いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

中曽根康弘元総理大臣の憲法に対する意見/山崎孝

2008-04-29 | ご投稿
2008年4月27日付朝日新聞「耕論」というシリーズ記事は、中曽根康弘元総理大臣と若宮啓文朝日新聞コラムニストの憲法論議が掲載されています。この記事を抜粋して紹介し私の意見を述べます。

【9条と自衛隊】の論議より (前略)中曽根 ……占領下で憲法がつくられてから60年あまり、国民はいろんな経験をした。そのうえで解釈改憲はもう無理だ、憲法そのものを狙上に乗せて考え直そうという空気になってきたと思う。自衛艦のインド洋派遣でも、国民は、憲法上は断崖の上を歩いているような気持ちで支持したのではないか。

若宮 インド洋はともかくイラク派遣には反対の方が多かったですよ。自民党案のように改憲で自衛隊を名実ともに軍隊にしたら米軍とますます一体化し、こういう戦争にもかり出されると心配です。

中曽根 憲法を改正すれば国家安全保障法という付属法典を一緒につくらざるを得ない。戦前の軍隊をよく反省して、軍を動かす政治機構もよく見つめて、9条問題は総合的にとらえていかなければならない。憲法の本文もさることながら、付属法によって自衛隊の運用に法律的な縛りをかけておく。私はそういうことを考えています。(後略)

【私の意見】中曽根元首相は《付属法によって自衛隊の運用に法律的な縛りをかけておく》と述べています。この縛りは自民党政府に効かないと思います。端的な例は、国民の大きな反対を受けながらも自衛隊をイラクに派遣しました。イラク特措法の基本原則の3 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする、との規定は守られず、名古屋高裁からイラク特措法違反、航空自衛隊の活動は憲法違反とされても、憲法審査権を持つ裁判所の判決を無視して政策を変えようとしません。変えないどころか海外で武力行使を行なうような恒久法を考え、今秋の国会で制定しようと政府は考えています。これを見れば法律での規制は有名無実になるでしょう。最高法規と国民世論でしっかりと海外での武力行使や自衛隊の活動が外国軍隊の武力行使と一体化しないように政府に縛りをかけていなくてはならないと思います。

【押しつけ論と米国】の論議より 若宮 改憲論者の多くはいまの憲法をアメリカの押しつけだと言いますが、カントに代表される欧米の平和思想の流れが結実しています。さらに最近、司馬遼太郎賞を受けた山室層一・京大教授の「憲法9条の思想水脈」が説き明かしたように、横井小楠や内村鑑三をはじめ近代日本に流れてきた非戦思想が、敗戦で開花したとも言える。アメリカによる押しつけ論は一面的すぎませんか。

中曽根 どの国にも反戦論はある。だが、それが国民世論として、国の思想の本流をなし得たか。憲法という正規の国家構造をどうつくり上げるかという場面になると、やはりいまの9条はマッカーサー司令部から与えられたものと考えざるを得ない。

 9条もさることながら、現敗戦で憲法の問題点は前文にある。きれいな日本語でないし、簡単明瞭な文章でもない。思いつきの羅列だ。前文は歴史や文化、伝統を含み、国家全体を表す内容でなければならない。憲法上の国民には過去の国民と未来の国民も含まれるが、いまの前文はまったく落第で、未来の国民に渡していくべきものとは思えない。(後略)

【私の意見】中曽根元首相は《どの国にも反戦論はある。だが、それが国民世論として、国の思想の本流をなし得たか》と述べました。たしかに戦争に対して国民の世論は変動しています。マスメディアが戦争に対する警戒心を強く持たずに政府の政策を報道した場合は、反戦論は少数派に止まっています。

日本においては1931年の満州事変以降、新聞は軍部への批判は、弾圧を恐れて新聞社という組織を守る意識が強く働き批判を控えるようになります。そして日中戦争の拡大に伴い国民に対して戦争熱を煽るようになります。政府は反戦論を掲げる共産主義者はもとより、自由主義的傾向を持つ人に対して治安維持法を適用して言論を封じ込めています。国民の多くは戦争の実相を知らないままに太平洋戦争に同調しています。そして、本土空襲など自らの体験で戦争の悲惨さを思い知らされて、日本人の多くは軍隊が解体されたことを歓迎しました。そして現在、憲法9条を守れの意見は根強くあります。それをひっくり返そうとするのが隣国の脅威を煽り、また財政的な国際貢献だけでは駄目だと称して戦争を放棄した憲法を変えようとしています。

米国ではベトナム戦争では共産主義の脅威を煽り米国民を戦争に駆り立てました。しかし、米兵の犠牲が増えるに従って戦争の実態も知られるようになり反戦運動が高まっています。イラク戦争でも当初はイラクの大量破壊兵器の脅威やイラクがテロリストと関係する宣伝で、米国の新聞や国民の多くは戦争に同調しますが、米兵の犠牲が増えるに従って戦争の実態も知られるようになり反戦運動が高まっています。そしてイラク戦争に批判的な民主党が選挙で勝利しています。

戦争に対する国民世論は政府の宣伝やマスメディアの報道の仕方で変動します。それゆえに後から戦争をしたことを後悔しないように政府に対して戦争をするなと憲法で歯止めをかけておく必要があります。国際紛争を戦争で解決しないとする理念の揺るがない規定としての憲法9条の堅持です。

中曽根元首相は、「前文は歴史や文化、伝統を含み、国家全体を表す内容でなければならない」とか、「いまの前文はまったく落第で、未来の国民に渡していくべきものとは思えない」と述べています。

憲法の前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と記しています。これは正に日本の明治以降の日本の歴史を反映した文章です。日清、日露、日中、太平洋戦争を引き起こした日本の歴史の教訓をくみ取り、天皇が主権者としたことで軍事独裁政権が生まれ、その教訓として、国民が政府をコントロールできることを可能にした国民主権に変革しています。

「未来の国民に渡していくべきものとは思えない」とも中曽根元首相は述べていますが、昨日のブログで述べた国際社会や国連の大きな課題に対応する憲法前文の決意の先駆性を見れば、未来の国民に渡していくに相応しい憲法前文です。

【戦争政策を進める上での常套手段】ナチス・ドイツの軍事参謀 ヘルマン・ゲーリングの言葉

もちろん普通の人々は戦争を望まない。しかし結局、政策を決めるのは国の指導者だ。そして人々をその政策に引きずりこむのは簡単なことだ。それは民主政治だろうが、ファシズム独裁政治だろうが、議会政治だろうが、共産主義独裁政治だろうが、変わりはない。反対の声があろうがなかろうが、人々が政治指導者の望むようになる簡単な方法は、ただ『国が攻撃される』と告げればいいだけだ。そして平和をとなえる者たちを『愛国心がない』『国を危険にさらすのか』と批判すればいい。これでどんな国でも、うまくいくものだ。