸綱先生のブログ「ほろ酔い日記」に何かアップされているのでは、とアクセスしてみると、見本あがりの段階で速報が載っていました。

    http://blog.goo.ne.jp/yukitsuna/e/06df41381e8f1391caa3e39785494a6f

 幸綱先生のブログには、「なかなか自分の歌集を出さない小紋潤に、なんとか歌集を出して欲しいということで」という記述がみられ、どうも初めての歌集のようです。そうだとすると、先にクンちゃんブログに書いてしまったエピソード、35年前に小紋の荻窪のねぐらで目覚めた二日酔いの朝、小紋から「2、3冊持っていけや」と勧められ、クンちゃんが固辞した場面でうずたかく積み上げられていた歌集とおぼしき本はいったいなんだったんだろうか、と腕を組んでいます。詩集か小説か、そういった類のものか? もらわんでよかったのか、もらっときゃよかったのか?!
 まあ、それはそれとして、ブログ主*註1がどなたなのか存じ上げませんが、「暦日夕焼け通信-短歌な日々」というブログにも関連記事がありました。
 
    http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8862.html


 というわけで、“中身を除いて”あらましをご紹介しました。

 で、肝心の掲載歌ですが、短歌の門外漢のそのまた外に位置するどしろうとにつき、これがなんともコメントできないのです。
 しかし、読み通してみて、心に残った10首を以下に掲げておきます。これは、「馬場昭徳選」とか「谷岡亜紀選」などという著名な歌人が選ぶものとはまったく異なるものですが、対象のすばらしさに免じてお赦しいただきたいと思います。


     一途なる思ひを持ちて郁子(むべ)の咲く五月の丘に一人遊びき(濫觴期)

    *叶はざりしことのみ多し万緑の彼方に若き白雲湧きぬ(万緑)

    *夢に見ればかく美しき故郷の秋澄む風もわが父母も(秋澄む風)

     くり返し繰り返される空の火のやうやく我に返る沈黙(花火)

    *仰ぎ見れば天上を群れ泳ぎゆく鰯雲ありて多摩は秋なり(銀杏)

     草の茂る小道を通り夕焼けの向かうにいつかゆかうと思ふ(ブリキの兵士)

    *いきどほるべきこの世の秋(とき)にあらざらんのちを思へば宴のごとし(父母の家)

     暑き日のうつろひのなか君をらぬ不思議を思ふ不思議に思ふ(不思議を思ふ)

    *夢の中に母はいませり麦秋の黄金の海に佇ちゐたりけり(ポプラ立つ丘)

     かくまでに澄みわたりたる冬空にいつか生れくる青雲あらん(青雲あらん)
      《掲載順。*印は「もし5首だったら」。歌中の(むべ)(とき)はオリジナルではルビになっています。》


 さて、さて、ひとつひっかかった歌がありました。

        人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケル*を思ふことあり(人生の半ば)
                        *「ブラック・パンサー党首」の註あり

 人生の半ば、がいつごろなのかわかりませんが、かなり年をくったと自覚し始めた段階と思います。
 そんなおっさんが、「カーマイケル」とは、いやはや小紋らしい、と思いましたね!

 1969年6月15日、クンちゃんたちフランス語クラスのおよそ10人の若者*註2は、小紋にそそのかされて日比谷公園内、野外音楽堂とその周辺で催された、なんであったか忘れてしまった集会に連れて行かれました。集会が終わると、大集団はデモ行進に移り、この気の毒な若者たちはいくつかの悌団のうちのひとつの群集の最先頭に位置することになりました、偶然。
 これを奇貨としたのかどうか、デモが銀座にさしかかると、ひとりの長髪の若者が隊列の前に躍り出て、長崎なまりで「広がれー」と大声でわめきつつ両手を左右に開いたり閉じたりして、4車線+駐車帯の広ーい道路いっぱいに隊列を広げろとキョーハクするのです。
 で、銀座通り一帯は、道路いっぱいの大フランスデモの巷と化してしまったのであります。
 この長髪の男がいったい誰なのか知る人は少なく、今もって定かではありませんが、当時の『アサヒグラフ』には大フランスデモの様子が見開きででかでかと載りましたから、ヒマな方は拡大鏡をお持ちになって国会図書館でご覧ください。

 最後の最後に、歌人の心は余人には皆目わからないという一首。

        多摩センターよりモノレールに乗り高幡不動にて降り、友を訪ねる(六月の水)

 うーん、これはむづかしい!次の歌(わが友は静養中でありたればパジヤマで出で来、顔色よろし)とのからみでどうしても必要なのだろうか?

        
 そこでクンちゃんも一発!

        伊豆の山から別荘地のバスに乗り熱海にて降り、診察を受ける(八月の病)


 巻末・大口玲子さんの解説はすぐに読みたい誘惑にかられるのですが、歌の全部を味わいつくしてから読みたいと、谷岡さんの覚書につづく1頁のみ読みました。楽しみはあとで、というわけで残しています。了


 ******************************************
*註1 リンクを張らせていただいたご挨拶をメールにて申し上げましたら、福岡の垣成美代子先生から丁重なる返信メールをいただき、恐縮いたしました。
*註2 クンちゃんら党派性のない学生は当時、ひとくくりに「ノンセクト・ラジカル」と呼ばれ、全共闘運動の一角におりました。党派(例えば中核派とか革マル派、ブント、解放派、民青=日本共産党などなど)も民青以外は全共闘に介入し、ノンセクト・ラジカルをなんとか自派に囲い込もうとしました。その目論見はまったく奏功せず、浅間山荘事件につづく連合赤軍のメンバー同士の大量粛清事件発覚を契機に運動総体が消滅に向かうと、ノンセクト・ラジカルはおおかた学園に戻るか、郷里に帰っていきました。このため、世間からは「連中はハシカにかかったようなもの」と評せられ、下を向いて歩かざるを得ないという心情を長く抱いた者も多かったようです。*註1、註2は2016年8月6日に追加記載


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小紋潤と再会、35年ぶり!

2016年09月30日 14時23分20秒 | 小紋潤さんのこと
過去記事
2016-04-06
14:32:21
    “ちょっと見”が変はっちまったと想ふ時
        目を瞑りなば昔のままに
 



長崎まで飛んで行って、旧友にて歌人の小紋潤に会う旅から、きのう夕刻、埼玉まで帰ってきた。

実に35年ぶり。

よく知らないが、仏教では三十三回忌で一応おしまいということのようだから、オッソロシク長期のご無沙汰だった。

とくに喉が悪いということで、話はできないだろうと思っていたが、放射線治療が奏功した由にて、毒舌は健在だった。
ただ既往の脳疾患の後遺症とあいまって、立ち上がることがかなり困難、ということだった。

歌詠みのこと、というわけで、今回はクンちゃんも恥ずかしながら「歌でリポート」に初めてトライしてみた。
しっかし、短歌や俳句といったものは、なんせ中学校の授業で一度?やったきりなので、どんなもんだかね。
へたな俳句のことを腰折れというようなあいまいな記憶があるが、へたな歌はなんというやら。

小紋潤に添削してもらいたいところだが、スマホもパソコンも、携帯さえ持たない人なので致し方ない。



長崎にて小紋潤に会ふ

病む友を マーマレード持ちて訪ね来て 光あふるる さくら道かへる

訪ねあて 開けはなたれしふしどより 聞き覚へある そのひとの声

飛びきたり ふせしままの面立ちに 三十五年のとしつきを飛ぶ

のど病みて声なき人と思いしが  斜にかまえたる舌はかはらじ

美少年 こんだけふとっちゃかたなしばい  その軽口ぞ耳になつかし

チューブにてやしなわれる日の長ければ 「腹は減るとよ」 わが問ひに答へて

女人あり 連絡係と言ふ髪に 窓辺の桜かがやきて舞ふ

ブログには載せぬと言ひつ  はじめてのツーショットにおさまりてはにかむ

ながながと離れしままの手を握り ふたつのわだち いま交はりぬ

歌集出し いまひとたびは東京へ せつなる願ひ われも祈らん

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小紋潤への土産に、庭の無農薬夏みかんでマーマレードをつくってみた!(挑戦2回目)

2016年09月30日 14時21分49秒 | 小紋潤さんのこと
過去記事2016-03-31
17:53:47

   土産のマーマレードをつくる!
             庭の無農薬夏みかんで
 

       ことしは雪にもめげず豊作だった!(2本のうちの1本)
 
           

 あした、エイプリルフールの夜というわけだけど、羽田から長崎空港へ飛び、土曜日には「女の都」へ小紋潤の顔を見に行く。およそ35年ぶりである。

 なにか持っていかなくちゃなるめい、と考えたが、酒の類はだめだろう。それと、喉の手術後で固形物は呑み込めないらしい。

 というようなわけで、きのう伊豆地元産の、この季節にしかない、という春もの蜂蜜を買ってきたが、どうもありきたりでおさまりが悪い。
 じゃ、この間つくって割合好評だった庭の夏みかんのマーマレード、はどうだんべか。甘酸っぱい部分だけ舐めててもええし、などと考えて、夜半になってつくりだした。

 ①夜中に庭の夏みかんを2キロ採り入れる。なんだか、“かっぱらい”になった心持ちである。(7、8個、画像左端) 砂糖の量はこの重さに対して40パーセント見当。前回、初トライの際は、ネットレシピに従い三温糖でやったが、色合いが濃すぎる。そこで、今回はグラニュー糖を用いた。
 
 ②黄色い外皮を中の白い皮ごとむいて、適当な大きさに切る。(画像左から2) あまり大きさが揃ってなくてもOK、煮てしまえばわからなくなってしまう。
 
 ③切った外皮をボールに入れ、水を少々加えてよく揉み込む。(画像左から3) 水を満たして、水を切る。これを3回程度繰り返し、しかる後に水をひたひたに張ったまま、数時間から一晩程度ほおっておく。煮立ててアクを抜く代わりがこれ。ただし、やりすぎると味も素っ気もなくなってしまうという。
 
 ④実の部分の薄皮とタネをはずす。(画像左から4) つまり実と果汁になるが、そいつを別のボールに入れ、水にさらしてある外皮をぎゅうっとしぼって、両者を合体させる。薄皮は完全にとれなくてもよい。クンちゃんちのみかんは粒が小さくて面倒なので、普通とは逆に各袋の背中に包丁を入れて剥き、種をどかして実をこそぎとっている。
 
 ⑤外皮、実、果汁を一緒にしたものは水分がそんなに多くない。1、2時間置くと水分が出てきてちょうど良い、というのだが、これがなかなか出てこない。この度は一晩置いたが、たいした変わりはなかった。そこで、クンちゃんちのように、いくらでもみかんがなっている場合は、それを何個か採ってきて果汁をしぼって追加するとよい。ない場合はほんの弱火でこそこそ煮るしかないかもね。間違っても水で増やしてごまかさんほうが味わい深いぜよ。
 
 ⑥外皮、実、果汁をボールに入れて弱火にて煮はじめる。(画像右から2) かなりこげつきやすいので注意。外の皮が柔らかくなれば、砂糖を所定量あるいはいくらか下回った量を二、三度に分けて入れ、てりが出てくるまでヘラでかきまわしつつ煮あげる。この段階は徹底的にこげつきやすいので、厳重注意! ちょっとでもこげつくと、ヘラでかきまわしているうちに黒いこげつきの残骸がしつこくあらわれてくるので、これをまたまたしつこく取り除かねばならない。これはほんまに難儀でっせ!
 
 ⑦こんなもんかねえ、という程度に煮詰まってきたら出来上がり。(画像右端) 冷えると、煮ているときよりかなり固まってくるので、煮すぎると水分が激減し硬い食感となるので、この点も注意を要する。

 つうわけで、やっとこさ完成したのだが、出来栄えや如何に。

 ところが、完成後、びん詰めにする段階でつらつら考えて気が付いたのは、大酒呑みの小紋潤なのだから糖尿の気配もあるかもしれんな、ということ。
 その場合は、両方ともNG!ということになるが、そうなればなったでしゃあないわな! あちゃあ、とでも言っとくか。(で、長期に常温で保存するための、えらく面倒なびん詰め工程はこの度ははぶくことにしてしまったのでR)

 さて、どうなりますか。
 
 長崎、諫早、島原、熊本→羽田→埼玉→伊豆という旅程です。帰ってきたら報告いたします。 
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小紋潤さんのこと

2016年09月30日 14時20分07秒 | 小紋潤さんのこと
過去記事
2016-03-26
22:47:18
  「女の都」にいる歌人小紋潤
    (インターネットのある暮らし)


 近々、九州にある「女の都」という、楽しげな、というか、恐ろしげな、というか、そういうところへ飛んで行く次第となった。その経緯は次のとおりである。
 
 クンちゃん人には女房がひとりおって、つい先日、「JALのポイントが貯まり過ぎてて、どんどん無効になっている。どこへでもタダで行かれるから、好きなところへ行ってきなさいよ」と、のたもう。

 ところが、最近の私に、行きたいところは、ない。

 なぜか…というと、ここ数年のことなのだが、どこそこへ行って、なになにを見て、どんなもんを食って、あれこれを買って、とかいう、ふつうの人なら「旅の楽しみ」にあたることを考えるのが大っきらいな性質に変わってきてしまったからだ。(昨年の今頃は、ラオスの奥地へ10日ほど行ったが、これは主催者である畏友の研究者グループに入れてもらって、その指図に従ってただついてまわる方式だったので参加したのだ。)
     http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/8c14e1388b5a22d35bc156f732fc8a7a
 せっかくの古女房の勧めに対して即座に「No!」と答えたことに呆れ果てたのか、かの女は「会いたい人なんてのもいないんだねえ」と、心底気の毒そうにつぶやいている。

 そこで、しばらくぼーっと、またぽつねんと考えていたら、「そう言えば、小紋潤には3、40年会ってないなあ、どうしてるか。大酒呑みで、大タバコ吸い、のやつだったから、もう亡くなってるかもしれんなあ」という思いが、いずこからかふらふらっと立ちのぼってきた。

 小紋潤、というのは、古ーい友人である。学校が全学バリケード封鎖されている時代に知り合って、2、3年の間、とても親しく付き合った。私の実家にも泊まりに来たし、彼が三鷹のアパートを出た後に私が不動産屋抜きで入った。ところが、4年生になるころには彼は学校から姿を消してしまっていて、消息も絶えてしまった。だから、おそらく“横に出た口”なのだろう、と推察している。
 その後、再会したのは今から数えると35年も前になる。当時、旧浦和市役所内の記者クラブに詰めていた私に、突然、電話がかかってきて、池袋東口で会った。10年ぶりぐらいだった。私の姓が沖縄風なので彼は私を沖縄出身だと思い込んでいたのか、琉球舞踊などのアトラクションがあり、女性が横に座る高級そうな店に連れていってくれた。琉球泡盛で痛飲した。いまなにをやっているのか、というような話題は出たのか出なかったのか、まったく記憶にない。
 翌朝、目が覚めると荻窪と西荻窪の中間あたりの杉並区宮前の彼のねぐらだった。痛む頭と吐き気を抱えて起きだすと、自費出版らしい歌集が部屋中に積み上げられている。タイトルは忘れてしまったが、小紋潤歌集、とあった。その私家版歌集を何冊か持っていけ、と言うのをむげに断り(非道い!)、出勤するために外へ出たら、そこはプロテスタントの教会の横っちょにあるアパートで、教会の案内板を見るとそこのM牧師はなんと私の高校時代の同級生の父上だった。びっくりしたね、まったく、ホンマに。

 というようなわけで、いまになって長崎出身、カトリックの神学校を“横に出て上京”ということしかわからない小紋潤を探すことになった。
 ところが、ところがである。インターネット時代の光なのか影なのか、にわかに判別しがたいが、意外と簡単に彼の所在をつかむことができた、というか、つかむことが“できちゃった”のである。

 まず、Yahoo検索で「小紋潤」とやってみたら、案に相違して(こういう場合に使うのかどうか?!)たちまち関連記事が出てきた。
 
      http://blog.goo.ne.jp/yukitsuna/e/b15bc6bff18dca7ed96a6192567b3f7f


 歌集「サラダ記念日」で有名な俵万智さんの師でもある早稲田の佐佐木幸綱先生(いまは名誉教授。うちの弟は先生の講義を受けたはず)のブログ「ほろ酔い日記」だった。そこに、かなり古くなった小紋潤がいた。服装は50年前とまったく同じトーンである。まさか、同じものではないだろうけどね。杖をついているというのは、脳梗塞のようなものを患ったのかどうか。
 この幸綱先生ブログから、竹柏会「心の花」という先生の父上・佐佐木信綱時代から続く伝統雑誌のサイトに入っていったところ、小紋潤が「心の花」の歌人に列せられていることがわかった。短歌の門外漢で啖呵専門である私は、小紋潤がかの柳原白蓮(あの「アンと花子」にも出てきたよね)も名を連ねた短歌グループの同人として、ひとかどの歌人になっていることなど知りようもなかった。

 そこで、とりあえず心の花編集部にあまり期待せずにメールで問い合わせてみた。
 そうしたら、編集部の方が親切にも調べてくれたのであろう、何日かたって二度にわたり回答が来た。本日現在、小紋潤は長崎近郊の「女の都」(めのと)という地区にある療養施設におり、喉の手術の予後を養っていることがわかった。

 以下が私から編集部に送信したお礼のメールである。

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 心の花編集部御中

 重ねてのご連絡、感謝に堪えません。ありがとうございます。

 先にお知らせくださった電話番号は呼び出しはするものの、つながりませんでした。(廃止になっていないので、生きている、と思いました。)
 そこで、住所をグーグルアースで見てみましたら、浦上天主堂にほど近い、なにかタバコとか飲料などを商うお店が1階にある年季の入った「***マンション」というビルの画像が出てまいりました。
 その2階手すりに賃貸客向けの不動産屋の広告板がかかっていましたので、そこに電話して「1階の大家さん、小紋**さん」の電話番号を教えてもらいました。おそらく、身内の方でありましょう。(ここで追跡を中断)

「**さん」のところへいまから電話しようと思ってパソコンを立ち上げると、御編集部から再度のご連絡をいただいていることがわかりました。
 なんか、彼らしくはあるが、療養施設らしからぬ施設の名前にコンワクしつつ検索してみると、「女の都」は「めのと」で、地名でありました(笑)。
 彼の様子は、ご連絡にてわかりましたので、来週あたり出かけてみようと思っています。(中略)

 ところで、貴会の同人のお方のものか、「竹の子日記」 というブログ  http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-entry-24.html
の2011年6月27日の記事に、次のようなくだりがあり、いまさらながら時の流れを感じました。

    「短歌往来」7月号の 大口玲子さんの「逃げる」30首の中に次の歌を見つけてびっくり。

    ・小紋潤ちひさくなりて行儀よく煙草吸ひつつ肉焼きくるる

 焼肉屋での歌なのでしょうか、この歌を見まして、50年近く前の或る出来事を思い出しました。
 理工学部キャンパスから近い新宿区西大久保の小紋潤の下宿、屋根裏の安下宿でしたが、うまい長崎の味噌汁を食わせるから来い、というので何人かの貧乏仲間でご馳走になりに行きました。「うまいだろう!」と鯖の味噌汁が出てきたのですが、これがうまいどころか、生臭くてなんともまずいのです。一同、沈黙。やがて、それを口にした当の本人も「まずい!」とひとこと。長崎の生きのいい鯖と、東京のスーパーの鯖との違いと判明しました。なお、小紋潤は当時カネがないときは「しんせい」を吸っており、ほぼ年中それを吸っておりました。古いひきだしを引き出すようにそんなことを突然思い出しました。

 お名前も存じませんが、編集部の貴方様には大変お手数をおかけいたしました。
 本当にありがとうございました。
 貴会のますますのご発展を祈念いたしております。
 (いろいろと余談を書いてしまって恐縮しています。)

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 つう訳で、近々、長崎に行って参ります。
 では、また!
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